仲間の広場

ようこそ!
雑賀実験室
  「実験室」と名乗っていたホームページも本格的になってきました。
  フランス唯物論の研究家(ご本人は、「一市民として発言します」とおっし
ゃる方)から「あなたのホームページに突き当たりました」と興味深いメール
をいただいたり、若い先生がたまたま突き当たって「知らない町を歩いていて
知り合いにあったようでうれしかった」と言っていただいたり。
  こうしたお手紙のなかで、興味深いものを、匿名にして(ご本人が名前を出
してくれていいと言われれば別ですが)紹介するページを作りました。
 「紀州経済史文化史研究所紀要」お礼 
 「紀州経済史文化史研究所紀要」お礼 
怒り心頭  アフガンからの手紙  宮沢賢治と金子みすず(愛知の大学の学部長・梅垣さんより)  
笑顔をひきだす音楽の実践を目指して(OAさんより)    パソコン通信友達、ZSさんと
フランス唯物論の研究者より 資本論を読む仲間から 雑誌「経済」金融・地代の論文をめぐって
アメリカの友人と 仲間からの助言
歴史の流れに人生をかさねて ホームページを見ていただいた仲間より 学校職場からの報告
西川 尚武さんのホームページ

         


 「紀州経済史文化史研究所紀要」お礼 

 「紀州経済史文化史研究所紀要」お送りいただきありがとうございました。
  12日、東京出張がありましたので、電車の中で少し読ましていただきました。
 副島先生の「つくる会」教科書と戦前の「国史」教科書の対比、中国・韓国教科書との
対比による分析、問題点が大変よく分かります。
  「この会の人たちが共感を寄せるのは、過去の日本の支配的地位にいた人々に対してで
あり、日本の民衆はもとろん、中国や朝鮮の運動に立ち上がった人々に対する感覚は過去
の日本の支配層のものである。」まさにその通りですね。
  日露戦争のところでは、「待てよ」と自分の思考がたちどまりました。日本海海戦につ
いては、「多くの少年の血をわき立たせる戦争タン」が私自身にとっても「きわめてなじみ
やすいもの」であることです。国民的作家・司馬遼太郎の「坂の上の雲」との関係でも、
私たちの側での正確な「日露戦争論」が必要だなと思った次第です。
  重松先生の論文は、「社会史」という角度から問題を考えていなかった私にとってきわ
めて新鮮なものでした。「歴史を『国民』や『民族』の単位で考えることは、19世紀以
降つくりだされた一つの歴史的産物であるにすぎない。」
「フランス語を話さないフランス人」を引いての説明は大変よくわかります。
「つくる会」の史観を批判する重要なポイントだと思いました。
  海津先生の「南北朝論」を読んで、和歌山大学での展示の意味が、やっとわかりました。
 「南北朝」「ああ忠臣楠氏の墓」「あおば茂れる桜井の………」私自身が、皇国史観に
とらわれていたという反省を、かつて渡辺治氏の「天皇制論」への書評として書いたこと
があります。(ホームページ「雑賀の実験室」…「雑賀雑記帳」…「書評と学習」所収)
  いろいろと考えさせていただきました。
……………………………………………………………………………………
  資料として「教科書アピール」も入れていただいたのですね。あのアピールは、副島先
生が本気になって手を入れてくださったので、どこに出しても恥ずかしくないものになり
ました。
 それに、記者会見の記録もはいっているのでビックリしました。テープをとられていた
のでしょうか。記者会見の記録のデーターをいただけるなら、和教組HPの教科書アピー
ルのところに載せたいとも思いますが、いかがでしょうか。
………………………………………………………………………………………
  おはずかしいことながら、私は「紀州経済史文化史研究所」とその「紀要」が出されて
いることを知りませんでした。私たちの「和歌山県国民教育研究所」には、川本先生に役
員になっていただいてはいますが、もっと「紀州…研究所」の成果を私たちが吸収できる
ようにならないかとも考えています。

                                                雑賀 光夫








         


怒り心頭 







福田官房長官さま
 昨夜、私はテレビの画面であなたの本当におそろしい言葉を聞きました。記者団からの
「自衛隊員が命の危険にさらされると思いますか?」との問いに「あなた社会部?」と聞
いて「常識的な考えに欠けている」というような意味の発言を高圧的に述べて「命の危険
といえば日常生活の中にもある。交通事故で一年に9000人の人が亡くなっている。ご
く日常的な生活の中でも起こっている」と述べました。私は耳を疑ってしまいました。こ
の人は一体何を言っているのだ!とだんだん怒りがわきあがってきました。戦争のために
犠牲となって命を落とさなければならないということと、交通事故とを並列にして語ると
は。かつての日本の国は「聖戦」として人々をかりたて、教育し、若い未来ある人々を、
家族らの暖かい手の中から、胸の中から奪い取って行きました。あの夥しい命の一つ一つ
も日常的な死だったとあなたは言うのですか。
 私は今、心に決めていることがあります。私には二人の大切な大切な息子がいます。こ
の子たちは絶対に戦場には行かせないと。あなたたち政府を預かる人々がどんな手を使っ
てきても絶対にわたしません。山の中へでも森の中へでも隠してでも渡しません。これは
私だけでなく日本中の、いや世界中の母親なら共通した思いです。ごくありふれた、人が
生まれ、年をとり、人生をすごし、体験を重ね、夢を実現させ、そして次の世代へとひき
つぐ仕事をして行く、そういう社会を築くのが、人としての当たり前のことです。
 戦争は「事故」ではありません。偶然起こるのではなく、国家や政府が、邪悪な意図に
よって人為的に起こす巨大な「しかけ」です。いつも罪のない普通の人々が「木の葉のよ
うに」焼かれて死んでいくのです。福田官房長官さま、あなたはその言葉を戦争によって、
命を奪われた人々の霊の前でもう一度言えますか?福田官房長官さま、そういうあなたが、
あなた自身が家族とともに戦場へ行って戦争をしてきてください。愚劣な戦争を賛美した
くてうずうずしている他の政府のお役人たちと一緒にあなたたちだけ戦場へ行ってきてく
ださい。私たちは残って平和ななごやかな豊かなくらしを送りますから。

 そして今日、27日、米国が未臨界核実験をネバダでおこなったというニュース、今日
から始まる臨時国会で、自衛隊派兵新法を成立させようとしているニュースに接し、なぜ
日米の国の政治を預かる人々は人類にとって、大切な「平和」を追求する姿勢に立つこと
ができないのかと怒りで胸がいっぱいです。

                                           和歌山一母親より
         


アフガンからの手紙 

アフガンからの手紙

  Subject: アフガンからの手紙  知人から送られてきたメールを転載します。ひ
とりでも多くの人に読んでもらいたいとのことですので、ご紹介します。
 ***はじまり***

国連難民高等弁務官カンダハール事務所で働いていらした方Sさんの手記を紹介させてく
ださい。

 Sさんは、国連難民高等弁務官カンダハール事務所で仕事をしていましたが、オ
サマ・ビン・ラディン氏をかくまっているとされるタリバンの本拠地へのアメリカの
軍事行動などの危険性が出てくる中、一時的に勤務先をパキスタンに移転するという
措置で、「避難」をしていますが、その緊急避難の最中にしたためた手記です。

 以下、Sさんの手記です。 *********** 報道機関の煽る危機感


 9月12日(水)の夜11時、カンダハールの国連のゲストハウスでアフガニスタ
ンの人々と同じく眠れない夜を過ごしている。私のこの拙文を読んで、一人でも多く
の人が アフガニスタンの人々が、(ごく普通の一人一人のアフガン人達が)、どん
なに不安な気持ちで9月11日(昨日)に起きたアメリカの4件同時の飛行機ハイ
ジャック襲撃事件を受け止めているか 少しでも考えていただきたいと思う。
テレビのBBCニュースを見ていて心底感じるのは 今回の事件の報道の仕方自体が 
政治的駆け引きであるということである。特にBBCやCNNの報道の仕方自体が根拠のない不安を世界中にあおっている。

 事件の発生直後(世界貿易センターに飛行機が2機突っ込んだ時点で)BBCは早く
も、未確認の情報源よりパレスチナのテログループが犯行声明を行ったと、テレビで
発表した。それ以後 事件の全貌が明らかになるにつれて オサマ.ビン.ラデンの
グループの犯行を示唆する報道が急増する。その時点でカンダハールにいる我々はア
メリカがいつ根拠のない報復襲撃を また始めるかと不安におびえ、明らかに不必要
に捏造された治安の危機にさらされる。何の捜査もしないうちから、一体何を根拠に
こんなにも簡単に パレスチナやオサマ・ビン・ラビンの名前を大々的に報道できる
のだろうか。そしてこの軽率な報道がアフガンの国内に生活をを営む大多数のアフガ
ンの普通市民、人道援助に来ているNGO(非政治組織)NPOや国連職員の生命を脅かし
ていることを全く考慮していない。

 1998年8月にケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件があった時、私は奇し
くも ケニヤのダダブの難民キャンプで同じくフィールドオフィサーとして働いてお
り、ブッシュネル米国在ケニヤ大使が爆破事件の2日前ダダブのキャンプを訪問して
いたという奇遇であった。その時も物的確証も無いまま オサマ・ビン・ラデンの事
件関与の疑いが濃厚という理由だけでアメリカ(クリントン政権)はスーダンとアフ
ガニスタンにミサイルを発射した。スーダンの場合は、製薬会社、アフガンの場合は
遊牧民や通りがかりの人々など 大部分のミサイルがもともとのターゲットと離れた
場所に落ち、罪の無い人々が生命を落としたのは周知の事実である。まして標的で
あった軍部訓練所付近に落ちたミサイルも肝心のオサマ・ビン・ラデンに関与するグ
ループの被害はほぼ皆無だった。タリバンやこうした組織的グループのメンバーは発
達した情報網を携えているので、いち早く脱出しているからだ。前回のミサイル報復
でも結局 犠牲者の多くは 子供や女性だったと言う。

 我々国連職員の大部分は 今日,緊急避難される筈だったが天候上の理由として 
国連機がカンダハールに来なかった。ところがテレビの報道では「国連職員はアフガ
ニスタンから避難した。」と既に報道している。
 報道のたびに「アメリカはミサイルを既に発射したのではないか。」という不安が
募る。アフガニスタンに住む全市民は 毎夜この爆撃の不安の中で日々を過ごしてい
かなくてはいけないのだ。更に、現ブッシュ大統領の父、前ブッシュ大統領は199
3年の6月に 同年4月にイラクが同大統領の暗殺計画を企てた、というだけで同国
へのミサイル空爆を行っている。世界史上初めて、「計画」(実際には何の行動も伴
わなかった?)に対して実際に武力行使の報復を行った大統領である。現ブッシュ大
統領も今年(2001年)1月に就任後 ほぼ最初に行ったのが イラクへのミサイ
ル攻撃だった。これが単なる偶然でないことは 明確だ。
 更にCNNやBBCは はじめからオサマ・ビン・ラデンの名を引き合いに出してい
るが米国内でこれだけ高度に飛行システムを操りテロリスト事件を起こせるというのは
大変な技術でる。なぜ アメリカ国内の勢力や、日本やヨーロッパのテロリストのグ
ループ名は一切あがらないのだろうか。他の団体の策略政策だという可能性は無いの
か?

 国防長官は早々と 戦争宣言をした。アメリカが短絡な行動に走らないことをただ
祈るのみである。
 それでも 逃げる場所があり 明日避難の見通しの立っている我々外国人は良い。
今回の移動は 正式には 避難(Evacuation)と呼ばずに 暫定的勤務地変更
(Temporary Relocation)と呼ばれて言る。ところがアフガンの人々は一体どこに
逃げられるというのだろうか? アメリカは隣国のパキスタンも名指しの上、イラン
にも矛先を向けるかもしれない。前回のミサイル攻撃の時は オサマ・ビン・ラデン
が明確なターゲットであったが 今回の報道はオサマ・ビン・ラデンを擁護している
タリバンそのものも槍玉にあげている。
 タリバンの本拠地カンダハールはもちろん、アフガニスタン全体が標的になること
はありえないのか? アフガニスタンの人々も タリバンに多少不満があっても 2
0年来の戦争に比べれば平和だと思って積極的にタリバンを支持できないが 特に反
対もしないという中間派が多いのだ。

 世界が喪に服している今、思いだしてほしい。世界貿易センターやハイジャック
機、ペンタゴンの中で亡くなった人々の家族が心から死を悼み 無念の想いをやり場
の無い怒りと共に抱いているように、アフガニスタンにも たくさんの一般市民が 
今回の事件に心を砕きながら住んでいる。アフガンの人々にも嘆き悲しむ家族の人々
がいる。
 世界中で ただテロの“疑惑”があるという理由だけで、嫌疑があるというだけ
で、ミサイル攻撃を行っているのは アメリカだけだ。世界はなぜ こんな横暴を黙
認し続けるのか。このままでは テロリスト撲滅と言う正当化のもとに アメリカが
全世界の“テロリスト”地域と称する国に攻撃を開始することも可能ではないか。

 この無差別攻撃や ミサイル攻撃後に 一体何が残るというのか。又 新たな報
復、そして 第2,第3のオサマ・ビン・ラデンが続出するだけで何の解決にもなら
ないのではないか。オサマ・ビン・ラデンがテロリストだからと言って、無垢な市民
まで巻き込む無差別なミサイル攻撃を 国際社会は何故 過去に黙認しつづけていた
のか。これ以上 世界が 危険な方向に暴走しないように、我々も もう少し 声を
大にしたほうが良いのではないか。

 アフガンから脱出できる我々国連職員はラッキーだ。不運続きのアフガンの人々の
ことを考えると 心が本当に痛む。どうかこれ以上災難が続かないように今はただ
祈っている。そしてこうして募る不満をただ紙にぶつけている。

    2001年9月13日 筆            
************.

「手記」はできるだけ広範囲の方々に読んでもらいたい、ということですので、他の
方に紹介してくださってけっこうです。          
   ***以上、転送おわり **。




         


ほんの一つの断想(宮沢賢治と金子みすず) 

        ほんの一つの断想(宮沢賢治と金子みすず) 
            *宮沢賢治(1896年―1933年。明治29年―昭和8年)
            *金子みすず(1903年―1930年。明治36年―昭和5年)
                      経済学部長   梅 垣 邦 胤
 トヨタの車を買ったとき、宮沢賢治の詩とその英訳があるカレンダーをもらった。ちな
みに有名な「雨ニモマケズ」の英訳はこのようになっている。
         Strong in the Rain
    Strong in the rain
    Strong in the wind
    Strong against the summer heat and snow
    He is healthy and robust
    Unselfish
    He never loses his temper 
    Nor the quiet smile on his lips
    He eats four go of unpolished rice
    Miso and a few vegetables a day
    He does not consider himself
    In whatever occurs … his understanding
    Comes from observation and experience
    And he never loses sight of things 
    He lives in a little thatched-roof hut 
    In a field in the shadows of a pine tree grove
    If there is a sick child in the east 
    He goes there to nurse the child
    If there is a sick child in the east 
    He goes there to nurse the child
    If there is a tired mother in the west
    He goes to her and carries her sheaves
    If someone is near death in the south
    He goes and says,"Don`t be afraid"
    If there is strife and lawsuits in the north
    He demands that the people put an end to their pettiness
    He weeps at the time of drought
    He plods about at a loss during the cold summer 
    Everyone calls him "Blockhead"
    No one sings his praises
    Or takes him to heart…

    That is the sort of person
    I want to be
         (監修・英訳 ロジャー・パルバース 1997年トヨタカレンダー)
 いくども音読したくなる。なかでも最後の2行は見事である。「サウイフモノニ ワタ
シハナリタイ」That is the sort of person I want to be ここには、賢治が言い切った気持
ち、自分自身に対するきりりとした決意が言い表されている。この決意は「銀河鉄道の夜」
におけるジョバンニとカンパネルラの次の会話とつながっていく。
 ジョバンニは、ああ、と深く息しました。
 「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでもいっしょに
 行こう。僕はもう、あのさそりのようにほんとうのみんなの幸いのためならば僕のから
 だなんか、百ぺん灼いてもかまわない。」
 「うん。僕だってそうだ。」カンパネルラの目にはきれいな涙がうかんでいました。
 「けれどもほんとうのさいわいはいったい何だろう。」
 ジョバンニは言いました。
 「僕わからない。」カンパネルラがぼんやり言いました。
 「僕たちしっかりやろうね。」
 ジョバンニが胸いっぱい新しい力がわくように、ふうと息をしながら言いました。
                  (『銀河鉄道の夜』新潮文庫、123n)
 「ほんとうのみんなの幸い」を求めつつ、しかしほんとうの幸いとは何なのかその解答
を発見することは出来ない。「しっかりやろうね」という二人の会話には、煩わしさにば
かり心が支配されがちな日々において、つまりこの日常において、ほんとうのことは何な
のか、幸せに至る道はなになのか、真の幸せはあるのかといった問いかけが提起されるこ
とにより、精神は慄然となり、高揚する。自分自身が高められていくような想いにとらわ
れる。これは賢治の多くの作品と、またみすずの童謡にも感じることが出来る。
 「雨ニモマケズ」は、賢治が東京から花巻に帰り、病床にある時、ただ自分に対して開
かれた、自己確認のためのおこないとしてのみ手帳に記したものである。昭和6年、11
月3日の日付がある。本文における「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオ
ロオロアルキ ミンナニデクノボウトヨバレ」、ここには、1930年代前半における東北地
方農村恐慌の影を感じることができる。
 連想は彼が生きた時代、彼の心情、また時代とそれに対する感性において、賢治と相似
するもう一人の作家、金子みすずへつながっていく。金子みすずは山口県仙崎にうまれ、
後、下関の書店で店番をしながら「童謡」を書いた。西條八十に励まされ創作を続け、西
條と下関駅で出会っている。事情があり26歳で自殺する。
「わたしと小鳥とすずと」を見よう。
     わたしと小鳥とすずと
   わたしが両手をひろげても
   お空はちっともとべないが
   とべる小鳥はわたしのように
   地面をはやくは走れない
   わたしがからだをゆすっても
   きれいな音はでないけど
   あのなる鈴はわたしのように
   たくさんなうたは知らないよ
   すずと小鳥とそれからわたし
   みんなちがってみんないい
 彼女は「わたし」「小鳥」「すず」を「差異」でとらえ、「差異」がもつ意味に気づいて
いる。そして、みすずが言いたかったことはさらにそれを超え、差異があるものの間にお
けるある種の連帯、語りかけ、つまり会話成立の可能性、そして共感である。彼女は、人
間(自分)と鳥(野生の空を飛ぶ鳥)とすず(もの)を、人間の感性において、従って、
こういう言い方が許されるならば「平等」に、差別なく、見ていることになる。文脈をは
ずれることを無視して、続けてみよう。1930年代から40年代の前半にかけてのドイツフ
ァシズムの特質の一つがここで述べた「差異」である。彼らは、ドイツ民族とその他の民
族に区別した。ユダヤ人、ジプシー、精神障害者、共産主義者とドイツ人が区別された。
強制収容所では次には、男のユダヤ人と女のユダヤ人、大人と子供、若者と老人、労働が
出来る者と出来ない者が区別された。そして、区別された弱者は「消滅」の対象となった。
「差異」や「区別」つまりそれぞれの特性や特徴を認めることと、連帯や連携が同一次元
で語られている賢治やみすずの世界と、「差異」や「区別」が弱者の「抹消」につながる
ファシズムの世界との差異に気がつく。そして、それは賢治やみすずにおける内的世界に
おける自然(生き物を含む)や人間への深い共感と愛である。これを民主主義と表現する
ことが許されるならば、彼らにおける民主主義というテーマが成立可能である。
 みすずにはもう一つ「大漁」という作品がある。
      大漁
   朝焼け小やけだ   大漁だ
   大ばいわしの    大漁だ
   はまは祭りのようだけど
   海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう
            (金子みすず童謡集『わたしと小鳥とすずと』山口県教育会)
 「大漁」と何万の鰯の弔い、この事実として背中合わせになっている現実、しかし、わ
れわれは「大漁」しか見ず、鰯の弔いなど想像だにしていないという現実に触れると、自
分の中に今までは欠落しており、しかしこれからは対象設定が可能な、大切な何かが芽生
え始めるのを感じる。
 常に、命の大切さは語られている。確かにそれは絶対的な真理である。しかし、戦闘状
態において敵(人間)を多数殺戮した者が英雄と呼ばれる。人間は、そもそも他の生物を
殺すことによってのみ生きている事実がある。たの命を奪うこと、それを否定すること、
自己否定することは、今度は命ある者(自分自身)への冒涜である。したがって、命の大
切さを語るときには、このパラドックスの中におり、その意味では、命の大切さという命
題は絶対的であるとともに、相対的真理の上に乗っている、ある脆さをもったものである
という位置づけが必要である。みすずのこの童謡には、喜びすぎていることへの抑制され
た形での批判と、素直な鰯一族への愛情が示され、自然との交情が持つ大切な意味が語ら
れている。周辺の事象への鋭敏でかつ正確な心象風景の有無が問題なのであり、粗野では
なく、貧しさではなくて心が豊穣であることの意味が確認されるべきテーマなのである。
 宮沢賢治は岩手県稗貫郡花巻村に生まれ、金子みすずは山口県大津郡仙崎通村に生まれ
た。名古屋、東京、大阪、京都、福岡などの大都市ではなくて、辺境(フロンティア)と
言っていい「ムラ」が故郷である。本州の西と東である。当然の事ながら交流はなかった。
しかし、ともに、1920年代が青春期であり、30年代にはいって若くして亡くなっている。
注目されるのは、両者の内的世界の親和性である。賢治は男性的な感性でかたり、金子は
女性的なみずみずしさをもっている。そのような違いはあるであろう。しかし、両者は、
普通なら、気もつかずにそのまま通り過ぎてしまうところで、じっと足を止め、たたずみ、
同情と共感とを通じ、賢治は「病気の子供」「疲れた母」「死にそうな人」そして30年代
の農業恐慌を連想させる「ひでりのとき」「さむさのなつ」に痛みをおぼえている。金子
の場合は「小鳥」「大ばいわしの家族」との「連帯」を表明している。
 「雨ニモマケズ」が書かれた昭和6年といえば1931年、1929年のニューヨーク株式市
場における株価の大暴落をきっかけにし、企業が倒産し大量の失業者が出てき、銀行閉鎖
と個人資産の喪失等により資本主義世界全体は何度めかの深刻な混乱と苦悩の中にあっ
た。「29年大恐慌」といわれている。しかし、29年は恐慌の年というより、その始まりを
示すものである。アメリカで見ると失業者数は29年が155万人、30年で434万人、31年
800万人、32年、33年がピークで1200万人である。銀行閉鎖は29年が約660行、30年
は1350行、31年は2290行、32年は1450行、33年が4000行である。つまり、賢治が病
臥のなかで詩を書いたのは世界的に恐慌がますます深刻な様相を見せ、かつさらにひどく
なる時である。
 このような世界恐慌そして20世紀2度目の世界大戦とそれに向かう20年代、つまり
時代としての大戦間期につき、フレデリック・L.アレン『オンリー・イエスタデー』(研
究社、1975年)を訳した藤久ミネは言う。「10年代と40年代に、2つの大きな戦争を経
過した今世紀初頭の時代の流れは、各10年毎にそれぞれ際立った特色をもっている。…
゛幻滅゛が、当時知識人のあいだに流行した20年代のイメージとすれば、アレンが30年
代に与えたイメージは゛黄昏゛である。・・゛黄昏゛は戦争前夜のあるイメージを、詩的
に表現している」(415n)。幻滅という。戦争は終わったが、ヨーロッパ大陸では混乱が、
ドイツ、フランスなどの間には相互不信と醜いエゴイズムが残った。黄昏という。つかの
間のいい時代、ある相対的な安定期は終わり又再び殺戮の時代が来る。すでに、明るい陽
光は消え、ただ夜の訪れのみであるという確実な予感がある。同時代の日本は、反動恐慌
(1920年)、震災恐慌(1923年)、金融恐慌(1927年)、世界恐慌(1929年)という連鎖、
第一次世界大戦―恐慌―第2次世界大戦という流れ、戦争と恐慌が継起する時代であった。
賢治とみすずが生きた時代はこのような時代であったのである。
 人は自分がどのような時代にうまれるか、どのような地域にうまれるか選択不可能であ
る。時代を選ぶことは出来ず、さしあたりは自らがうまれた時代を把握しようと努め、理
解し順応しようとする。二人が偶然同時代を生きたその時代はこのようである。激動の時
代と言えるからこそ、悲しいまでの優しく深い感受性で時代の空気をとらえた。皆が無視
したままで通り過ぎ、気がつかない世界を見つめ、心の世界で手をさしのべ「連帯」と「支
持」を表明した。
 自分自身の精神世界が漂流を続けている今、1920年代、30年代という熱病の時代
を生きた宮沢賢治と金子みすず、この二人の世界を考え続けることは無駄ではない。賢治
における、なめとこ山で猟師にわびる熊の言葉、祈るよだか、蟹の親子の会話、紺三郎と
狐小学校、みすずにおける、繭に入るかいこと墓に入るひとの童謡、げんげ畑と黒牛、野
の生き物を含む自然へ感応する精神は継承されるべき彼らからの贈り物である。多分、知
っていたであろう第1次世界大戦における880万人といわれる死者の数、彼らのすぐ前
方に迫っていた第2次世界大戦、そこにおける5000万人を超える死者、その間をつなぐ
恐慌、この時代の空気の中で彼らは生きたことは事実であり、それらは賢治、みすずに無
意識的な領域を含めて、ある特有の時代感覚を醸成させていたであろう。かれらは、自然
と人間に深く入り込み、そして表面的には爽やかな感覚を表出した。しかし、内的世界に
おいて、解決と解放への入り口を求め続けつつ、同時に、それを見いだすことが出来ない
焦燥感をおぼえる一瞬は確かにあったであろう。(2001年6月1日)






         


笑顔をひきだす音楽の実践を目指して O/A

 受験科目重視で音楽の授業数は削減される傾向にあり、また、技術革新、IT推進の中で
音楽も機械化、デジタル化が進み、アコースティックな音楽に触れる経験は更に少なくな
っている。
 しかし、そんな時代だからこそ真の情操教育、人間教育が求められるのではないか、音
楽の授業においても、技術習得にこだわるのではなく、心に訴え、心を呼び覚まし、心を
豊かにするような音との出会いを追求し、そしてそしてそれが豊かな心と心、人と人との
関わりに繋がると考えている。
 今回は、これまのでの自分の音楽との関わり(実践、研修)から到達した現時点での結
論をまとめてみた。

 音楽教育は「心の教育」である。音楽を聴くこと、奏でることを通して「感じる、感動
する」「伝える、表現する」心を豊かにしてほしい。特に私は障害児学校に勤めるものと
して学校の授業での実践を通じて生徒の自我のめざめを促し、豊かな感性を養い、また身
近なところから音楽に親しむことを通じて生活・余暇にも音楽をとりいれるきっかけを提
供できれば、と考えている。

 音楽では自分の思いや感性を最大限尊重できる。正解・不正解にこだわったり、他人と
競ったり比べたりすることなく、自分の感じた思いや伝えたい思いに自信を持ち、そして
その思いが「(他の誰でもない)自分の音楽」となって表現(演奏)できればそれはどん
なプロにも劣らない素晴らしい演奏ではないだろうか。これは私が「音楽教育は心の教育
である」とする理由の一つでもあるが、「自分がまるごと認められる安心感」をもって「自
分の思いを素直に、自由に表す」ことを経験してほしいと考えている(特に自己肯定しに
くい子どもたちにとっては大切なことなのでは)。

 そしてまた、音楽において一番大切なことは、まず「楽しむこと」である。楽しくない
ものには興味も意欲も湧かない。音楽においては基本的には何の義務も責任も存在しない
のだから精一杯わがままになって自分の心地よさを追求することができ、「もっと楽しく」
「もっと充実感を」という思いはそのまま技術向上への意欲となり、主体性を養うことに
も繋がるだろう。

 楽しく取り組むためには、まずは容易でなくてはならない。楽譜に正確か、音や声がき
ちんと出ているかだけにとらわれて音楽本来の目的を見失ってはならない。また取り上げ
る教材(曲、楽器など)も本人が興味を示すものでなければならない。自分ひとりで楽し
む音楽なら、自分で選び出すことができるが、授業でみんなが取り組む曲を選ぶ場合は、
できるだけみんなが興味を持てるような曲を選ぶことが大切である。必要に応じて既製の
曲を分かりやすくアレンジしたり、オリジナル曲を作る方法もあるし、歌詞を寸劇仕立て
にするとか、アレンジ楽譜を作るなど提示の仕方も工夫するべきであろう。

 音楽の良いところは「いつでも、どこでも、誰でも、何でも」できることである。もち
ろん楽器や設備、場所等の環境が整うにこしたことはないが、何もなくても、人数が集ま
らなくても音楽を楽しむことはできる。完成された楽曲や商品としての楽器だけに頼らな
くても心の叫びや日常生活の中の様々な音が心をうつこともある。

 私たちの周りには自然音、人工音とも含めて実に様々な音が存在するが、そんな中から
興味のある音を見つけ出していくこともできる。「耳を澄ませる」ことで日頃何気なく聴
いている音に違う響きを感じたり、音の中にリズムを感じ取ったり、逆に静寂を味わった
りすることもあるだろう。

 音はただ「鳴っている」のではなく、音色や音量、複数の音の重なり、リズム感など様
々な要素をもっているし、逆に「鳴っていない」状態も重要で、特に曲のフレーズの中に
は必ず呼吸(区切り)が存在する。もちろんメロディーやリズム上の流れの中に休符が含
まれるものもあり、また、静寂があるから生かされる音も多くある。いろいろな音楽を聴
き、いろいろな思いをめぐらせることが自分の感性を磨くために大切である。

 また、音楽からは表情や動きも引き出される。音楽によって気分や表情が変わったり、
音楽に合わせて自然に身体が動いたりする経験は誰にもあると思うが、これらのことを少
し意識するだけで、音が「耳から耳へ」伝えるだけでなく「心から心へ」伝えるものであ
ることが実感できるであろう。授業では豊かな表情を引き出すためにリラックスさせたり、
逆に感情を高めたり、また手遊びやダンス等の動きを取り入れたりするが、これも決して
無理強いするものではなく、あくまで本人自らの心の動きを促すものでなければならない。

 「何もなくても」とはいえ、もちろん良い教材を取り入れることも大切である。音楽に
関しては生演奏に勝るものはないが、鑑賞教材や楽器等で様々な音楽を見て、聴いて、触
ってみることでより親しみがわき、興味が広がる。また、いうまでもなく楽器は鑑賞する
だけでなく自ら演奏する楽しみも追求しなければならない。

 取り入れる楽器であるが、高度な技術や体力を要するものは苦手意識を形成させ、自主
性を抑圧させる恐れがある。自由に触れ、のびのびと音が出せる楽器との出会いは、より
音楽表現、自分表現の可能性をひろげることに繋がるだろう。
 そして、音楽を高め、もっと充実感を追求したい、その上でもっと高い技術を見に付け
たいと思えば自分で自分に厳しい練習を課せばいいし(実はそれが難しい)また、ソロだ
けでなくアンサンブルの楽しさ、難しさを経験していくことも大変よいことだと思う。
特に、アンサンブルは、人との関わりを深めるという点でも大きな意義がある。個々それ
ぞれの思いを大切にしながらも、みんながいるからより楽しい、みんながいるから頑張れ
る、みんなで奏でるからより音に深みや迫力が増す…等、集団の力は計り知れない、一見
個と集団の両立は難しそうでもあるが、決して比べたり競ったりせず、みんなそれぞれ素
晴らしい、という観点を大切にすれば、一人もよし、みんなもよし、みんなでいる時を大
切にしよう、ということになるのではないかと思う。その中で集団のルールやマナーを尊
重する思いも育まれるのではないかと思う。

 学校の授業においては友達、仲間との関わりを深めるためにも「みんなで楽しむ」こと
を大切にしたいと考えている。
「音楽を通して人(自分)と向き合うから楽しい」
「ゆったりとした心で向かい合えれば、人って素晴らしいものだと気付くことができる」
学校で、そんな仲間作りをしたいと願っている。

         


歴史の流れに人生をかさねて

○○さん、
○○さん、
 こんにちは、○○です。10日の入試を控えて少々風邪気味ですので自重
しています。そんななかで思いついてことがありましたのでメールいたし
ます。
 「いまの共産党が主張していること、批判していることそのものが、半
分はイデオロギーに拠るものものではなく、人間どう生きるべきかの主張
であり、批判であり、それが私と合致するということである」。ジャーナ
リストの黒田清さんは、近著『世紀末日本をわらう』のあとがきでそう書
かれているそうです(00'2'1『赤旗』)。
 私は「イデオロギー」について別の考え方をしていろので、「イデオロギ
ーに拠るものものではなく」という点はうなづけませんが、共産党の主張
は「イデオロギーに拠るものものではなく、人間どう生きるべきかの主張
であり、批判」であるとの氏の指摘には大きな共感を覚えました。
 1月末のいわゆる「定数削減」の自自公による単独採決による国会破壊は、
ただ単に多数派による横暴と言うのではなく、いくつかの弱点を伴いなが
らも戦後50年以上も続いて来た私たち国民の政治参加の基本的なルールそ
のものを、根本から否定するものです。それは黒田氏の言われるように、
もし私たちか人間の生き方というものを社会とはまったく孤絶したものと
して考えるのでなければ、まさに「人間どう生きるべきか」に関わる重大
事です。
 今ここに窮まった感のある政治状況ですが、振り返ればこの数年間の政
治の動きは、そのさまざまな局面で私たちの生き方そのものへの問いかけ
の度合をますます強めつつあるように思われます。世界第2の軍事力を世
界各地でのアメリカの戦争行為の支援に充てようとする「ガイドライン法
(=戦争法」の制定、ゼネコンを潤し福祉・教育を圧迫するだけの積年の開
発至上主義がもたらした645兆円という未曽有の国家財政の赤字とそれを
どうとらえてか「私は世界一の借金王」と言って恥じない首相、そしてあ
たかも当然のことのごとくに横行する「リストラ」といった事態は、世界
でも類を見ない「ルールなき資本主義」が私たちの日々の暮らしと鋭く対
立するばかりでなく、そのもとで私たちがいかに人間として生き抜くこと
ができるかをも深刻な問題として投げかけているように思えます。
 そしてこのような形で鋭く私たち自身の生き方そのものを問いかけるよ
うな事態はそう多くはないと思います。私自身の経験に照らして言えば、
高校生から大学生にかけての「ヴェトナム反戦運動」の高揚がそうした時
期でした。北爆が始まった頃の私にとってこの戦争はただ非道いもの、早
く終わらせなければならないものとい以上のものでもなければ、またそれ
以下のものでもありませんでした。そして大学生になった年にはじめて見
た10.14日、そして10.21日の国際反戦デーのデモ。見たこともないよう
なたくさんの人たちの隊列、はじめて聞く力強い歌(それが『インターナ
ショナル』という歌だということは後から知りました)。そこに感じたも
のは歴史を,、そして政治を変えようとする大きなエネルギーでした。そ
してそこでは人として生きていくことと政治を変えることが一体のものと
して目の前に表れていました。もう30年以上も前のことです。そして数
年前から私はあの時自分のなかに感じたものが蘇ってきているように感じ
始めています。
 もちろんそこには大きな違いもあります。30年前はなるほど日本自身が
アメリカのヴェトナム戦争の前線・兵站基地であったことは事実ですが、
私にとっての怒りはあくまでもヴェトナムという他国で起こっていること
に向けられていました。しかし今問題なのはこの国での私たち自身の暮ら
しの問題、日々の暮らしそのもののなかでその暮らしをどうしようもない
形で歪め、壊そうとする者たちへの怒りです。この怒りは私だけのもので
はなく、そうした怒り、あるいは今だ怒りにはならないものの深い不満は
今大多数の国民に共通のものだろうとも思います。
 社会や政治の有り様それ自体が人の生き方そのものを問うような事態は
歴史的に見てもそう度々あろものでもないでしょう。かつての60年代後半
から70年代にかけてのそれを彷彿させるような、しかしまたそれとは異
なった深刻さを伴いながら今進みつつあるこの時代の流れに竿さしながら、
その行き先を私自身の生き方と重ね合わせながらしっかり見つめていきた
いと思います。

         


パソコン通信友達、ZSさんと

雑賀さん、こんにちは。ホームページ見ました。すごいですねぇ。たくさん作
っておられるので、驚きました。
いくつか、気になる点ですが、index.htmlがないのでしょうか。最初にアクセ
スすると、ホームページというより、ディレクトリー内容が表示されています。
  画像がおおい。ちょっと表示に時間がかかります。かわいい女性の画像は個
人的には嬉しいのですが.....。
といううわけで、私も負けずに作ろうかな、と思っています。今後ともよろし
くお願いします。
 なお、カウンターの作り方は、プロバイダーによって違いがあると思います。
私も最初はわからずにいましたが、いつのまにかスットとできてしまいました。
・・・・役に立たない情報ですみません。

 ****ZS****
………………………………………………………………………………
 ZSさん。メールありがとうございました。
 私のホームページ、自分でも驚くほど、何の知識も費用もなくできてしま
ったのです。持っている本は「これなら誰でも作れる”超簡単”ホームペー
ジ」(1600円)という一冊だけ。FTPソフトは雑誌の付録で「小次郎」と
いうのを見つけて、使用料800円を送りました。ホームページ作成のソフ
トも持っていません。息子がそんなソフトをもっているので、近くもらうつ
もりです。
  今のやり方は、「廃材利用」です。適当なホームページをゲットして、一
太郎で読みだして、中身も色も構造も変えてしまうというやりかたです。

  ところで、インデックスというものがないという問題ですが、私のホーム
ページのアドレスは、「………saikam/saika.htm」で宣伝しようと思うので
す。そうすれば、「雑賀実験室」がインデックスということになるのではな
いのでしょうか。ところが、saikamをのぞいてみると舞台裏が見えてしまっ
て、必要ないゴミ箱のショートカットから使っていない水着姿の女の子まで
入ってしまっているというわけです。
  息子には「飯島愛というのは、もとAV女優だったこと知ってるの」(知
らなかったが、これはかわいくて上品な写真だからいいじゃないか)とか
「著作権問題にならないかな」などの問題提起をされています。
  こんな具合だから「実験室」と逃げの手を打っているわけです。
  アドバイスをよく読んで研究してみます。
  ところで、TEN−NETのホームページ、もっと中身を豊かにしたいで
すね。豊かになりすぎると「パソコン通信」の会費をはらわなくなると困り
ますから、ショーウインドウにとどめなくてはならないのでしょうが………。
 「全労連の部屋」は、全労連のホームページが充実すると存在価値がなく
なるのでしょうか。これからの生き延び方は難しくなりますね。

  また、お教えください。
                             雑賀光夫
………………………………………………………………………………
こんにちは。
 インデックスもついたとのこと、良かったですね。私の方も時々いじって
みるのですが、内容の構成がしっかりできていないし、載せるものも準備で
きていないので、いまいちです。それと、接続がTAとプロバイダーの間が
いまいち不安定なようで、ときどき遅くなったり、つながらないこともあっ
て困っています。
 そのうちに、作ったニュースをそのままHPの一部に載せたいと思ってい
ますが、いつになるやら・・・・です。 ではまた。
     ZS  
    ………………………………………………………………………………
         


仲間からの助言

ホームページにてアクセスカウンタを入れたいそうですが。


(この部分をよみたい方は、ゲットして一太郎で読んで下さい)
をホームページに入れれば良いと思います。(ナックスネットでは)
”Count.cgi”のCは大文字です。
詳しくはナックスネットのホームページ
(http://www.naxnet.or.jp/member/counter.html)に
アクセスカウンタ(無料)の使用方法があります。
………………………………………………………………………………
> 「AUTO FTP」を手に入れました。立ち上げてみると、「マイクロソフト
>> お教えいただけるみなさんのメールか電話をお待ちしています。
>
まず、何はともあれ、メールの環境が整ってなによりです。おめでとうございま
す。雑賀先生のWindowsの利用度がわかりませんので、全く的外れのアドバイス
かもになっていたら失礼します。
 さて、AutoFTPの件ですが、最初にきちんと解凍できているでしょうか?
もし、その辺がうまくいっていないなら、Lhasaなどの解凍ソフトを手に入れて
ください。
 きちんと解凍できた後の起動画面を添付しておきます。
ファイル名は AutoFTP.gif です。インターネットエクスプローラー等でみる
ことができます。それでは、がんばってください。
………………………………………………………………………………
お久しぶりです。
○○です。
先生のホームページを拝見しました。
アクセスカウンターですが、テキストページでNAXNETのホームページに記載
されているように記入すれば、うまく稼働するはずです。
私は、ホームページは作成していませんが、INTERNETには毎日アクセスして
います。
それから、先生のメールの宛先が間違っています。たぶん、saikam@naxnet.
or.jpではないですか。ピリオドが一つ多いようです。
(はじめこんな間違いがたくさんありました。まだあるかもしれません。な
おしていきます………雑賀)
………………………………………………………………………………
         


ホームページを見ていただいた仲間より

雑賀先生
ごぶさたしています。あいかわらず、暑い日が続いていますがお元気ですか?
ハンガリーから、日本に帰国して、はや一年が過ぎました。麦の郷で障害者の人
と関わる毎日です。そして高齢者協同組合(福祉生協)づくり。とりわけ農村で
の地域作りのお手伝いをしたく頑張り始めています。 私がやりたく思う仕事と
自分が信じる事を少しずつやってます。日本の激動社会同様、私の生活も激動し
てます。
 今日、たまたま、先生のホームページを興味深く観ました。あいかわらずの学
習意欲にびっくりしまし
私が、長く農民運動に参加したことと、ヨーロッパで苦労して勉強したことを活
かしたいと思っていま。
 ヨーロッパの農業農村については、私が取材研究した国はわずかですが、日本
の革新的といわれる陣営の人たちと、ヨーロッパ農業について異なった意見を持
っています。そのことを論文に書き上げたいと思ってましたが、どんどん時間が
経ってしまいました。あきらめずに、さらに研究を継続したく思っています。ど
のように考えたらいいのでしょうか?ヨーロッパの国々は年々自給率を向上させ
ているのではない。食料に対しての文化が日本とずいぶん違う。有機農業をドイ
ツ政府が奨励するのは、地下水が化学肥料により汚染され浄化する費用を考える
と、有機農業を奨励した方が安くつく。などなど・・・。
 友人の坂東先生(法政大学講師、成蹊高校教諭)のおかげで、私のヨーロッパ
滞在記録がビデオ編集されました(1部 ブダペスト生活記録。2部 ハンガリ
ー取材。3部 ヨーロッパ各国 テーマ別取材)今まで、2百数十名の人が観て
くれ、好評をえました。小川真知子先生や明野さんも。立教大学経済学部や立命
館大学産業社会学部の学生さんも。一年の取材を180時間かけて84分に編集
しました。ご希望でしたらお送りします。
 最近の話題は、夏休みにウランバートルに友人を尋ね、あまりにも日本との違
いに驚いたこと。モンゴル人が刺身や湯豆腐を食べれないことなど・・・。ユー
ゴ、ハンガリー、ベトナム、韓国、モンゴルとブダペストで知り合った人たち
と、今もe-mailや手紙で友情が続いています。20才ぐらに、留学していたら、
まったく違う人生になったと思います。日本にいて、外国語を使う機会は、今の
職場でなく、どんどん憶えた言葉を忘れていっています。でも、10月からドイ
ツ語を勉強します。楽しい私の趣味ですから。
 それでは、お邪魔しました。失礼します。       
                                    
       ○○○○
………………………………………………………………………………
和教組大会の後、雑賀の実験室見ました。
充実していてびっくりしました。
これから時々覗きます。また友達にも紹介します。
時々内容と無関係にかわいい女の子の写真が入っているので、雑賀先生らし
くなくて、びっくりしました。(おかげで表示に時間がかかる。)

  《返信》
  ありがとうございました。
アイドルの写真集から引っ張りだして気に入った子をのせました。息子にみ
せたら「この子AV女優出身だということお父さんしってるか」と聞かれま
した。「この写真は、かわいくて上品な写真だからいいじゃないか」といっ
てそのままにしています。
 私の雑文は役に立ちませんが、全教の見解などは使ってもらえると思いま
すので、支部に提供してあげて下さい。
雑賀光夫  

………………………………………………………………………………
雑賀先生のホームページを見つけてあっちこっち見ながら読みました。いつ
ごろからこのページを開いたのですか。でも偶然ですが発見できました。内
容は先生の特徴をあらわしていると思いますが、全体的にもう少し整理して
もらった方が読ませていただく上でありがたいと思います。
和教組のホームページも開設されるといいですね。若い人や組合員の力を結
集するような形でできることを期待しています。
-
《返信》
見つけていただいてありがとう
実は、5日から今日まで、甥っこがドイツで絵の勉強をしているので、家族
ぐるみで行ってきて帰ったところです。
 さて、このホームページ、4月頃からはじめました。和教組が始めるとい
うので実験的に始めてみたら、おもしろくなってきて………。ワンパターン
だけれども、発信するデータだけは、いっぱい手元にあるから。
 民研のものなど、事務局長・編集長の了解をもらってやっていますが、和
教組ホームページのニュース性を損ねてはいけないと遠慮して、宣伝をして
いません。和教組がホームページを開くときは、重複部分を削除するという
実験的なものでもありますし………。
                            雑賀光夫
………………………………………………………………………………
 教育・組合関係のページをネットサーフィンしていて、偶然雑賀先生のペー
ジに出会いました。都会でばったり顔見知りの人にあったような気分です。
 こういった資料がインターネットですぐに引き出せるのは、私のような整
理下手には大変便利です。最新の資料だけでなく、和教時報でたびたび引き
合いに出されるような法令や教育長回答なども見られるようになるといいな
と思いました。
 和教組のホームページが開設されるという話も耳にしています。楽しみに
しています。

《返信》
見ていただいてありがとう。
和教組がホームページをつくることになり、その検討委員になったことから、
実験的にはじめたものが、けっこう大きくなりました。
民研の事務局長、月報編集長の了解を得て、「月報」の原稿をいれてみたの
がはじまりです。
カウンターがついたのは、5月頃からでしょうか。
和教組のホームページのニュース性をそこねてはいけないので、私のホーム
ページのことは、和教時報などに紹介することは控えています。

親戚の者がドイツにいるのでしばらく行ってきて、今日帰ってきたところで
す。帰ってきた久しぶりにメールを読んだら、先生と和歌山市の○○先生か
ら同じようなメールをいただいていました。
これからも宜しく。いろんな情報をお送り下さい。

雑賀光夫

         


フランス唯物論の研究者より


前略
私はフラン18世紀の啓蒙思想,とくに唯物論哲学を研究しています.エキ
サイトという検束ウェブで「啓蒙」を検索していたところ雑賀さんのホーム
ページに「当たり」ました.私はこのごろ今の哲学(といっても大学でやら
れている「講談哲学」ということですが,多くの場合そして残念ながらマル
クス主義哲学も含めて次第に哲学では無いのではないかという気がしてきて
います.たとえば「思想」という言葉がありますが,これは「考えられたも
の」というのがドイツ語でもフランス語でももともとの表現です.そうする
とそれは「人が考える」ということの結果としてまた人の考えを規定する,
そういうことが基本にあるはずなのです.そしてそういう形で少なくとも西
欧では「思想」をとらえてました.たとえばパスカルの「パンセ」はそうい
うものです.ところが日本では思想は,そうした人々が考える現実とは浮遊
して学者と言われる人の専有物のようになっている.これはおかしいという
が実感なのです.もっともそうしたことが見えてきたことは良いことだと思
っています.我が国の大多数を占める一般国民,労働者が何を考えといるの
か,そのことを抜きにして哲学が成立しなくなったことをこのことは示して
いると考えるからです.もちろんこの間にある乖離を埋めるのは大変なこと
でしょう.でもそういう方向を我が国における哲学研究も,もし仮にそれが
真理探究を掲げようとするならば必然的にたどらなければならない道だとも
考えています.かつてディドロは「哲学を民衆のものとすることを急がなけ
ればならない」と言いました.それから200年以上たちますが,そのこと
の重要性は21世紀人々が真に自分の力で自分の人生を切り開かなければな
らない時代に向けてますます大きくなっているように思います.
 勝手なことを書きました.雑賀さんのホームページを見て,そうした力を
感じましたので書かせていただきました.
早々
--
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
石川光一(後のあるように、名前を出してもいいとのことで………)
E-Mail Adress: (Bureau)ishikawa@penta.ge.cst.nihon-u.ac.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  おかしなホームページをごらんいただきまして、ありがとうございました。
実は、4月からホームページを開いていたのは、こうした未知の方との対話
ができればいいなと思っていたのです。
  私は、教職員組合の役員で、学問的でない現実に追いまくられている者で
す。大学では、あまり勉強せず、同期の本多三郎、坂井昭夫、柳瀬孝三など
大学院にのこりましたが、私は、郷里・和歌山に戻って教職に就きました。
哲学の吉田傑俊氏は、部落研の先輩です。
  部落問題や教育問題の現実と格闘する武器が哲学だと思っていたのと、民
主主義の問題を理論・思想次元でもとらえたいとの思いもあって、哲学関係
のものを多少読んだ感想を載せたページです。
  奇しくも数日前から、ベッドの枕元に持ち込んだもののなかに、「パン
セ」の岩波文庫をばらしてホッチキスでとめたものがあります。眠れないと
き読んでみようかと10年ぶりぐらいに引っぱり出したものです。こんなと
き、パスカルにふれたメールをいただくのは、何かの因縁なのでしょうか。
(唯物論者らしくないことをいいますが………)
  先生の問題意識を親しい仲間のみなさんに一斉に送ることなどされるので
あれば、そのリストの端っこに私のアドレスを入れておいていただければ幸
いです。


              和歌山市小松原通り3の20  和歌山県教職員組合
                                              雑賀光夫
………………………………………………………………………………
第二信    雑賀光夫

  しつこく手紙が来るとうるさがらないで下さい。こちら、ワインを片手に書いて
いますから。読み流して下さい。
  実は、メールをいただいたとき、先生がどんな方か知らずに、今日、「現代と思
想」(まちがえた、「思想と現代」の方です)の目次をめくってみました。その第
17号で《前号批評》を読みました。
 「現代とフランス革命………視角の交錯………」
  その前の16号ももっているので、読んでみようかなという気にもなりました。
  でも、最近は、この雑誌を買っていません。17号から25号まで飛んで終わっ
ている。出ていればたまには買いますから、7年間買っていないというのは、廃刊
なのでしょうか?
  久しぶりに雑誌を引っぱり出しながら、「思想と現代」になってからおもしろく
なくなったなあという印象を思いだしました。「唯物論」のころは、おもしろかっ
た。「見田=北村・矛盾論論争」が決着をみないままにおわったころから、「抽象
論をやめて現実問題にたちむかう」ということでしょうが、方法論的な鋭さのない、
哲学者でなくても書けそうな「評論」が雑誌を埋めるようになって、私は、この雑
誌を毎号まちかねることがなくなったように思います。
  目次を繰って、「唯物論7」「……MEの思想的成長」(石川訳)を見つけまし
た。ワインを飲んでいないときに読んでみるつもりです。

  なお、いただいたお手紙(名前を伏せて)と私の返信は、私のホームページに紹
介させていただきました。よろしいでしょうか?
  (このメールに、「名前を削らなくてもいい。一市民だから肩書きはけずて」と
のご返事)
   ………………………………………………………………………………
saikam wrote:
> 第二信    雑賀光夫
> しつこく手紙が来るとうるさがらないで下さい。こちら、ワインを片手に書いて
>いますから。読み流して下さい。

第1信にお返事を書かないうちにこちらが先になってしまいましたが,メールあり
がとうございます.

>実は、メールをいただいたとき、先生がどんな方か知らずに、今日、「現代と思想
>」(まちがえた、「思想と現代」の方です)の目次をめくってみました。その第
> 17号で《前号批評》を読みました。
>  「現代とフランス革命………視角の交錯………」
>   その前の16号ももっているので、読んでみようかなという気にもなりました。
>でも、最近は、この雑誌を買っていません。17号から25号まで飛んで終わって
>いる。出ていればたまには買いますから、7年間買っていないというのは、廃刊な
>のでしょうか?

残念ながら1995年の40号をもって廃刊になりました.

>久しぶりに雑誌を引っぱり出しながら、「思想と現代」になってからおもしろくな
>くなったなあという印象を思いだしました。「唯物論」のころは、おもしろかった
>「見田=北村・矛盾論論争」が決着をみないままにおわったころから、「抽象論
>をやめて現実問題にたちむかう」ということでしょうが、方法論的な鋭さのない、
>哲学者でなくても書けそうな「評論」が雑誌を埋めるようになって、私は、この雑
>誌を毎号まちかねることがなくなったように思います。
>目次を繰って、「唯物論7」「……MEの思想的成長」(石川訳)を見つけました
>ワインを飲んでいないときに読んでみるつもりです。

これはずいぶん昔の,しかも翻訳物ですが……

>なお、いただいたお手紙(名前を伏せて)と私の返信は、私のホームページに紹介
>させていただきました。よろしいでしょうか?

  結構です.名前を伏せる必要もないかとも思います.ただその際職業,所属は伏
せていただけたらと思います.私自身市民社会の1個人でありたいと思うからです.
よろしくお願いします.またメールいたします.
早々
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
石川光一
E-Mail Adress: (Bureau)ishikawa@penta.ge.cst.nihon-u.ac.jp
                        (Domicile)koichi1@air.linkclub.or.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1998年11月12日ごろ受信)
雑賀さんお久しぶりです. 
日大の石川です. 
 「教育の広場」読みました.基本的人権についての考え方や夫婦間の「絶壁」の
こと,ああそうだなと思いました.そして何で人間は2本足で歩くようになったの
かということへの先生の答え方,太田先生らしいと思いながら,またこうした発想
のできる人がたとえば「ユネスコ憲章」前文の「戦争は人の心が起こすものだほだ
から人の心に平和の砦を築かなければならない」というように考えることができる
のだろうなとも思いました. 
 岩波新書から出ている太田先生の「教育とは何か」でしたでしょうか.私はこれ
は哲学書でもあり,人間論の書でもあると考えているものですから,機会あるごと
に学生達に是非読んでくださいと進めています. 
 それからこれはつまらないことですが先生の講演の年が1889年になっていま
した.1998年だと思います.
         (中略)
 それと太田先生のテープ送っていただけるのでしょうか.実費はお払いします.
もしそうしていただけましたら幸いです.
          (中略)
 それから今,来週に向けて「18世紀地下哲学研究の現状と展望,ジャン・メリ
エの「覚え書」と地下哲学」という文章を書いています.メリエというのは18世
紀はじめの司祭で遺著のなかで思想史はじめて無神論と唯物論をひとつのもとして
述べた人物です.日本でもほとんど知られていな
い人物です.もし興味がおありでしたら,論文お送りいたします. 
早々 
   ………………………………………………………………………………

雑賀さん
 日大の石川です.今日大学でE-Mailを読ませていただきました.

私の職場は「理工学部」ですので,私のE-Mailが「白紙」になっている理由を専門
家にたずねたところ、私のNetscapeが勝手にHTML文書にしているからではないかと
言われました.しかしその設定をどう変えたら良いのか分からず,私としてはたぶ
んフォントの設定が Osakaというマックの標準フォントではなかったからではない
かと考え,フォントを直して見ました.
 これで読めるメールが送れると良いのですが.

 ところで昨日カセットを頂戴しました.今朝職場へ行く電車のなかで聞いていて,
びっくりしました.実は今8人の学生と「21世紀をめざして:宇宙船地球号の
「自分」をみつめる」というテーマで 教養ゼミをやっています.半年交替のもので
すが,前期は討論,今は関西労教協の中田進さんの「自分らしさの発見」を材料に
議論をしています.労働組合って何?労働学校って何?科学的社会主義って何?な
どなどみんな分からないことだらけなのですが,そのなかに4年生で就職が決まっ
た学生がこれを1年前に読んでいたらもっていろいろ考えられたという発言があっ
たりで,民青とか共産党とか私はこんなこと大学の授業で話したことがないので少
々とまどってしまうのですが,学生のほうが素直に読んでくれているような気がし
ます.
 話が長くなりましたが,このゼミのテーマとお送りいただいた太田先生の講演が
あまりにも重なるものですから,これをコピーして学生さん達に聞いてもらうこと
にしました.それと実はこのゼミには学生1人あたり2千円の補助費がでます.昨
日までは中田さんの本代を返すか,なにか別の資料をと考えていたのですが,今日
のゼミのときにみんなに,本代返せないのは申し訳ないけれど,太田さんの「教育
とは何か」をこのテープと併せて読んで欲しいと提案しました.
 今の日本の危機を「思春期」の若者や,そしてこれから思春期を迎える子供たち
の「危機」ととらえる太田さんの認識はすばらしいと思います.学生の頃,大槻健
先生から「どんな反動的な人でも,それをあなたは自分の子供にしろと言えますか,
と尋ねるとたいがいは考え込んでしまう」,という話を伺ったことがありました.
未来を作るのは次の世代です.彼らが今どう生きているのか.このことを抜きに
「現在」は語れないことを太田先生の話からあらためて教えられました.
 ところで先の大槻先生が「学徒出陣式」のときの旗手であったことを最近知りま
した.戦後教育運動の実践の現場に寄り添う形で研究活動をされてきた先生の思い
が今になって分かりかけてきたように思います.「新ガイドライン」などを許して
はいけません.(こんなことを書いていると,そう言えば堀尾先生は「非政治的な
教育の政治性」ということで,教育現場の人間が政治に関わらざるをえない必然性
を述べられていたな,とかあれこれ頭に浮かんできますが,これ位にしておきま
す)
 それから私の「論文」ですが,送り先はどちらにしたらよいのでしょうか,お教
えください.
早々
    ………………………………………………………………………………
雑賀光夫です
メールありがとうございました。

-------- 
>  これで読めるメールが送れると良いのですが.

ばっちり、読めます。

>実は今8人の学生と「21世紀をめざして:宇宙船地球号の「自分」をみつめる」
と
> いうテーマで教養ゼミをやっています.半年交替のものですが,前期は討論今は
>関西労教協の中田進さんの「自分らしさの発見」を材料に議論をしています.労働
>組合って何?労働学校って何?科学的社会主義って何?など

すごいゼミをやっておられるんですね。これまでのメールのはしばしからも、現実の問
題にかみ合った研究をなさっている学者の方だとは推察していましたが、改めて感
服です。

>ときにみんなに本代返せないのは申し訳ないけれど,太田さんの「教育とは何か」
> をこのテープと併せて読んで欲しいと提案しました.

テープが役に立って感動です。
大田先生に、まだ講演のときの写真などお送りしていないので、石川先生からメールを
いただいた経過も含めて報告しようとおもいます。

>ところで先の大槻先生が「学徒出陣式」のときの旗手であったことを最近知りまし
>た.生後教育運動の実践の現場に寄り添う形で研究活動をされてきた先生の思いが
>今になって分かりかけてきたように思います.

堀尾先生、大槻先生など私ども教組運動でお世話になっている先生とかみ合って研
究しておられるんですね。
いや、これは、「研究」という狭い分野でなく「関心を持って生きておられる」と
いうべきか。

>それから私の「論文」ですが,送り先はどちらにしたらよいのでしょうか,お教
>えください.

和歌山市小松原通り3の20
和歌山県教育会館内
和歌山県教職員組合
雑賀光夫あて
でお願いします。

砒素カレー事件、和歌山市長逮捕、野田実議員失職、白浜の旅館全焼
「全国紙が和歌山版みたいだ」と冗談をいっていますが、「災い転じて福となす」
弁証法を実現したいものです。
………………………………………………………………………………
雑賀さん
○大の○○です.
 昨日頁を入れ替えた拙論お送りいたしました.
 ところで25日のイギリス上院のピノチェット逮捕正当化の判断についてどう
思われますか.
私はこれはあのフランス革命時の「人権宣言」に匹敵する意味を持つものだと思
います.独裁者の専横がこれからは国際社会のなかでは通用しなくなる.そうい
う可能性を開きました.こうしたことがこれまでの人類史のなかであったでしょ
うか.すばらしいことです.人間の理性とモラルの勝利です.
 そしてその背景にはこの25年間ピノチェットによって親,夫,子供を奪われ
た人々,とくにチリでの「母親の会」の長い苦難に満ちた闘いがありました.不
当な権力によって人の命を弄ぶ者を許してはならない,これが3人の判事の判断
です.そのしたことが25年たって国際社会で主張できるようになりました.こ
れは一種の「革命」です.もちろんピノチェットを実際に裁くためには今後とも
なおいっそうの闘いが必要でしょうし.政治の圧力によって実現しないかも知れ
ません.
 しかしフランスでそのあとに王政復古があったけれども,「人権宣言」は,そ
の後たとえば第2次大戦後の「世界人権宣言」となったように,その輝きを増し
こそすれその意味は決して失われていません.今回の判決そうした意味を持って
いるのではないでしょうか.
 そして日本では26日の新聞は昨年ダンプカーにはねられて死んだ片山隼君を
ひいた運転手が1年たって起訴されたことを伝えていました.これと隼君の両親
が隼君の死,そして検察の対応に納得せずに署名活動を始め,20万人の署名を
集めたことが力になっていました.形や規模こそ違え「人の命」を大事にしない
「権力」との闘いという意味では,ピノチェットと闘ってきた何千の人々の闘い
とその底に流れているものは共通ではないでしょうか.私はそこに21世紀に本
流になるべき大きな流れを見る思いがして,涙が流れました.
 マルクスやエンゲルスは人類のこれまでの歴史は階級闘争の歴史だと言いまし
た.そして原始共産主義社会が解体して以降これまで数千年の間被支配階級は常
に自らの人間的尊厳を権力によって踏みにじられてきました.新しい世紀はそう
したことを廃棄する,文字どおり「人類史の夜明け」になるのだろうか,そんな
ことまで考えてしまいました.
 その意味で26日の新聞は私に大事なことを考えさせてくれました.
早々--
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資本論を読む仲間達

こんにちは、○○です。

雑賀さん
「寺子屋(実験中)」を拝見しました。立派な議論をされていて、とて
も「素人の」とは思えません。私こそ『資本論』については素人ですの
で、よろしくお願いします。

さて、「資本論読書会メーリングリスト」のホームページをご覧になれ
るのでしたら、ぜひ#1683(98年5月9日)をご覧ください。雑賀さん
と同じ議論をしています。「この部分」とは第13章第3節cです。ペー
ジ数は岩波文庫第2分冊をさします。私

>この部分の後半では、機械による生産性の向上ということと、労働の強
>化ということとが、かなり互いに入り組んででてきます。しかし、これ
>はマルクス自身の考えというよりも、工場監督官報告、その他がそうい
>う表現をしていることの反映ではないでしょうか。
>たびたび先回りしてご迷惑をおかけしている第14章では、ちょっと微妙
>な表現をしているでしょう。つまり、労働の強化もまた相対的剰余価値
>を生産するかのような表現を。これは、この節の叙述とは矛盾している
>ように思います。以前のメールでもほのめかしたように、私は、この第
>13章第3節cの方を支持します。つまり、p.386-387
>
>>いまや10時間労働日のより濃密な時間は、12時間労働日のより粗放な
>>時間と同じだけの、あるいはそれよりも多くの労働、すなわち支出さ
>>れた労働力を、含んでいる。したがって、その1時間の生産物は、よ
>>り粗放な1時間5分の1の生産物と同じか、またはより多くの価値を
>>もっている。
>
>この考えからすれば、労働の強化は労働時間の延長と同じように絶対的
>剰余価値を生産するのであって、相対的剰余価値を生産するのではな
>い、となると思います。

また、少し離れますが、#1574では私はこう書きました。

>生産性が向上すれば、一般に商品の生産に必要な労働時間は短縮されます。
>これはどの産業部門で生産性が向上したかに依存しません。しかし、労働時
>間のうちの労働力の再生産に必要な部分が短縮されるかどうかと問えば、そ
>れは、私が#1544で書いたように、どの産業部門で生産性が向上したかに依
>存するのだと思います。
>
>>労働力の価値を低下させるためには、
>>・その生産物が慣習的な生活手段の範囲に属するような産業部門、
>>・生活必需品の生産のための不変資本の素材的要素である労働手段および労
>> 働材料を供給する産業部門、
>>・・いずれかに生産力の増大が起こらなければならない。低廉化された商品
>>が、労働力の再生産に関与する割合においてのみ、労働力の価値を低下させ
>>る。

この辺の議論は、総括的に#1636でご紹介しています。

「労働力の価値分割」については、私はこう思います。労働者一家の再
生産費を担うのが夫と妻の二人ということになること、これは、資本に
とっては(相対的?)剰余価値の増大でしょうし、労働者にとっては搾
取の強化ですし、場合によっては家庭生活の荒廃ですし、食器洗浄機や
わけのわからない家庭用機械の購入、生活費の増大と環境破壊の進行で
しょう。それにもかかわらず、女性が賃金労働者としてはたらくという
ことは、社会の進歩ではないでしょうか。生産性向上一般もそうです
が、このようにして、資本の搾取の強化の武器は、すべて社会主義革命
を準備するのだと思います。
労働者としては、女性の労働権を擁護すると同時に男女の賃金差別に反
対してたたかう、こういう運動だけが革命を準備し、したがってこの問
題を根本的に解決するのではないでしょうか。
いずれにしても、雑賀さんのお考えに私は賛成です。


「最近の教科書では『絶対的剰余価値の生産』『相対的剰余価値の生
産』という言葉が出てこない」という松野さんという方のお話も興味深
く思いました。メーリングリストのArchiveから私の#1544から始まる議
論、その総括は先ほどの#1636にありますが、これもご覧いただけると
うれしいです。

ではまた。
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雑誌「経済」金融・地代の論文をめぐって

雑賀光夫様

拝復
 メールありがとうございました。さっそく、ホームページを(ざっとですが)
興味深く拝見しました。とくに女性の顔写真が出てきたところは、一瞬雑賀さ
んの奥さんかと思いました。ユーモアたっぷりで、いいのではないでしょうか。
 それにしても、あいからずの熱心なご研究には敬服いたします。機会がありま
したら、大泉さんも含めて、楽しく議論できることを楽しみにしております。
 『経済』11月号の拙稿も、論文のスタイルは別として、内容的には非常に多
くの「通説」を根底から批判したものです。ご一読の上、ご批判頂戴できれば幸
いです。
 ますますのご活躍を祈念申し上げます。今日はひとまずお礼まで。

○○○○
………………………………………………………………………………
 経済の論文、読みました。というより、とにかく目をとおしました。
難しい。
 短い雑誌論文に理論問題をつめこんでいるからだろうと思って、前に買ったまま
開いていなかった「大泉・山田編」の本をひっぱりだしましたが、あれも、短いス
ペースに詰め込んだ感じですね。
 やっぱり、資本論そのものを読まなくてはと、まだ読んでいない「第6編」をひ
っぱりだしています。(おはずかしいことながら、第一巻の半分ぐらいは相当繰り
返して読んで、学習協の先生方の悪口をいっているが、第二巻、第三巻は、何度か
手を着けたこともあるが、すぐ投げだしているのです)
 学習協の松野君に、「講師団会議で、お二人に解説してもらおう」と提案してい
ます。そういうことになりましたらよろしく。

雑賀光夫

………………………………………………………………………………
雑賀さんへ

 拙稿をとにもかくにも読了いただき、ありがとうございました。「短い雑誌論文
に理論問題をつめこんでいる」というご意見はまったくそのとおりです。とりあげ
ている理論問題そのものに事前にふれていない場合、あの論文は「難しい」ものだ
と思います(文章そのものではなくて、なにを問題にしているかがわかりにくいと
いう意味において)。しかしその点さえクリアーすれば、むしろわかりやすい論文
だと自分では思っています。これが、必ずしも著者の独りよがりではないというこ
との証拠として、都立大学の池田教授(日本のマルクス主義民法学の代表的論者の
ひとり)の一節を転載させていただきます。

 「感想を言えば、山田さんのこれまで切り開かれてきた理論活動の地平を非常に
分かりやすく論じておられるという印象でした。ただ、いかんせん枚数が無さ過ぎ
です。実にコンパクトに纏めているのですが、私のような土地問題専攻者にとって
は、1998年10月という時に出る雑誌に書く論文としては、時局柄、四の「土地資本
論」と五の「土地革命論」をもっと展開して欲しかったという気持ちがないといえ
ば、うそになり、また過ぎたる遠慮となるでしょう。ちなみに、土地資本論では、
おそらく「資本論」体系(例えば不変資本と可変資本、固定資本と流動資本、といっ
た基礎概念)が螺旋状にもう一度問題としなければならないのではないか、という感
じを直感として持っています。さらに、土地革命論は、要するに階級闘争の優れて
一つ具体的レベルの局面ですから、原論として論じられる部分と各国史を踏まえて
極めて具体的な歴史像を問題としなければならない局面とがあると思います。日本
というやっかいな対象に即して現在の情勢に見合うだけの過不足のない精密さで論
じることは並大抵のことでないと思います。
 しかし、繰り返しますが、それらは想定読者の中心をどこに置くかという問題で
もあります。山田論文は、大学生から大学院生にかけて、実践活動に携わる理論家、
代論を専門としない経済理論家、そして今まで稔りのないスコラ学に沈潜してい
た地代論の専門家に比類のない明快さで、首尾一貫とした理論体系を構築すること
の大切さ(当たり前ですが)を訴えるでしょう。
 その意味では、前半部も大いに意味があり、読者を既に公刊されている山田さん
の著書へといざなうでしょう。」

 講師団会議のお話、日程があえば喜んで「出前」いたします。
 時節柄、かぜなどひかれないよう、ご活躍ください。
10月20日
○○
(名前を伏せる必要もないし、文脈ですぐ分かるが、行きがかり上○○とし
ます。………雑賀光夫)
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アメリカの友人から



Hi Mitsuo, and Yasuko,
    I see your post card from Germany. It must have been fun for you to
go to Germany. We would like to viset other countrys, but we are too
buisy.
    I see you have the internet. I have a home page on the web. I have
pictures of things we are doing on it. If you go to

http://home1.gte.net/kenmath/index.htm

and "click" on "What's happening" you can see pictures of us, and places
we go.
  The photoes are not great, but they are OK. I use a camcorder to get
them, I have not baught a digital camera yet. I update the home page 2, 
or 3 times a month.
    My email address is kenmath@gte.net
    ○○, and ○○○
    ………………………………………………………………………………
Hi Mitsuo, Yasuko,
    We just returned from deer hunting.
    We went with the motorhome, and camped out in the out back of
central Oregon. The elivation was 6000 ft. and the view was very nice.
We could see very far. We could see Three sisters mountains, and
valleys.
We got some red lava rock for our barbque. And our freezer is full of
meat now. We will send our grandchildren's pictures with this email.
We read your home page in Japanese. We did not see your famely
pictures on your home page.
    We would like to see stories about what you, and your famely are
doing, on your home page.
    The pictures are Samantha, and Tyler.
    ○○, ○○○
………………………………………………………………………………
Dear Yasuko,
 Ken printed your email for me in Kanji.
 I have a hard time to read email on the computer
screen. Because I have wear bifocal glasses.
 Ken is working out of town until the end of the
year. We are staying in a RV park in Canby, OR. near
Portland. We go to our Bay City home on the weekend.
 I have the same feelings as you about my children's
life. We try not to interfere with our children's life.
But it is hard to do.
 Don't worry about your grandson's speech. They talk
better when they get older. I had some concern about
Don, and Wanda's learning to talk, when they were young.
The time they started school they speak just fine.
 I an looking forward to receiving Kainan Fudoki book,
and Nokami Dentetsu video.
 Keep in touch,
  Nobuko
         

資本論と司馬遼太郎を読む仲間

この度資本論MLに加えて頂きました○○です。本年5月T社を定年退職しま
した。技術畑の人間で、学生時代体系的な経済学の勉強もしていません。
この度我流で資本論第1巻を読了、第2巻に入る前にもっと自分の水準を高めないと
いけないと自覚しMLに加えて頂きました。我流の第1巻読書経過はホームページに
載せておりますので、いろいろとご指摘頂けたら幸いです。よろしくお願いします。
………………………………………………………………………………  
………………………………………………………………………………
雑賀光夫様
メール有難く拝見しました。実は雑誌「経済」に小さく載せて頂いた時、もし
も雑賀様の様なメールを何方か下さっていたら、自分ももっと25章を読むの
に励みがあったのにと思いました。随分詳しく読んで下さって、かついろいろ
教えて下さって嬉しく思います。1995年は早速訂正致しました。小生の読書
ノートに藤沢周平の蝉しぐれというのがありますが、ここに井上ひさし氏が情
景描写が違うという指摘が載っていますが、読む人はいつか本当にきちんと読
んで下さるのだなあと嬉しくなりました。早速雑賀様の和歌山寺小屋哲学部を
一生懸命拝読、高校時代からすでに社会科学への情熱が一杯で味わい深い青春
を燃やされたこと素晴らしいと思います。そして今もその延長線上でご活躍、
そして深い思索態度に敬意を表します。
今回ひょんなことからMLに参加させて頂き、松沢さんより最初から日本共産
党に近い人という刺激の強い評価を頂いて面食らっていましたが、雑賀さんは
70年史読後感を一節づつを詳しく説いて聞かせて下さり、少し判って来たよう
な気がします。
ところで雑賀さんは良い名前ですね。司馬遼太郎氏の作品を引用するまでもなく、
由緒あるお名前で、しかも和歌山にお住まいとは、すごいですね。
パソコンをやってますと、時には同姓の西川さんから、お宅の系譜はという質
問を受け、パソコンというのも確かに横のつながりという意味でも面白いものだ
と変な感心をしています。先ずはお礼と、これからも変りませぬご指導を期待
して失礼します。
……………………………………………………………………………
雑賀光夫様
メール有難う御座いました。雑賀様の苗字は、街道を行く種子島の所にも出て
きまして、強く印象に残っていました。定年後シリーズでは、南の方から順に
進んで来まして丁度今週、紀ノ川流域と阿波紀行を予定していたとこでした。
そしてこの紀ノ川流域の雑賀の宴で藤田俊乗さん、有本清さんと共に雑賀様の
ご尊父ご登場とは感動です。
司馬さんも御父上を書いておられます。まことに丁重な物腰の人とね。自分の
大好きな司馬さんの作品の中に御尊父ご登場なんて、すごいことですね。
石川光一先生にご紹介頂きまして有難うございます。チリ大統領のこと、東京
検察庁のこと、格調高い筆の進め方で良く分かります。いつの日か私も名乗り
出て親しくさせて頂ければと願いますが、どうも怖じ気づいてしまい、小生こ
れ以上元気に出かける勇気もなく、またいつか近い日にということにさせて頂
きました。申し訳有りません。
先日安曇野にスケッチに出かけて来ました。今日ホームページにリリースしま
した。御暇な折りに覗いて頂ければ幸いです。先ずはお礼まで。
………………………………………………………………………………

<B>司馬遼太郎と雑賀紀光

西川尚武さんのホームページから ……………………………………………………………………………… (第5章、駄菓子の町) 名古屋市西区は、駄菓子の町。運搬用自転車にリンゴ木箱を幾つも積んで、ふら つくハンドルを握り町中を走る。キャラメル香料の甘い香りが黒塀の中から流れて 来る。叔父の製菓工場も、そんな下町風景の中にあった。  我々、店の者(こぞさとも呼ばれた)は、製菓工場2階の6畳間に4人が住み込 んでいた。部屋の片隅にはリンゴ木箱や、吸湿用ござが山の様に積まれ、布団は2つ しか敷けなかった。自分はいつも伊勢から出てきた登さと一つ布団だった。表通り に面したガラス戸からは、すきま風が吹き込むので、カーテン替わりに、夜になる と窓に吸湿用ござを釘に引っかけてぶら下げた。朝は時になると、階下から、伯父 が大声で「オーイ尚武起きろよ」と声がかかる。急いで階段を駆け降り、コークス の火を起こす。製菓用餅が上がってくる度に、蒸しあがったせいろの段取り付ける のが自分の仕事。餅つきが朝10時頃までかかってしまう朝は、2時間目の授業から となる。教室の後ろ扉をそっと開けて席に着く。いつものことなので、誰にもこち らを見られずに済む。学校から帰ると、餅米砥ぎが自分の仕事。冬の日は手が真っ 赤になる。バケツの底に指先が当たると手が痛い。食事は土間に椅子を下ろして、 暗い木台に向かって急いでかけ込む。炊事のばあさんが、新しくやってきたとき、 皆が鼻拭き用に使っていた布風呂敷きで、飯を蒸したので、飯の中に異物が一杯混 ざり「これはなんだ」と騒いだことがあった。夜は最後に工場を掃除するのは自分 の仕事だ。機械を止めるのはいつも7時を過ぎていた。急いで食事を済まし、部屋 に駆け上がり、リンゴ木箱を机替わりにして、宿題を済ます。いつまでも電気が点 いていると、皆が「おい明るくて寝れんぞ」と怒鳴る。新入りの友さが住み込みに なった時、彼と同じ布団で寝ることになった。夜中、下の方が急に妙な気分になっ て目が覚めた。友さの手が、下の方でゴソゴソで動いていた。彼のそしらぬ寝顔が 憎くかった。翌朝布団にしみが出来ていた。(後年、細井和喜蔵の「女工哀史」や、 エンゲルスの「英国における労働者階級の状態」を読んだとき、下層若年労働者の 生活状態として、一つ布団に2人が寝るという劣悪住居環境が、リアルにえがかれ ていて、自分が置かれていた環境と重なるものがあり、ため息をついたと同時に、 あらためて著者への限りない同志愛を実感した。)前編にも書いたが、母は割れた 下駄を棄てて裸足で歩き出したが、自分の場合は、いつも足の裏に餅の粉がベトベ トとくっついて気持ち悪かった。その内にベトベトが下駄の周囲に真っ黒にこびり つき、足裏の跡だけが丸く残る。この下駄を一晩水に浸し、翌朝へらでこそいでベ トベトを削りとる。寒くても、厚着のセータが買って貰えるわけでなし、上着を重 ねるよりも、シャツの下に新聞紙を入れていた方が温かいと知った。「尚武の背中 を触ると、ゴソゴソ音がするぞ」と皆に言われた。なるたけ皆に背中を触らせない ように、身体の向きに気を遣った。炊事のばあさんは、朝早くやって来て飯を作る。 見ていると炊事衛生は無茶苦茶だ。飯の中に何度もゴキブリが混ざっていて、今で もゴキブリがどんな味をしているか鮮明に憶えている。時々味噌汁の中にもゴキブ リが浮いていた。夜はいつもくたくたになって寝てしまう。しかし、布団の上で猫 が鼠をがりがり食べているのに気付いていながら、この猫を追い払う力も無かった。 今思い出してもやりきれない。  猫を追い払う力も無く、そのままにしておいたら、いつまでもがりがり、がりが り音を立てて鼠を食っていた。今でもその音ははっきりと憶えている。学校で必要 なお金はその都度、叔母に申し出て現金を貰った。教科書は極力友人に借りたり、 遠足の日は休んで、工場で働いた。伯父も気付いて居ながら何も言わなかった。学 校の成績は廊下に張り出される学年順位でいつも良い位置にいた。生徒会会長に選 ばれた。ただ、生徒会があると下校時間が遅くなり、伯父にぶつぶつ叱られた。高 校進学が近づき、皆が塾へ通い出すようになると、順位は次第に下がっていった。 自分は高校進学の気持ちは無かった。早く就職して母を楽にして上げたい。世の中、 夜間高校もあることだし、父親の無い子供、中卒資格だけでもしょうがないや、そ う軽く考えていた。  小学時代の生徒会顧問に高木先生という大変目がキラキラした先生がみえて、 「西川君これ読んでみたまえ」と、「やまびこ学校」を渡されたことがあった。こ の作文集から貧乏はじっと見つめるべき大切な主題であることを子供心につかんだ。 しかし、自分が父を早く亡くし、すごい貧乏の中に居るという現状は自覚しても、 だからどうすべきかは何も判らなかったし、誰もそのことで、ヒントになるような ことも教えてくれなかった。  ただ、ある日、学校図書館で借りた、吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」 の中で学問を一生懸命努めて、自分が学問の頂上に登りつめれば、そこから素晴ら しい人生が眺望出来る予感がした。よし、自分も高校に進学しよう、そう決心した のは、この本を読んだお陰だった。  後年、叔母は尚武チャンあの頃は苦労させて何にもしてあげられなく、本当にご めんねと言われたことがある。自分は全然周囲に反感なぞ持った事はない。ただ、 この世に貧乏人と金持ちがあり、貧乏人は働き、金持ちはいい所に住んで、良い服 をきて、良い学校に行く。世の中には大きく全く違う2つのグループがあり、自分 は貧乏人グループにいると自覚した。しかし貧乏である苦しみを叔父さんや、叔母 さんに向けてしまうのはお門違いだといつも思っていた。西区の町は、貧乏人ばか りの町だが、西区の中でお互いにいがみあっても、どうしようもないと実感してい た。  「やまびこ学校」の作文集では、この貧乏問題をきちんと考え抜いて、立派な作 文に仕上げている、目のキラキラした高木先生も一生懸命この問題を私に気付かせ ようとして、西川君自分のことを是非作文に書いてみなさいと呼びかけて下さる。 貧乏に対する考え方は、自分が生きていく上に非常に重要な問題だと感ずき始めた。 このことは本によって知ったのではなく、毎日の貧乏生活の中、無意識の内に体感 したというべきだ。次第に自分にも、社会の焦点が見えてきたように思った。この 世の中、貧乏人がいつまでも泣いてはいけない、そう考える様になった。  東京の叔父の家から高校にやってもらえる事となり、名古屋の伯父の家を去った 後、今度は弟東亜雄が伯父の製菓工場で働くことになった。弟は貧しさの怒りを、 親戚である伯父達にぶっつけて、伯父を糾弾する手記を学校新聞に投書し、これが 伯父の目にとまり、伯父はかんかんになって怒ってしまった。自分は急いで伯父の 家に謝りに駆けつけた。  弟は問題の大切なところを間違って考えている。本当に自分達を苦しめているの は、伯父達ではなく、世の中、貧乏人グループと金持ちグループがいて、貧乏人グ ループが、金持ちグループに苦しめられているのだ。ここんところの社会の仕組み は、複雑でなかなか判りにくい。しかし、伯父も貧乏人グループの一人だし、味方 の一人なのだから、伯父を憎んではいけないと弟に言って聞かせたが、何故か弟に は最後までこの言葉の意味は理解出来なかったようだ。相変わらず伯父達との間で、 しこりが残ったままだった。弟は高校進学を自ら諦め、中学卒業後、直ちに就職し た。どちらかといえば、激情派に属するタイプかも知れない。母は弟こそ、兄弟の 中で一番素直だし、頭も良く、根性もしっかりしていると常に言っていた。弟は後 年、兄が大学まで進み、自分は中学だけで終わったことを、一度も愚痴ったことは 無かった。しかしその弟も56歳にして、或る冬の日、 心筋梗塞で近鉄名古屋駅で倒れ、還らぬ人になってしまった。残った家族は、30年 前自分達が味わったあの淋しさを、女ばかりの家庭で味わっている。  貧乏人と金持ちが、社会の中でどういう具合に、絡みあっているのか、高校に入 って幾人かの社会科学研究班の先輩達から本を貸して貰う度にはっきりしてきた。 柳田謙十郎の「日本の良心は如何にあるべきか」という1冊は、中学時代のもやも やを見事に解明してくれた。共産党という素晴らしい人達が、貧乏人の味方として、 社会の仕組みを替えようとしている、そのことがこの本にははっきり書いてあった。  東大に入りたいと始めた受験勉強、しかし一方では日本にもすごい思想で頑張っ ている人達がいる、次第に受験への挑戦以上に、社会科学への関心の方がどんどん と高くなった。  宮本百合子という作家は、自分の関心テーマに真正面から取り組んだ作家だと知 った。受験勉強そっちのけで、全集読破を成し遂げた。宮本顕治の「敗北の文学」 を読んだ時は、もう自分の中にはっきりと生涯の姿勢と良心の貫徹を自分に明確に したい気持ちであった。  しかし、大学受験は見事失敗だった。母に大変申し分けないないことをしてしま った。悔恨の1年を過ごした。父亡き後、苦労を重ねて子供の成長だけを頼りに生 きてきた母。その母を無視して、受験を失敗してしまった自分。もっと足元をしっ かり見つめた生活を送ろう、この気持ちは母への悔恨から出発している。  大学時代多くの友人は日本共産党に参加した。しかし自分は何度誘われても、最 後まで、入党は断念した。もし自分が現役で大学合格を勝ち得ていたら、その後の 人生きっと入党から始まっていたと思う。しかし自分は、あの1年の悔恨を、その 後の人生の選択指針とした。こうして、平穏なサラリーマン定年を迎え、今日に至 っている。自分の選択は本当にこれで良かったのだろうか。 ……………………………………………………………………………… 雑賀光夫より返信 ○○さま  「駄菓子の町」読ませて頂きました。これまでのメールでも、子どものころから 苦労してこられたことは推察していましたが、ここまでとは思いませんでした。  こんな生活の中で「やまびこ学校」のあの「母の死とその後」などの作文や、 「君たちはどう生きるか」など読まれたのですね。  目のきらきらした先生とかかれたいるのを読んで、教職員組合運動にかかってい るものとして、身の引き締まる気がしました。ぜひとも、自叙伝を完成させて下さ い。  お送りいただいたものは、HPにする形式になっていたようですが、まだHPには載 っていませんね。お書きになった分から載せられるんでしょうね。楽しみにして読 ませていただきます。 雑賀光夫 ………………………………………………………………………………          

学校職場からの報告

                  ………………………………………………
始業式に出会って、きょうで2日たちました。

3年生のこどもたちは、本当にかわいいし、ききわけがいいです。(純なこどもたち)ク
イズをしたり、ゲームをしたり、いそがしい初日に絵本「ぼちぼちいこか」を読み聞かせ
できたのが、うれしかったです。作文も、いっしょうけんめい10分ぐらい、書いていま
した。4年間、子どもたちと離れていたけど、かんはにぶくなってはいないようです。ま
た、子どもたちと、楽しい1年を過ごそうと思います。それでは、またね。   

                  ………………………………………………
やあ、久しぶり。
 夏休みもあっと言う間にすんで、今は運動会の練習だ。雨ばっかりで、いっこも練習ら
しい練習はやっていない。どうなることやら・・・
 ところで、警報出たときのこと、校長会が予定されていて、予定どおり子どもの安全な
んかおかまいなく、校長会を開いたうとい町があります。
 この前、町の執行部会があって、「警報出てるのに、校長会とはどうなっているんや。」
と意見が出て、「そうやなあ、おかしいことやなあ。」とみんな気がつきました。
 警報が出ているときは、緊急事態に備えて校長は学校で待機せにゃならんのとちがうか
・・・その通りやなあ。
          ………………………………………………

朝早くからすまんなあ・・・

教頭会で問題になっていること、
「最近の○○の子どもは、かなわんなあ・・・つめぬってくるし、パーマかけてくるし、
茶髪や金髪の子までいて・・・、終いに化粧までするようになるんとちゃうか?」
「もう化粧やってる子いるで。」
「親の責任やなア・・・親は中学校へいったらできんさけ今のうちに好きなようにさせる
んやてえ。」
「そんなこという親いてるんか?」
「それがいてるんよ。担任のせんせえが「おまんとこの子、なんとかしな。」って言うた
らそんな返事が返ってきたんや。」
とかなんとか話になったみたい。
そこからがおもしろい・・・
「うちの学校には校則あるんで、マニキュアやパーマ、茶髪や金髪禁止って書きこもうか
なあ。」
「子どもらしい服装さしてや・・・なんてなまぬるいこというてもひびかん。」
「やっぱり禁止や。」
「そらええ。そらええ。」
となったそうです。

さて、わたしのクラスにも茶髪の子がいます。「OO君、茶髪はあんまりええことないぞ。
大人になったら髪の毛いたんではげになるかもよ・・・」と言うと、短くかって、きれい
にしてきました。まだすこし茶色がのこっていますがね。
でもマニキュアしてくる子、本人に「あかんぞ。」とは言えてもそれ以上のことはよう言
わん。禁止禁止って叫ぶのは絶対おかしいと思うけど、小学生らしい服装ってなんなんや
・・・と思ってしまう。
前に中学生のピアスの取り組みが民研から出たことがあったけど、校則もない、名札もや
めた、制服もない山田みたいな学校でどんな取り組みしたらいいんやろう・・・
やっぱり子どもたちで話し合いさせんといかんのかなあ。
子どもの世界はもう、そんなこと受け入れているようにも思うんや。むつかしむつかし・
・・。
故○○先生は、こんなにおっしゃっていました。
「それも個性や。」・・・ううん、分かるけど・・・

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総合的学習を逆手にとると・・・
     雑賀先生、元気ですか。
     私は元気です。さてさて、またもや○○小学校、
 この間、職員会議がありまして、「卒業式を見なおそう。」となりました。
 わが○○小は格式ばった「告辞」「式辞」「祝辞」がならぶ卒業式を例年行ってきてい
たのですが、「21世紀にふさわしい卒業式にしようよ。」ということで大きく変革することになりました。
 「こんな卒業式がええぞ。」「あんな卒業式がええぞ。」と出し合うなかで、卒業証書授
与式と祝う会(名前は児童会に考えてももらう)の二部制にしようとなりました。
 
 卒業証書授与式は教頭が司会をやって、祝う会は児童会が司会を行うことにしました。
 それから、卒業生、在校生、父母、教師、来賓が同じ目線になるようにと、フロアー形
式でおこなうことにしました。もう壇上から卒業生を見下ろすこともなくなるわけです。
 壇上のスクリーンは、パワーポイントを使って、はとを飛ばしたり、卒業生の思い出が
いっぱいつまった写真を出したりしてムードを盛り上げようと話し合いました。今まで一
番前に君臨していた「日の丸」もこれからは脇にそれてもらって、舞台の袖に置こうとな
りました。もちろん【君が代】の扱いも例年どおりで、「国歌・校歌斉唱」として「君が
代」は一応テープで流そうとなりました。校歌は全員が大きな声で歌います。例年「君が
代」は大人がボソボソテープにあわせて歌っています。
 それから今まで後ろから入場していた卒業生を、舞台から登場させようとなりました。
文字通り、卒業生が主役になるための工夫です。
 「式辞」「告辞」「祝辞」もやめようとなり、卒業生に分かる言葉におきかえることに
しました。
 
 二部の祝う会は、まだどんな内容になるか決まっていませんが、児童会の意見を最大限
聞いて取り組もうとなっています。
 総合的な学習では、自主性や主体性を言うてんのやから、マッチしているのです。それ
に情報機器を使った卒業式なんやからその先端をいってるのです。(スクリーンに「日の
丸」が掲げられていなくとも理由があるのです。)
 今までの卒業式にちょっとあきあきしてきていたのです。どうなるかまだ分かりません
が、おおきな変化がおきています。でも、こうした変革を主張しているのは未組であった
り・・・組合員が例年どおりで・・・と言ってみたり・・・・・?
 組合員の意識改革が必要です。ちょっと残念・・・。   

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おっはあ!!
運動会で1年生が、「慎吾ママのおっはあ」をやってから、
学校での「おはよう」は「おっはあ」です。
(わかるかな?)
さて、きのうの演劇はよかったね。
長山藍子も大きい役者になったね。
福島のおじさんもよかったね。
一度、福祉のすすんだところへみんなで行きたいね。
ごうつく婆さんのようにわたしたちも、わがまま言おう。
変に「ものわかりよい」人になるのはやめようっと。
じゃ、明日、がんばろう!! 

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雑賀先生、お元気ですか。

和歌山の学校も新学期の初めの忙しさできっとばたばたしているのだろうなあ、と思いな
がら、私も忙しくてちょっと緊張した毎日を過ごしています。
 
先週は月曜日から木曜日まで毎日出張で金曜日は参観でした。
教科外教育に僻地教育というのがあって、なぜか私が主任(各教育には一人ずつしか入っ
ていないのですが)になってしまいなした。
月曜日が○○の主任会で、火曜日が○○の主任会でした。お陰で僻地のことがよく分かり
ました。
 
水曜日は○○村の教育研究会の総会でした。
和歌山のように各教科ごとに総会があるのではなくて、○○村の小・中・高(○○高校○
○分校)の先生が全員集まって総会を開きます。学校紹介というのがあって、全員が自己
紹介をします。
総会の後は各教科、各ブロック、各教科外の会を時間差で持って話し合いました。
 
木曜日は「新任・転任者の懇談会」と言うのがありました。
今年初めて○○に勤務する先生が集まって、自己紹介をし、教育長さんの話を聞きました。

 
何を一つ取ってみても和歌山と違うことばかりで戸惑っていますが、子ども達は本質的に
は何もかわっていないような気がしました。
テレビも見ればゲームもしますし田辺の町に行って買い物もします。
でも、ただ一つ大きく違うことは、だれも塾には通っていないことです。(ありませんの
で)
だから、授業中は一生懸命に学ぼうとしますし、分からないところは訊いて理解しようと
します。
ということで、私が授業に費やすエネルギーは今までの10分の1といっても過言ではな
いと思います。
 
けれども、子ども達はあまり働きませんし、お掃除も下手ですし、係りの仕事も結構いい
かげんなのです。
一生懸命に働いたら、人のためにがんばったらどんなに気持ちがいいかということを教え
ていきたいと思っています。
 
短所も長所も持っているこの僻地の子どもたちとこの一年間どのようにして向き合ってい
くかをまだきちんとした考えが形になってまとまっていませんが・・・とりあえずは月曜
日は遠足で(雨らしいけれど)片道2時間半という距離を子どもたちとともに歩いてみた
いと思っています。


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