秋祭

祭り参加募集要項はこちら:只今、募集要項思考中です。ご意見あればお聞かせください。


祭礼の概要及び歴史:矢田村誌によると、土生八幡神社は祭神(応神天皇・事代主神・神功皇后・天照皇大神・伊邪那岐尊・倭比売神・迦具土神・金山彦命・稲食魂命・豊受神・大穴牟遅命・丹生津姫命・須佐男命・武之内大臣・早蘇神・菅原道真・天津児屋根命・別雷神・大山祇命・木花咲耶姫命・高良神)を祀る八幡神社で、明治の末から大正の初めにかけて多くの神社を合祀した。
 秋祭りは本来、陰暦8月15日に行なわれていたそうであるが、現在は10月第3日曜日となった。
土生神社で行なわれる祭りは、行なわれていた日時から察するところ、五穀豊穣、神様への感謝と願いを込めて諸芸を奉納したものと思われるが、最近の祭りは、楽しむ祭りへと変化しつつあるようにも思える。(昔は、色々な祭り(神事)に対する常識があったようであるが、最近では何でもありのような気がする。これが良いことであるのか悪いことなのかは分からないが、祭りに過度に熱くならない人が多くなってきたためか最近では祭りにつき物の喧嘩等も見なくなりつつある。これは良いことである。)
 昭和35年当時、「余興道具があるのは、小熊・四太鼓と奴太鼓、土生・四太鼓と屋台、藤井・四太鼓と屋台、鐘巻・四太鼓と屋台、千津川・四太鼓」となっているが、現在は千津川・四太鼓と鐘巻・四太鼓は祭りに参加していない。(千津川は喧嘩により?、鐘巻は、人手不足、材料不足により現在は参加していない。)代わりに小熊・子供御輿が祭りに花を添えている。

現在の祭礼の様子:
宵宮(鐘巻の場合)、他所(他の氏子)のことは良く分からないが、宵宮は朝7:00に集合し、御神酒で身を清め太鼓、獅子を持って地下を(現大字内)1軒ずつ回りご祝儀を頂く。最後に土生八幡神社に獅子を奉納し、屋台を組み立て、集会場で酒盛りに入るが、呑んでいるうちに勢いが出てくると、屋台を押して(この辺では屋台等を担ぐことを押すという)地下内を一回りする。

本宮、現在は年行司会(各、余興道具を出す氏子(若中)の長が集まる会)で詳細に時間が決められ、スムーズに行事が行なわれている。ちなみに宮入は、11:30までと決められており、各組の持ち時間もきちんと決められている。もしそれを守らないと喧嘩に発展する場合もある。

 おおよその祭り時間割
11:30 宮入完了(各組の時間も詳細に決定)
12:00 神事
12:30 お渡り
13:30 お旅所で神事(各獅子舞等奉納)各組屋台到着前でも始める。(これはおかしいのでは?と、言っても宮の総代会で蹴られるらしい。)
16:00頃 お戻り(各組、宮で一斉に獅子舞等を奉納)

だいたいの時間割を示したが、以前はこれをことごとく守らないところがあった・・・。(主に宮入の時間)
何を隠そう私の所属している「鐘巻」である。もともと宮に一番遠い所からの出祭りで、通称「馬場(お旅所のあるところ)」まで9時30分頃には着いていなければ時間どうりの完了は無理なのだが、その時間になってやっと地下の境界を越えるような始末である。このような場合、全ての組の余興道具が馬場付近に集まってきており、非常に危険な状態である。そんなときの役員さんは困ったであろうと推察できるし、若衆たちは粘りたい一身で屋台を押しており、若衆と、行司(役員)との駆け引きも大いに観客を盛り上がらせたのではないかと・・・。今は、屋台の下に台車をつけたりして時間短縮を図っている。(これも本来なら、屋台というのは地面に置いたらその場で獅子を披露しなければダメであったそうである。)祭礼も地域の伝統文化ではあるが、文化そのものも文明とともに発達していくように、昔とは比べ物にならないくらい祭礼道具(余興道具)は豪華になり、また、それに対する考え方も変わってきている様に思う。(良い、悪いは別として。)また、そうしなければうまく祭礼行事自体が存続できないようにも思う。(あくまでも個人的見解ではあるが・・。)

練習風景:鐘巻集会場にて。

鐘巻の印:道成寺絵巻で有名なひとコマをあしらったもの。(最近変更された。)


屋台の組み立て風景:長持ちに担ぎ棒を付け、お社、太鼓を乗せて完成

 見事完成


過去〜現在〜今後の鐘巻の祭りの動向:現在戸数50戸で参加している土生八幡神社祭礼は、今でこそ20年にわたり参加しているわけであるが、私が子供の頃は鐘巻が祭りに参加したという記憶ははっきりと残っていない。20年前からさらに10年程度は(昭和48〜58年頃?)祭りに参加していなかったらしい。原因は藤井組との喧嘩で、その時の反省から祭りへの参加を自粛していたらしいが、8年に1度氏子持ち回りでやってくる「御頭」(宮の獅子で双頭の頭を持ち、鬼の気配と「ささら」だけで舞う、県指定の文化財になっている非常に珍しい獅子舞)が回ってきたのを契機に、その2年後に祭りに参加したらしい。以後、現在まで20年にわたり参加しているわけであるが、最近でこそ祭りへの参加の是非は決議していないが、以前は参加したり、しなかったりと若中の多数決で参加の是非を決めていた。祭りに参加するにはやっぱり多少のお金も必要で、寄付によって全てをまかなっている状況の中、、区民の皆様には大変なご協力のもと祭りへの参加がスムーズに行なわれている。が、近年、若者の祭りへの熱意?参加意義が薄れつつあり、元々、昭和35年頃は、若者の祭りへの参加は義務付けられていたそうであるが、今では、練習はおろか、本祭りへも出てこない若者がいることには寂しささえ感じる・・。確かに仕事柄どうしても参加できない事情もあるかもしれないが、何とかならないものかと思う。

そんな状況下ではあるが、最近(一部?)若者の間で、40数年ぶりに四太鼓の復活が出来ないものかと熱望する声が高まってきた!!しかし、以前の道具は枠の一部と、天幕が現存しているだけで、それも戦後の物の無い時代に作ったもので、かなり粗末なつくりであり、どうにか新調できないものかと・・・・。
 確かに四太鼓を出すとなると問題は色々とあると思う。押し手(担ぎ手)の問題が一番ネックになるわけであるが、この押し手を全国から募集しては?と言う意見が出、いっそのことギャル御輿にしてはという意見もありここに募集することにしました。
どうか、全国のギャルの皆様!我が土生八幡神社祭礼に、屋台の押し手(担ぎ手)として参加してみませんか?
 今までは、祭りへの参加は男の専売特許みたいなものでしたが、このご時世、あまり硬いことばかり言っていれば嫌われます。
今でも、種々の祭りでは、女人禁制のところが主だと思いますが、今は、喧嘩もしない、みんな仲良く、時間どうりに、楽しくやるが、合言葉のように、トラブルも無く楽しくやれると思います。どうか、一生の思い出に田舎の秋祭りに参加してみませんか?日頃のストレスを発散しましょう!

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もう少し写真もUP予定ですのでお待ちくださいね!


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