第5日 (1995/8/27) サンフランシスコT

ゴールデンゲートブリッジロサンゼルスの空港を朝発った。このとき私の隣に座った人たちのことを今でも覚えている。鼻ピアスなどをしてミニスカートのアメリカ人の女の子二人連れと、いかにもキャリアウーマンという感じのスーツを着た30歳くらいの女性。機内でも会社名の書いた書類に目を通していた。女の子はトマトジュースみたいな赤い飲み物を注文していた。

1時間ちょっとでサンフランシスコに着いた。また、新しいガイドに迎えられ、同行するメンバーと合流した。この時は、神戸からきたという5人家族だけだった。早速、市内観光に出た。

まず、ゴールデンゲートブリッジ(左の写真)。日本では年輩の人になら金門橋と言った方が「ああ、あれか」と言われるだろう。霧のサンフランシスコというように、霧がかかっていた。ガイドは日本人留学生で、ここに4年住んでいると言っていた。彼は会社から渡された書類通り、次にツインピークスに行った。霧がかかっていたから山に登っても何も見えないのがわかっていたのに・・・。案の定、何も見えなかったから写真はない。後で、別の日本人観光客(同じ旅行会社)に聞いたら、午後、霧が晴れるので観光する順番を後に回してくれて市街がよく見えたということだった。私達があたったガイドは、要領の悪い人だったのだ。

ピア39右はフィッシャーマンズワーフのピア39である。ピアというのは船着き場のことで、いくつもある。39番という名前がつけられている所はレストランや店が並んでいた。
神戸から来た家族はとても暖かい感じがする人たちであった。70さいくらいのおばあさん、息子夫婦、中学生と小学生の男の子。豊かで育ちがよさそうな人達、という感じがした。おばあさんは若々しくベレー帽、リュック、ジーンズの上下という出で立ちで、私に何かと話しかけてくれた。海外は8回目で、初めて行ったオーストラリアは今よりもずっとツアー料金が高かったそうだ。ヨーロッパは3回行ったということだ。昨日はディズニーランドでジェットコースターに乗ったと言っていた。お嬢さんのまま、おばあさんになったという感じがした。45歳くらいの息子は、おばあさんよりもずっと何度も旅行をしているらしかった。去年の家族旅行はバリ島でレンタカーを借りたと言っていた。
昼食はピア39でシーフードを食べた。神戸の人たちは、ワインと生ガキを頼んだ。わたしにも「どうぞ」とおごって下さった。楽しい昼食だった。ロサンゼルスで感じた同行者の冷たさとは段違いだった。

左は寝そべったアシカである。ピア39にあった。北洋から海流に乗ってきて住み着いたということだ。サンフランシスコはロサンゼルスから飛行機で一時間くらいしかかからないが、気候は全然違う。私は半袖Tシャツ、裸足のサンダルのままサンフランシスコに降り立ったが、思わずブルッときた。最初の観光地でスーツケースを開けてもらい、トレーナー、靴、靴下を出した。寒流の影響だろう。
でも、サンフランシスコは冬は暖かく、10℃以下にはならないらしい。年中同じような気候。暮らしやい気候である。ただ、地震が多いのが玉に傷。

アルカトラズ島右の写真に見える島はアルカトラズ島である。マフィアのアル・カポネが収容された監獄がある。最近、「アルカトラズからの脱出」とかいう映画がつくられたかと思うが。

この日は他にゴールデンゲート・パークの観光、ケーブルカーに一回乗った。途中神戸からきた下の男の子が車内でもどしたので、母親と二人、先にホテルに送っていった。お菓子の食べ過ぎみたいだった。男の子は父親に「気分が悪くなったら早くいわんか」と叱られていた。私にも悪そうにしてくれたが、その前に親切にしてもらっていたし、時間的なロスなど少しだったから私は何とも思わなかった。免税店に案内され、バッグ、スカーフ、ポロシャツを買った。この日の私の宿はヒルトン&タワーズであった。神戸の人たちもすぐ近くの同程度のホテル、パーク・フィフティ・ファイヴだった。

ホテルにチェックインした後、すぐ、一人で中心地のユニオン・スクエア付近にショッピングに行った。今度は地元の人たちが行くようなデパートのメイシーや靴屋に行った。靴屋は父に頼まれていたゴルフシューズを探すためだったが、何せ父のサイズは24cm。日本でもなかなかないのに、アメリカであるはずがなかった。メイシーのものはカジュアルで安いがデザインがよかったのでセーターなど何枚か買った。しかしタグにはオーストラリア製とあった。エンポリオ・アルマーニの店に入ってみた。円高なので、安く感じられた。とても感じのいいスーツが日本円で約8万円。日本ではとてもこの値段ではないだろう。ほしかったが、袖のサイズを直さないといけないからやめた。ここ、サンフランシスコでは高級ブランド店にはあまり客は入っていなかった。ユニオン・スクエアという広場に乞食が何人かいた。若い白人女性も紙に色々書いてめぐんでくれと書いていたのには驚いた。彼女はそんなにみすぼらしいかっこうはしていなかったから変だった。

6日目に続く