ベトナム

4日目 2018年1月6日(土) ミーソン遺跡 ホイアン観光

 6時朝食、8時10分ロビー集合。午前中は、オプションで、世界遺産ミーソン遺跡観光。参加者は13人。残りの6人は、ホテル内でスパ。マッサージをしてもらったらしい。後から聞くと、日本より少々雑だが、安いとのこと。

川に架かる橋の橋桁が珍しい形をしていたのでバスの車内から撮った。

ミーソン遺跡は、ホイアンの南西48kmにある。チャンパ王国(2〜17世紀)が建てたもので、今も残る8〜13世紀の遺跡を見学した。
遺跡入り口に博物館があった。遺跡に行く前にそこを見学。





ベトナム戦争で壊された最大の遺跡。当時の写真。

博物館から少し歩いた所で15人くらい乗れる電気自動車に乗った。そして、遺跡の手前200mくらいを歩いた。
ベトナム戦争で、かなり破壊されたそうだ。
現地ガイドさん

この遺跡も顔が破壊されている。

家族と観光していたベトナムの子ども

ミーソン遺跡では遺跡見学以外に音楽(動画)ダンス(動画)のショーがあって楽しめた。女性3人のダンスはカンボジアの踊りに似ていた。


 遺跡ツアーからホテルに戻ると午後1時前だった。ホテルにいた6人と合流し、日本食レストランで昼食。大体海外で食べる日本食は大したことないのが常で、今回も例外ではなかった。白身魚のスズキを揚げていたが、魚自体が美味しくなかった。それに、飲み物が高かった。

わかめサラダ。味噌汁。


その後、ホイアン見学。昨晩行った場所を再訪した。



シルク工場に行った。日本語堪能でアオザイを着た女性に説明してもらった。
初めに生きた蚕、繭、絹糸を見せてもらった。これらは、富岡製糸場で見ているので私にとって珍しく感じられなかった。繭が黄色いのだけは、何故かなと思った。


若い女の子達が同じ方向を向いて刺繍をしていた。彼女たちは、コツコツと1日中刺繍をしているのだろう。
写真を横に置いて、一番近い色の糸で刺繍していく。
     
   
左下の大部屋の様子を見ていると、集中して仕事をしている人と、そうでもなさそうな人がいた。
どこの職場でも同じか。一生懸命働く人と、隣としゃべって怠ける人はいる。

男の人達も働いている。木工の仕事。





店を出て歩いていると、散髪屋さんがあった。開けっぴろげになっていて様子がよく見える。。









遠い昔、日本からはるばるやってきた人々は、ここで商売を行っていた。どんな覚悟を持ってやってきたのだろうか。日本に帰れないかもしれず。日本人が作った「日本橋(来遠橋)」(1593年)に立って、そんなことを考えていた。
 
日本橋を境に日本人町と中国人町に分かれていた。



中国人貿易商人の家「フンフンの家」。約200年前に建てられた。




「フンフンの家」を出て歩いていると、望遠レンズでお爺さんを撮っている欧米人がいて、お相伴に預かり、斜めから撮ってみた。




花婿花嫁とその友人たちが、道路で写真を撮っていた。若い女の子たちのアオザイ姿は美しい。


海のシルクロード博物館の前の店


福建会館(福建省出身の架橋の集会所)を見学した。



1時間くらい、市場付近でフリータイムとなった。




買わなければならないものは既に買っていた。ドンやドルも少なかったので、ブラブラしていた。早めに集合場所に戻ると、近くのインド人の店で買い物をしているツアーの人が見えた。一人はとてもおしゃれな80歳くらいのマダムで、どんなものを物色しているのか興味があって、店内に入った。見ると、私好みの水色と灰色のチェックのカシミアのストールを首に巻いていた。様子を見ていると、店員が150ドルだというので、そのマダムは、猫なで声で安くしてほしいと迫り始めた。まけさせる時はこんな風にするのかと、私は開眼した。そうした結果、150ドルが100ドルになった。同じようなものがないかと探してみたが、好みのものは残っていなかった。