ようこそ!

和歌山県革新懇の事務室長を
代わってもらったので勝手なページは大幅変更。
99年度までの資料をのこしますが、議案や申し合わせ事項
など組織に関するものは削除しました。

宗教者との対話(1999,10) 住金と私
高知ツアー@趣旨と要項 高知ツアーA本山革新町政 高知ツアーB地域革新懇
高知ツアーC平和のとりくみ 「かつらぎ町消費税をなくす会」 「日の丸」「君が代」アンケートより
「日の丸」「君が代」シンポジウム
「日の丸」「君が代」アンケートA

<B> リンク沖縄連帯集会1996,1と「人間の鎖」2000,7

1998,7,10作成


宗教者との対話(1999,10)

宗教者の立場から社会と教育を考える

  西山浄土宗本山の宗務総長をおつとめになったK師から、お話を伺いました。事
務局の能力から十分なまとめになっていませんし、スペースの関係で省略した例話
もあります。ご了承下さい。

教員生活の思い出から

  昭和二十三年に教員になりました。浜中小学校(今の下津小学校)に先生が二人
足りないと言うので、たのまれたのです。
  学校に行ってみると、窓のサッシはあるがガラスが一枚もない。丸善石油が空襲
されたときの爆風でやられたのです。「家から障子紙をもってきてほしい」と子ど
も達にいって窓に貼りました。子どもたちは、自分たちで苦労して貼った障子は、
破らないように大事にするんですね。
  A君という、やんちゃな子がいました。学級を壊すのでなく、よいことも悪いこ
ともまとめてくれる子でした。この子が、弁当の時間になるとみんなと一緒に食べ
ないのです。見に行ってみると、弁当の代わりにサツマイモを持ってきている。
「みんなと食べるのが恥ずかしい」という。「先生の弁当と半分こしよう。先生に
もイモを一本くれ」といって、一緒に食べたことがあります。
  昭和六二年で退職したのですが、四月一日に自宅の寺に「おめでとうございま
す」といってやってきた五十才ぐらいの紳士がいます。大阪で工務店の社長になっ
ているA君でした。法事で帰っていて、新聞で退職者の私の名前を見たのでした。
大きな鯛をもって「ご退職おめでとう」と訪ねてくれたのでした。
  今は、このような感動のない学校になったように思われます。

「政治・経済・文化」は

  さて、いまの社会、「政治・経済・文化(教育や宗教)」のバランスはどうなっ
ているだろうか。
  戦前の政治突出(軍国主義)の時代があり、そのあと物が不自由な時代があった。
「障子を大事にした子ども」「お弁当にサツマイモをもってきたA君」を思い出し
ながら、ものが不自由でも心を育てることができたようにも思います。
  いま、経済突出の時代ですが、その点どうなのでしょうか。政治の面でも心配な
ことがたくさんあります。それはみなさんがご専門なのであまり申しません。毎日
新聞の川柳にありました。「審議する まえから数が決めている」自自公の政治で
す。公明党はもともと文部大臣を欲しかったのだといいます。宗教法人も管轄でき
るわけですから………。

本山の宗務総長をつとめて…「学仏大悲心」

  私は、平成六年から、西山浄土宗の本山の宗務総長という仕事をしてきました。
平成七年に阪神淡路大震災があり壊れたお寺も多くありましたから大変でした。オ
オム・サリン事件がありました。あのとき「オウム真理教をどう考えるか」と新聞
社からアンケートされ、「西山浄土宗は新しい宗派だが八百年の伝統をもっている。
しかしその伝統仏教が、『法事・葬式・建物』だけになっている隙間に、オウムの
ようなものが入ってきたのではないかと反省する」という意味のことを答えたこと
があります。
  本山では、教学部長は教学の中心、宗務総長は、経営(切り盛り)の中心ですが、
わたしは宗務総長でありながら、布教に力をいれてくれるようにみなさんにお願い
してきたつもりです。
 私たちの宗派の教えは、一言でいうと「学仏大悲心」(仏の慈悲心に学べ)とい
うことです。「学ぶ」というのは「まねぶ」「まねる」から来ています。仏の慈悲
心をまねることによって学ぶわけです。あまり教義について深入りするとお説教に
なるので、今日はこのくらいにしておきます。

「人前に出たくない」から「語り部」へ

  一つの例をお話します。広島の原爆記念碑のまえで、語り部をしておられるご婦
人がおられます。防空壕に四十人入っていて、一人だけ助かった方です。けれども
顔中にガラス片が突き刺さって、六二回も手術をうけた。「自分の顔を見たくな
い」と家に閉じこもっていたのだそうです。それをあるお坊さんが「きょう元気で
おられることを喜びなさい。その顔でなければできないことがある」と説いて、そ
の女性は、語り部になったのでした。説得に三年かかったのだそうです。それが命
を大切にすることです。宗教は、こういうことをしなくてはなりません。
 「不幸があればかえってすばらしいことができる」とはなせるお坊さんになろう
と言っています。

東海村の事故に思う

  「経済突出」ということにかかわりますが、原子力発電の問題があります。「利
便性」「快適性」ばかり追求して、「電気が必要だ。原子力発電しかないんだ」と
いう宣伝をしているように見えます。
  先日、東海村の原子力燃料事故がありました。いま中二になる孫が、中一の夏休
みに原子力発電についての作文を書きました。今度の事件のニュースを見ながら、
孫が「ぼくは原子力発電は危険だと思うと書いたんだけれど、それでよかったと思
う」というのです。家内にその作文集を探してもらって見ました。日本原子力文化
振興財団というところが募集し、全国で八一五校、八〇七二人が応募しています。
和歌山県でも八校、そのうちに下津二中も入っている。下津二中はうちの孫だけで
す。優秀作品が載せられているが、それはどれも「原子力発電は必要だ」というも
のばかりでした。

創価学会がたくらむ地方自治体支配

  下津町で最近あった話ですが、創価学会墓地の問題が起こりました。関空用の土
を売った後の広い土地がある。リゾート地にしようという話もあったが、下津町長
は町の七十〜八十億円の借金を返すために、創価学会に売ろうとしました。そうな
ると下津町が近畿の創価学会の拠点になります。創価学会という宗教団体は、政教
分離になっていませんから、公明党の支配する町になってしまいます。
 ジャーナリストの乙骨正生さんをお招きして、創価学会が全国各地で土地を買収
しているという話しも聞きました。仏教会の都合で反対だと言うことでなく、町民
にとってどうなのかという立場で運動をしましたから、一万三千人町民中一万千人
の署名を集めることができました。
  自自公の政権ができたなかで、創価学会がどういう宗教団体なのかということな
ど知らせて行かなくてはならないとおもいます。

平和の問題や子育ての基礎など(懇談から)

 宗教者にとって、平和の問題は大事な問題です。沖縄で法要を営みますし、宗教
団体があつまって、さまざまな専門部のようなものがあり、その中で平和の問題を
取り上げています。
  本山にいたころ、四〇人の弟子をあずかるのです。朝の5時に釣り鐘を突くので
すが、その時間が一分遅れ、二分遅れなどになるのです。本山の鐘は、時間通りに
突かれて、地域の人々は、鐘の音を時計代わりになると感じてもらわなくてはいけ
ないのです。正確に鐘が鳴るようになるのに半年かかりました。
  こういう基礎的なことが大事だと思います。今の子どもは、基礎的なことができ
てないのではないでしょうか。小さいことでも意味の大きなことは大切にしたいで
すね。






「日の丸」「君が代」アンケート 元高校校長・教頭・教員より(1999年8月)

「日の丸」「君が代」法制化への意見

                            和歌山県革新懇アンケートへの高校退職教員から

☆元高校教員
 教職在職中、教委からの圧力を強く感じた。憲法についての学習が大切だと思う。
 野中官房長官のいう「20世紀中に決着を」というのはおかしい。過去の歴史の誤
りをこそ正すべきではないか。(天皇の戦争責任・侵略への誠実な反省等)
 仮にシンボルとして必要だったとしても、掲揚したり歌うことを強制すべきもの
ではない。個人の自由意見にまかせれぱよい。

☆元高校校長
 私は広島市内で一兵士として被爆しました。一瞬の閃光に廃墟と化した市街地を
幽鬼のように彷徨しながらも九死に一生を得て今日にいたっていますが、かれきの
中に横たわる無数の犠牲者の悲惨な情景は、今日においてもなお胸に焼きついて消
えることぱありません。
 日の丸・君が代を背負って生きてきた私たち世代の者にとって、胸中消えること
がない戦争のこの惨状と、「日の丸」「君が代」の問題を、どう結びつけて考えな
ければならないのか。戦後の歴史は必ずしもそれを明確には位置づけていません。
この問題に関する限り、戦後50年の時間を無為に過ごしながら、今どうしてこれほ
ど性急に結果を得ようとしているのか、理解できないのです。
 「お兄ちやん、お水を」と手を差しのべ近寄ってきた少女のあの視線、その視線
の鋭い痛みが、私の胸から消えない限り、歴史の重みの中で全国民一人一人の心を
いやす幅広い話し合いが必要ではないか。私はそう思うのです。

☆ とにかく押しつけにば断固反対する。「君が代」の「君」に対する政府の見解
は民主憲法の理念を真っ向から否定するもので、腹立たしいこと限りない。

☆ ある高校の、創立70周年記念式典で、君が代を歌わなかったという理由でその
校長は、生徒数800名の普通科高校から、生徒数100名の夜間高校に配置転換させら
れた。出席していた教育長は、「こんな、くさった会は、はじめてだ。」と言って、
弁当も突き返して退場した。差別の根源である天皇の歌を歌わなかったことは、む
しろほめられるべきであると思うのに、いまだに皇国史観でマインドコントロール
された教育長がいたということは、誠になげかわしいことである。

☆ ナショナリズムの闇。戦後50年を経過したにすぎないのに、侵略のシンボルで
ある「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」として復活させようとしている。同じ敗
戦国ドイツ、イタリアでは「国旗・国歌」を戦後直ちに「廃止・訂正」してきた。
ドイツ人は厳しい自己批判を含めて戦後処理を行い、現在もユダヤ人虐殺の戦犯追
及は行われている。日本では、天皇と天皇制を無罪放免にし、「日の丸・君か代」
の断罪もしなかった。これは日本人の手による戦犯追及が放置されてきたことと同
じ水脈にある。
 もし、ドイツでナチスの「鉤十字」を国旗と定め、「世界に冠たるドイツ」と歌
ったならば、おそらくヨーロッパの人々から一斉に抗議の声かあがるであろう。日
本のアジア侵略のシンボルであった「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」制定に際
して、アジアの人々の屈辱の歴史を考えただろうか。制定に奔走する人々は「アジ
ア侵略」を忘却したかのように振る舞っている。ナショナリズムの悪夢に取り込ま
れ、周囲が見えなくなってしまったとしか思えない。皮肉にも、戦争法「ガイドラ
イン」賛成と日の丸・君が代」制定賛成とは一致している。
 アメリカに無制限な基地使用を許す行為を、民族の誇りを傷つけられたと考えら
れない人々の思考からすれば、他民族の誇りにまで考えをいたさないのも当然かも
しれない。日本的「あいまい」の戦後処理の狭間をぬって、議会や役場、スポーツ
の場、入社式、セレモニー、天皇旅行に、「日の丸」は風景として巧妙に配置され
た。「君が代」は必要な場面のバックミュージックとして取り入れられた。
 血塗られた「日の丸・君が代」は、一つの風物として国民の間に定着していった。
そればかりでなく、そこでは可能な限り「象徴天皇」と結びつけ、天皇を元首とす
る「天皇制国家」の方向を射程に入れて操作してきた。「君が代・日の丸・天皇」
は三位一体で、夫々が「天皇制国家」の現れで、切り離せないものである。若者が
「日の丸・君か代」に無関心なのは、こうした状況になれ、侵略の歴史を学び得な
かった結果である。この状況を許してきた戦前・戦中派の責任にも重いものがある。
 「日の丸・君か代」の法制化は、日本の「アジア侵略の歴史」を

☆ 現職の時は、反対意見が強かったので、議論の余地がなかったが、現在はだん
だんおしつけがきびしくなっている感じがする。もっと本質を徹底的に究明すべき
だ。

☆ 5〜6年前になるかと思いますか、県教委か「君か代」斉唱しなかったら処分す
ると言った指導がなされたとき、私は「音楽とはなんですか?原点にかえって考え
て見ようではないか。鞭を振り上げて歌唱させることなどは愚の骨頂だ」と言った。
今でも自分の言ったことは正しかったと思っている。・・・当然ですね・・・
 「君が代・日の丸」が国歌・国旗として法制化されたら、今まで以上に押しつけ
か厳しくなることは必至と考えます。がんばりましょう。

☆ 国歌の法制化か進んでいる現在、国家主義は時代に逆行している。権力者のみ
か躍起になっている。歌は、つい口ずさむものでないと意味がない。メロディも暗
いし、歌詞も地学的にはレキがレキ岩となることがあるから、非科学的とはいえな
いか、民の犠牲のもとに君臨することになり、現在にはそぐわない。笑止千万。旗
印はあっても良いが、法制化され、強制され、過去のように家々に日の丸をあげな
いと非国民よぱわりされると大変だ。
地球はせまい、地球人として生きていくべきで、国は州か郡で結構。

☆ 自民、自由、両党連立による小淵政権の最近の動きに、「なぜ?」という危機
感を覚えている。「日の丸」「君か代」の法制化には賛成できない。(学校現場等
への強制は、現時点ではどうであれ時間の問題と感じられるから)。
 しかし、国旗については戦後今日まで色々の国際的な場でも、概ね定着している
と思う。戦争責任を日の丸に結びつけることには賛成できない。

☆ 世界の人々の敬愛の的であって欲しいと願うものです。およそ、敬愛の念は、
恐怖を背景とする強制によって生じるとは考えられません。
 校長を死に追いやった広島、歌わなければ処分やむなしと公言した京都、両教育
委員会の関係者は、この点についての教育的見解を明らかにすべきでしよう。私は、
かつて日本軍の南京入場のとき、中国の人たちか日の丸を振って歓迎している写真
をみて、気をよくした者です。現在のような状況下での法制化は日本国内の学校で
「君が代」を斉唱する姿で気をよくする人を増やすだけ。君が代を法制化しなけれ
ば歌ってもらえないと考えるのは君が代を侮辱している。 

☆ 「日本の敗戦直後、18歳の私は挑戦からそれこそ命からがら引き上げて来まし
た。女の身は危険だから男装した。ある日の早朝、舞鶴港の引き上げ事務所屋上に
翻る日章旗を船上から見たときの、あの生きて故国に帰れたという喜びは・・・。
君が代は反対ですが、国旗は絶対に必要です」。
 30数年前の職場会議での活動的な組合員の発言を私は忘れてはいない。その当
時も学校における国旗、国歌論争が盛んだった。私にももっと陽性(オリンピック、
外国旅行など)の似たような思いが、日の丸にも君か代にもある。そしてその事が、
かなりの普遍性を持っているようにも思っている。反対に学校行事でのその掲揚や
斉唱時のある茶番劇めいた違和感はどうしようもなかった。「校内行事ではないか。
校歌,校旗だけでなぜ悪い。愛校心あっての愛国心ではないか」そう思い続けた。
多くの同胞を殺し、亡びかけた国家でも、日の丸に涙する国民性ではないか。まっ
とうな国づくりがすぺてを解決する。法制化など国あげての茶番劇だ。

☆ 私は30年間和工高に勤務していましたが、和工では入学式、卒業式、校内体育
大会で君が代をブラスバンドで吹奏し、日の丸を掲揚したが、私は起立もせず、脱
帽もせず、もちろん歌うこともなかった。このことで学校長に呼ばれ、座りなさい、
業務命令じゃと言われたこともあり、こんなことで業務命令か出せるかとけんかし
たことを思い出します。教育現場には押しつけがなしまない。たとえ法制化された
としても押しつけはできない。

☆ 小生箕面の老人クラブに入っておりますが、先日、クラブの総会があって「弁
当がでますが、弁当だけもらってかえっていいですよ」と近所の世話役のお母さん
の助言がありましたので、パス代ももらっていたので、弁当をもらいに行って来ま
した。総会次第を見ると、君が代斉唱とありましたので、出なくて良かったと思い
ました。市長との関係で、式次第に入れたのでしようね。だんだんと右翼化してい
るのですね。
 自民党も自由党もウルトラ右翼だし、公明党も本質はそうなのでしょう。戦争中
の新聞は徐州、南京等占領するごとに地図上に日の丸を立て、正に日の丸は侵略の
シンボルでした。関東大震災の時は、君が代を歌わせて朝鮮人と判断して殺しだそ
うですね。悪い印象かありますので、両方ともやめるべきです。小生も卒業式の日
の丸をやめさせてとばされたこともあります。現在でも各字校で日の丸・君が代は
踏み絵に使われている気がいたします。

☆ 県教委の通達が発せられると、指導要領とのからみもあって校長はなりふり構
わず威圧的になる。その校長か人間的にどうのこうのという問題ではない。中には
良心のせめにあい苦しむ校長もいるが、多くの校長は処身術として一時的に権力側
に立って危機を乗り越えようとする。こうしてたどり着く「未来」は恐らく「権力
に弱く」「長いものに巻かれろ」式の考え方の人々が多数を占める「国」であるに
違いない。「日の丸」を揚げるとき「どこまでも慎重であれ」とは戦後の教訓であ
る。「掲揚反対」を先頭切って叫ぶ者はいつになっても少数かもしれないが、進ん
で「日の丸」を揚げようとする人々に対する、目に見えぬ「抑制力」ともなれば、
それだけ「国」の進路が安泰になるであろう。

☆ 「日の丸を国旗とする」ことに抵抗感はない。
理由@白地に赤丸の構成図は素朴・清潔・質素(経済的)である。
  A白は男、赤は女。白は無限(誰もが往来可能のボーダーレスの意)の大地、
   すなわち人間としての凛、赤は母なる大地、すなわち人間としての暖のコン
   トラストとしてのレイアウトをプラス思考として考えたい。
  B戦争放棄を永遠に諷った現憲法の下、日の丸を文化・学術・スポーツ・科学
   などの各国親善・友好・交流の中で、人類のさらなる平和・幸福・繁栄を願
   いとしてのシンボルにする。
  C地球市民、バリアフリーの時代、自覚と責任ある行動の確立、相手の人格の
   尊重を相互確認の必然性からアイデンティティの大切な役割を果たす。
   (注意)戦争を体験した人と日の丸とはどうしても切り離して考えることに
   無理がある。従って、国民投票云々は現時点では考えられない。時期として
   考えるとすれば、21世紀後半であろう。戦争体験世代と未経験世代の交代期
   以降であろう。
 「君が代」は受け入れられない。
理由@平安時代の古今和歌集第7巻の賛歌冒頭の「題知らず、よみ人しらず」と考え
   るも、国歌とするには抵抗感がある。歌詞の意味がわかりにくい。メロディ
   一は時代感覚にそぐわない。
  A不朽の名曲とは、いつの世にあっても人の心に打ち響き、いつまでも人々に
   愛され、親しまれ、無意識の中に口ずさむ要素を有するものである。従って
   国民から公募賛成である。
(自省)@国旗掲揚、国歌斉唱を体験した現職時代。特に後者に関しては、学校経
営の最高責任者の立場にある者として、当時の判断、決断は学校内外、殊に生徒を
巻き込むという教育現場の混乱回避を考えた上の緊迫の策であった。今ここにその
時点の姿勢について、「負の姿勢ではなかろうか」と問いかけられたら、やはり上
記の言葉の繰り返しになるだろう。
 A妻は基本的に私とほとんど同じ考え方である。しかし「君が代」のメロディー
には、メロディーとして感じ入るものがあるという。

☆ 特になし。

☆  私は38年間教育現場でおりましたが、「日の丸・君が代」を利用して、権力の
側の中枢へ少しでも近づこうとする流れかあったような気がする。日本人の間では
なかなか民主主義が根付き難く、職場でも地域でもいつも
「お上」を気にして大事なところで口をつむぐ人々をよく見てきた。国家主義を良
と考える人々は、近頃の青少年の行動の乱れを「日の丸」「君か代」のような支柱
がなかったから今日のような結果になったのだと心得ちがいをしている。しかしグ
ローバル化していく21世紀を越えていくには、人の考え方を統制してはうまく過ご
せない。自由な発想とお互いのディベートがみんなを幸せにしてくれると思う。


☆ 日の丸について私は昭和21年でしたか、釜山で日本の輸送船(元駆逐艦を輸送
船に改造)に乗ることができ、船についている日の丸を見たとき、「ああ日本にや
っと帰れる」という思いで涙がで、大変うれしい日の丸でした。日の丸は日本の印
であって、良いことも悪いこともあって良いので、別にかえる必要ないと思う。
 君が上一垂主的な庶民を大切にする歌詞にかえてほしい。

☆ 「日の丸」「君が代」の国旗・国歌の法制化について現在のような民主的な日
本では押しつけが生んでいるとは思われない。日本では明治以後の長い歴史の中で
国旗、国歌としての認識は定着している。21世紀に向かって、敗戦意識から脱却し、
世界の中の日本、大国日本として国家形体を整備して新たな躍進をはからなければ
ならない。

☆ 現職から離れて20余年になりますので最近の学校の様子はわかりません。在職
中でも誰も言わないのに、校長(教委の指示)の意思で、入牢などの式場に日の丸
が張られたのか全く不自然でした。こうして事実を形成しようという見えない教育
の力に不安をおぼえました。終戦後、今まで強制的に度毎に揚げることを強制され
た祝祭日の掲揚が、いつの間にか特定の意識的な家以外は、いつの間にか誰も掲揚
することがなくなって、これが自然な人々の気持ちだと思います。いずれにしても
強制の事実(指導要領など)がある限り歴史をゆがめられることは事実で、反対し
なければなりません。

☆ 反対、反対には反対です。国家には国旗と国歌が必要です。とりあえず「日の
丸」「君か代」という政府の態度も安易すぎます。反対のエネルギ一をよりよい方
に振り向けて、多くの国民に支持されるものを、組合員の皆様の英知を集めて創造
してください。条件としては、「日の丸」「君か代」のイメージをあまり大きく変
えないで、(既に世界に定着しているので)部分変更という線にしてほしい。国民
に支持された国旗と国歌をもった誇りある国民の育成をこそ望みます。教育の混乱
はプライドを持たせることで、持ち直せる。プライドは昔のナショナリズムに通し
るとば限らない。戦後50年のあり方がそれを証明できると思う。

☆ 学校現場に「日の丸」「君が代」をおしつけることに反対です。国旗国歌が制
定されても、学校行事に国旗国家は関係ありません。


☆ 公募するのはむづかしい。自由にすればよい。自殺した校長はバカなことをし
たと思っている。私ならきっぱり強制を断り、首になっても良いと言うことを考え
れば自分を殺すより生き甲斐があるのではないか。国家にとらわれるから問題が起
こるのである。国家から解放されて見直さるべきだ。国歌は歌はなくともメロディ
ーだけでよいのではないか。(国民に親しまれた誰でも口ずさめるようなメロディ
ー。特に童謡等に多いのではなかろうか)また日本の国旗は客観的に見て、世界に
冠たるものがある。ドイツのようにきっぱり拾てきれないものをもっている。本当
は敗戦と同時に捨て去るべきものかあったが、デザインの良さが禍した。現代の日
本の国旗はアジアに於ける日本軍人の行動からみて、当然捨て去るべきものと考え
るが、筆者自身もこの点を迷っている。

☆ 「国民的合意」や「高校生め間にも合意や納得」のないままに一方的に行われ
る点については民主主義への挑戦としかいいようがない。そこには主権在民の憲法
の精神などひとかけらもみられない。「教育」の「主人公」は生徒である事など論
外と言った風潮が教育現場を支配しつつある。元高校教師としては大変心配してい
る。「日の丸」「君か代」は私は支持しない。それは日本軍国主義の侵略と民衆抑
圧のシンボルであったからである。

☆ 日本に天皇はいらない。1868〜1945、せいぜいこの80年にも満たない
期間に天皇絶対主義が確立した。そして自らの過ちのために崩壊した。「食てはひ
り、つるんで迷う世界虫 上天子より下庶民まで」と江戸の庶民はうたっている
(わらっている)。いわんや君か代などは要らない。有害無益である。ざされ石が
巌になるか、苔がむすとは不祥なことでめでたいことではない。こんな歌を強制し
た文部省か間違っている。そのまちがいに従って、学校に強制した教委は当然まち
がっている。宮下長氏と同しような目にあった元校長であるが、私に接した教委職
員は礼儀を知っていた。宮下氏は非道な目にあったそうであるが………。


☆ 現在の自衛隊の前身の警察予備隊を創るときにも耳障りの良い解釈を示し、そ
の後解釈を徐々にかえて、今の自衛隊となる。盗聴法についても、また耳障りの良
い解釈を示しているが、これも当然のように変わるであろう。今の「君が代」問題
でも「君か代」の「君」はやはり天皇を指すとの政府見解である。終戦後54年間
「君が代」について国民的議論をしたように思えません。いよいよ法制化の段階で、
急いで政府見解を出した。大戦中の歌詞がそのまま「君が代」の「君」の解釈もそ
のまま、そしてそれをそのまま法制化する事は、54年前に終わった敗戦は何だった
のか。日本政府(自民党を中心とした)の決定的習性である解釈を徐々にかえてい
く正体を見抜かねばならない。

☆ 「君側わ用わ」はうっとうしい。生徒に聞かせたり、歌わせたりするのは音楽
教育の破壊であり、音痴を養成することである。「君が代」の賛成者たちの、理由
はナンセンスにつきる。理性を失った管理職どもは、我が身かわいさで「君が代、
日の丸は定着している」とうそぶいているが、彼らは暗黒の非合理主義の世界に生
きている。そんなに天皇主義を信じるのならぱ、自分たちで歌えばよい。「白地に
赤く日の丸そめて、ああ美くしや、日本の旗は」高等教育を受けた教師集団の中で。

☆ 軍隊当時から日の丸・君が代には反発があった。シベリア抑留から帰ってから
も、その思いはつのってきた。国旗・国歌とは何のためにあったかの思いが胸の内
でグツグツしている。今政府が法律をつくって国旗・国歌を国民におしつけようと
している。もう通されようとしているが………。
 私は元、軍隊の幹部であったので大勢の兵隊さんを預かり、天皇の命令で兵隊さ
んを戦地へ送り出して、南方出撃中にその兵隊さんで米軍に撃沈されだといった話
を伝え聞くに、いくら命令とはいえ、天皇の名のもとに命を落とさせてしまった後
悔かいまだに続いている。今でも夜中にふとそのことで寝苦しい。その思いを子ど
もにまたというのは許せない。





「日の丸」「君が代」シンポジウム

「日の丸」「君が代」を考える
       九九年度県革新懇総会・記念行事

    和歌山県革新懇では、総会記念行事として「日の丸」「君が代」問題を考える
シンポジウムを開催しました。
 「『日の丸』はかならずしも戦争のシンボルとはいえない」(パネラーの一人)と
いう意見から「アジア侵略のシンボル」(会場発言)との意見など、ガイドライン
法案との関連、「新しい教科書を考える会」の動向などをふくめて多角的に論議さ
れました。
     (スペースの関係で大変簡略な紹介になっていますが、お許し下さい)

パネラー
  TTさん(N高校教育振興会会長)
  MNさん(元高校校長)
  HYさん(高校生)
  MMさん(ジャーナリスト)

コーディネータ    
 YKさん(和歌山県歴教協)

★TTさん
もっとはやい時期に、国民的討論をすべきだった。
「君が代」を国民的に強制することは承伏しがたい。時代に合わない。昔は、刑法
にも「かん通罪」というのがあた。ああいうものは、今の時代に合わないのと一緒
だ。いずれ国民の総意によって、新しい国歌がつくられることを希望する。
 「日の丸」は、戦争につながると考えている人もいる。それもまちがっていない。
大学生が大学を中退して戦争に駆り出された(学徒出陣)とき、日の丸を体にまい
ていった。日の丸に「武運長久」とかき、「死線をこえて」という意味に「五銭」
をつけて戦場にいった。元気で帰れるという迷信で家族がさせたことだ。 戦争に
かならずもって行った旗というのは別だ。その旗は戦争が終わったとき焼いてきた。
各県には、連隊というのがあって、和歌山のは歩兵第六一連隊といった。その連帯
に天皇から旗が渡されていた。その旗のことを「軍旗」といった。士官学校を卒業
した青年将校が軍旗手として選ばれていた。その旗は、連隊本部の連隊長の隣の部
屋に安置されていた。
  軍旗は戦争に負けたとき焼いてきたが、「元気に帰ってこい」と寄せ書きをした
「日の丸」は、いまでも現地から遺族の元に届けられることがあります。

★MNさん
 中学・高校の教員で、さいごは高校の校長をしました。子どもの頃は軍国少年で、
「日の丸」の旗を振って先輩を戦場に送りだした思い出があります。
 「日の丸・君が代」の押し付けは、いちばん苦しくて屈辱的な思い出です。一九六
四年頃、元旦登校で「日の丸・君が代」をという指導があったんですが、高校生を
ふくめた批判でつぶれました。
 次は、一九八〇年代の終わりに教頭会でのちに教育長になった当時次長だった人
が、「日の丸・君が代」を卒業式で扱えと言ったとき、私は「日の丸についてはえ
えやないかという意見もあるが、君が代については、国民主権の精神に反すると主
張する教職員が多いが、どう指導したらいいのか」と発言しました。特殊教育諸学
校の教頭などがあとに続いてくれました。「差別や人権と君が代の関係をどう考え
るのか」というような意見でした。
 県教委は、「学習指導要領には法的拘束力があり、文書での職務命令は出さない
が、口頭でも職務命令だ」として、「日の丸・君が代」を押し付けたのです。この
問題をきっかけに自殺した校長は、広島だけではありません。その方は、教育委員
会にもおられた方ですから、特別進歩的な方でもなかったのですが………。その方
が最後に言われたのは、次のような言葉でした。「日本人は、かっとなりやすい国
民性をもっている。「日の丸・君が代」を強制したらアジアの人たちからどう思わ
れるか。自分の兄弟が東南アジアとの貿易をしているので、とくにそのことを考え
るんだ」
  私の郷里の清水町は、皇族の紀子さまの祖父の出たところです。里帰りして泊ま
っていくと言うと水洗便所をつくらなならんという、お茶を飲んだ湯呑を家宝にす
るという。こういうおくれた意識を変えていかなくてはならない。民主主義の成熟
を阻害する思想的主柱の一つである天皇制について、みんなでもっと考える必要が
あると思っています。

★HYさん
「ガイドラインに怒っている高校生の会」の代表をしています。ガイドラインにつ
いて勉強して、「戦争はいやや、平和がええねん」という気持ちを強くしています。
平和の問題と「日の丸・君が代」の問題、関係があると思っています。

  小学校の時から、卒業式の予行で「君が代」の指導をうけました。先生に「何で
歌うん」と聞きにいったことがあるけど「歌うことになってるんや」という説明で
した。4年生の時、「日の丸・君が代」の由来を教えてもらいました。「もともと
は、天皇のことをうたった歌ではなかったけれども、明治から『君=天皇』になっ
た」ことなど聞きましたが、「なんでこんな歌、うたわんなんの?」という気持ち
が強くなりました。
  五〇数年前、日本は日の丸と天皇をかかげ、アジア各地で侵略戦争を繰り返して
きました。そして、多くの人たちを虐殺してきました。だから日の丸は侵略戦争の
旗だと思うのです。そんな旗を国旗として認めることは、あの侵略戦争を許し、ま
た同じ過ちを繰り返すことになると思うのです。私たちの未来に戦争はいりません。
だから、戦争の旗もいりません。
  「君が代」については、あんな暗い歌じゃなくて、おめでたいとき(卒業式とか、
入学式とか)には、もっとハッピーな「国民が主人公」の「未来に希望を持てる
歌」がいい。

★MMさん
 記者として、「日の丸・君が代」の問題は、取材していてもやもやするんですよ。
どれだけ国民的論議ができているのでしょうか。国民的に論議して、国旗には桜の
花でもいいし、国歌には「さくらさくら」でもいいし、みんなが合意できるような
ものに決めればいいと思うんです。
 卒業式の最初に「起立」といって、すぐに「君が代(国歌)斉唱」になるでしょ
う。子どもたちは、ほとんど無視してますよねえ。それなのになぜ流すのか。
三月・四月だけの問題にせずに、よく論議することが必要です。上から下へ「歌い
なさい」でなく、高校生などが「なぜ?」と問いかけていくことが必要だと思いま
す。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の取材に行きました。従軍慰安婦を教育でとり
あげる問題で「よその国ももっとひどいことをしていた」「自分のおじいさんがレ
イプしたと孫に教えるんか」と講師の先生が煽るわけです。すると、ワーと拍手が
起こるんです。背筋がさむくなりました。
 私は、「戦後五十年」という取材で、何十人もの戦争体験者のお話を聞いていま
したから、戦争とはどんなものかということが私にはありましたが、そうでなくて
その講師の話を聞いていたら「そうなんかな」と思ってしまったかもしれない。 
「新しい歴史教科書をつくる会」については、事実そのまま報道しましたが、和歌
山大学におられた安達先生に寄稿していただきました。
    ……………一般討論…………………
☆(主婦・塾講師)  いま二一才になっている息子が小学生のころ、小学校へ「う
たわさんといて」と言いに行きました。一緒に行ったお母さんが「法律で決まって
るかどうかという問題やない。法律よりも自分の思想・信条のほうが貴い」とおっ
しゃったのが印象的でした。
  日本は、集団的思考の国といわれます。これでは、民主主義が育ちません。
☆(元教員)「日の丸・君が代」の問題を、基本的人権の問題、国民主権と天皇主
権の問題から考えてみたい。日本は、侵略戦争への反省から日本国憲法を制定した。

☆(和歌山大学生)
  兵庫の出身で、小学校から君が代うたってきました。こういう大事な問題で、先
生たちが板挟みになっているのに、生徒には問題が知らされていない。
☆(和歌山大学生)
  「ガイドラインに怒っている高校生の会」から今年、和歌山大学に入りました。
先生たちがこういう問題を議論していることを、僕たちにも知らせてほしい。
☆(男性) 「日本国憲法」と「大日本帝国憲法」というのは、全く違ったものだっ
たことをお話したい。「帝国憲法」では「第三条 天皇は神聖にして侵すへから
す」であり「第十条 天皇は陸海空軍これを統帥す」となっていた。
  教育勅語に、ガイドラインに関わりのある文句がある。「一旦緩急あれば義勇公
に報じ」だ。戦前の体制に戻そうという危険な動きだ。
☆(団体職員)日中友好協会の仕事をしています。日本が「日の丸・君が代」のも
とで、アジアへの侵略戦争をしたという事実をわすれてはいけない。アジアの人た
ちは、「日の丸・君が代」を侵略戦争のシンボルと見ています。
☆(現職教員)
 高校の教師です。「日の丸・君が代」について、以前は論議したが、最近、風化
してきている。卒業式で起立を拒否する先生もほとんどいない。
  なぜ、学校現場にだけ強制されるのか。それでも高校では、テープを流すだけで、
歌っているものはいない。
      

紹介 送られてきた手紙


「 オリンピックに優勝すると日の丸が会場にあがる。君が代が吹奏される。そし
て、その国民が感激する。それでいいのではないか。
 萬に壱、貴様の子供兄弟が優勝した時、日の丸はやめろ、君が代を唄ふなと云う
のか。今の時代の子供に対する教育が悪い、またその子の親達に教育した時代の教
育が悪いが悪い。教祖(ママ)とか教育委員会と文部省の指導が悪い。
  幾何や数字のみに力を入れて将来何のためになる。簡単な漢字すらしらぬ、同和
とか差別とか勝手に県庁や市役所の馬鹿者が騒いでいるだけだ。昔の学校にあった
修身など教育して、もっと自然なマナーを教えろ。美しい日本語さえ知らぬ現在の
子供たちは、全部すべて教育が悪い、民主とか革新とか呼ぶ前に指導者を再教育せ
よ」                     (差出人不明)

    以上の手紙が県革新懇事務室に送りつけられてきました。「「日の丸」「君が
代」シンポジウム」のビラが添えてあり、「此の会場で別文を読み照会(ママ)せ
よ」と添え書きされています。総会が終わってから事務室にとどいたため、ここに
紹介します。




「日の丸」「君が代」アンケートより

アンケートに寄せられた声より
 
☆地域の母親たちの間で、子ども・保護者から、「こんなこと国民が希望していな
  いから必要ないのでは」という声をよく聞きます。
  新婦人として毎年、各校長・教育長に反対の要望書と各職場への激励を送ってい
  ますが、校長さん個人としても、国の意見と合わないが世間の流れに乗っていく
  と思うと済まない気持ちがすると言う人もお出でている。
  今後もっと、新婦人としても反対運動を和歌山市支部としても根気強く続けてい
  こうと意思統一しています。ともにがんばりましょう。
☆昭和天皇は謝罪することなく死んだ。尊敬できない人を賛美する国歌など歌えな
  い。
☆退職前から学校現場で押し付けが顕著になった。学校現場で押し付けないという
  国民的合意が必要。こんな押し付けがやられるようでは、創造的なよく考える人
  間が育たない。
☆県教育委員会から、口頭による職務命令だとして「日の丸」「君が代」を職場に
  強制させられたときほど屈辱的な思いをしたことはなかった。覚悟はしていた  
 (管理職になるというのは一種の裏切りではないかという苦しみ)が、教職員のも
  っともな反対意見を聞いていると苦しみが増加した。
☆私もかつて、小学校の校長として学校経営にあたってきましたが、この問題で苦
  しんできました。民主教育を進める上で大方は教育委員会と合意できても「日の
  丸」「君が代」の押し付けに従うのかどうかの一点だけで対立しなければならな
  いのは大変残念なことであり、憂慮すべきだと思っています。
☆教育基本法第20条「教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接
  ………」の精神からすれば、行政の口出しするところではない。行政は教育諸条
 件整備することにこそ力を注ぐべきでものある。憲法・教育基本法の精神に照ら
 す論議を強調したい。
☆@15ー16年前に、市制50周年記念式典が開催された折りに、会場で「君が
 代」の斉唱があったが私は起立せず、着席したまま、勿論「君が代」は歌わなか
 た。市制の記念式典になぜ「君が代」なのかと思ったことと、抗議の意味もあっ
 て着席していたのですが、いま考えるとその「君が代」斉唱のときは退席すべき
 だったと思う。また、後日であっても抗議すべきだったと思う。
   A私は民間会社につとめたが、在職中に天皇陛下が何かの行事に来たことがあっ
 た。そのときに従業員のほとんどが参加し、国道で陛下の車を歓迎するのに「日
 の丸」が用意されたが、私は拒否したことがある。いろんな団体や個人が参加し
 ていたが、私が勤めていた会社を含めて、さる筋より参加するように指示がでて
 いたように思う。


感動の高知革新ツアーより
@ごあいさつ、はじめに、実施要項

<ごあいさつ>

            県革新懇代表世話人・団長 宮本 政治  総自民党化した国会はアメリカへの思いやりと大企業仕を具体化し、国民からの収脱を 強める悪法をところてん式に生み出す場となり、国民の怒りと政治不信が高まっています。 それは、昨年の総選挙をはじめとして各種選挙に示されています。昨年の総選挙は、小選 挙区制による初めての選挙でした。そこで奇跡とも思われる結果が(こういうと地元の高 知にといえば怒る方もあろうが)でました。それは高知における日木共産党の山原氏の当 選です。氏固有の支持者がありファンがあり、経歴があるとはいえ、驚きでありました。  今や政治に不満な有権者、政治の革新を求める有権者など無党派層の人々との共同も広 められた結果でしょう。その高知では、89年の参院選挙で社会党がマドンナブームと強 い消費税反対世論を吸収して多くの議席をかすめとったときの一人である西岡るり子氏 を、来年の参議院議員選挙の候補者に、日本共産党と無党派の人々が共同して擁立してい ます。  西岡氏は変節した社会党が消費税卒引き上げを容認したときも、公約を守り引き上げに 反対を貫き、社会党と決別し、咋年は山原氏当選に尽カした人物です。政治革新を願う国 民,住民が大きく共同することの大切さが、さまざまなところて強調されています。それ をすすめるため「革新懇jを多くの地城・職場につくり、革新統一戦線づくりを発展させ ることが求められています。高知は、その地域革新懇づくりで、また、多くの民主自治体 を誕生させていることでも注自されています。その高知から学び、和歌山の革新懇運動を 前進させようと計価したツアーに九人が参加しました。感動と刺激を受けた参加者の心情 と、見間してきた高知各地のすすんだ実践を県内の多くの方に知っていただきたいと考え この集録としました。この和歌山でも「定数1」の選挙で当選させることを、現実的目標 にする状況をつくりだそうではありませんか。

<はじめに>

                  県革新懇事務室長 雑賀 光夫 和歌山県革新懇は、九月二六・二七日、高知県革新懇との交流ツアーにとりくみました。 「和歌山県と高知県は、地理的・政治的風土が似ている。その高知県で、革新共同のうね りが生まれている。負けてられるか。学べるものは学び取ってこよう」という訳です。 全国革新懇の荒川さんに電話して、高知県革新懇事務局を紹介していただいて、連絡を 取り合いました。 訪問したのは、超低空飛行の米軍機が墜落した早明浦ダムのそばの本山町。一二年来の 民主町政です。ここを訪問したメンバーは、町長が立派なこともさることながら、住民の 奉仕者の立場にたって奮闘する自治体職員の姿に感動しました。「行政懇談会に町職員が 参加して住民の願いを受け止める」「予算編成のために、企画調整会議を開き、班長以上 の職員で担当の垣根を越えて議論しあう」などです。本山町の職員のみなさんは、一人一 人が町長のつもりでがんばっておられると言う感じです。また、本山町町民の五〇人に一 人は平和委員会メンバーという嶺北平和委員会の事務局長さんにもお会いして、平和行政 をささえる平和委員会の活動を学びました。 もう一つの班は、高知市の港南革新懇準備会を訪問。政治革新をめざして地域でがんば っておられるみなさんに、大いに刺激を受けてきました。 夜は、高知革新懇メンバーと懇親交流会です。日本共産党大会で挨拶して帰ってきたば かりの栗原透さんんも駆けつけていただきました。 翌日は、自由民権運動の記念館訪問、「教育改革シンポジウムin 高知」に参加。有意義 な「革新ツアー」でした。    (全国革新懇ニュースに掲載)

資料       高知革新ツアー実施要項

1997年9月26、27日 1、趣旨 @いま、高知県で革新懇型運動の広がりが注目を集めています。 土佐の教育改革運動、西岡さんの革新統一での参議院選出馬、民主自治体の前進、   さらに地域革新懇などです。 A和歌山県と高知県は、地理的条件、政治的風土がよくにています。 広い農山村地帯をかかえていること、勤評闘争をたたかった伝統、共産党を与党と    する自治体の全国順位は、長野・高知・和歌山の順です。 B高知の経験は、「前衛」誌などに紹介されていますが、地域でがんばっているみな さんにお会いして、具体的な経験を参考にしたいと思います。 2、日程 9月26日(金)  午前 6:35 和歌浦リムジンバス出発     7:00 和歌山駅東口(7:40 関空着) 7:30 関空カウンター集合    8:20 関空発 9:00 高知空港着 リムジンバスで教育会館(高知城ホールへ) 11:00 高知革新懇メンバーと合流、挨拶、説明 午後 2班に分かれます。 (1) 本山町役場訪問、町助役との懇談     米軍機墜落現場へ、嶺北平和委員会との懇談  福井さん(高知革新懇代表世話人・事務局長)  和田さん(高知県平和委員会事務局長) (2) 高知市港南革新懇準備会との懇談  高知革新懇・林田代表世話人、山崎事務局次長、      金子世話人(共産党統一戦線部長) 夕刻 6:00 国松高知県労連委員長・革新懇代表世話人のご挨拶と懇談    7:00 夕食・交流 (宿舎・追手前ビジネスホテル TEL0888-24-5151 ) 9月27日(土) 午前  自由行動(業種別懇談など自主的に入れて下さい) 午後 1:00 - 4:30 「教育シンポジウム」(日本の教育改革を考える会」主催) 4:30 自由行動 7:40 高知空港発(まだ飛行機がとれていない) (6時40分 伊丹行きの場合もある) 3、参加者 宮本政治 県革新懇代表世話人・前和高教委員長 坂元信一  和商連会長  引地延子 非核の政府を求める県民の会、新婦人県本部前会長 田村善雄 那賀郡民の会・元全農林・那賀年金者組合委員長 松江 仁  県つくる会事務局長・県地評事務局長・医労連 雑賀光夫 県革新懇事務室長・和教組副委員長 赤山 功  革新懇事務室・日本共産党県常任委員・統一戦線部長 藤田雅敏 県革新懇事務室・和高教書記次長 植西智加子 県革新懇事務室次長・和教組書記次長 4、参加費用 航空券(往復)と高知市までのバス代 24000円 宿泊・朝食 6000円 以上、3万円を徴収させていただきます。 このほか、食費・交流会費(4000円)・高知での交通費など必要です。 5、参加者打ち合わせ会 事前の打ち合わせ会を、22日 1時から3時 県教育会館 で開きます。それ までに、「交流の希望」「各団体で高知と連絡をとった情報」などお寄せ下さい。

感動の高知革新ツアーより
A本山革新町政を訪ねて(附・事務室メモ)

<本山革新町政を訪ねて>

坂元信一                       1997年9月末 私たちが訪問したのは本山町。ちょうど三年前に早明浦ダム上流へ低空飛行訓練中のア メリカ軍機が墜落したところ。 対応していただいたのは助役の沢田さんとおっしゃる方。木訥とした力みのない話を伺 っていると、住民こそ主人公の姿勢がそれが当然のこととして話されていました。 私たちが日頃接している役所との違いに目を見張るばかりでした。以下、すこしばかり 記してみます。 約千五百人の町民の中から百五十人の方に委任して住民の要望を聞く場を持っている。 予算編成時には、三〇人から四〇人の職員が一堂に集まって着手順やその中身を議論す る。 行政実務研修会を町議、職員各二名づつが交代で講師を務めて開催する。隔週実施し夕 食はおにぎり二個を支給するだけ。つい最近まで月一回週休二日制で高知県で月二回にな ったのは一番後。町民の要求や仕事が多くて休めなかったとのこと。しかし、それが上か らの押しつけでなく職員の自発性が発揮されて不満もでなかったとのこと。 なぜ? 学習の大切さが話されました。職員のほとんどの方が学習協勤労者通信大学の 卒業生であること、それは学歴に関係なく、制度化されています。一回目の入学で卒業す ると全額町負担、二回目になると半額本人負担、三回目になると全額本人負担と決められ ています。私などその内容を知るすべもありませんが、五十才を越えておられる助役さん も初期頃の卒業生でした。 住民に対する施策は 在宅介護手当(寝たきり・痴呆症) 五万円 出産祝い金(何人でも可) 十万円 乳児満一才までミルク代 月三千円 本山町は和歌山県で見た場合、有田の川筋か新宮をずっとさかのぼった本宮あたりに位 置し、急峻な森林ばかりのところなので材木を生かすための人材養成学校(大工学校)が あります。嶺北五町村で経営しているそうですが、かなり赤字だそうです。大工学校との 関連で、大工徒弟制度、左官、家具木工とあり、月額五万円を二年間支給する。徒弟は、 五ケ町に限らずどこから来ても可で、一人前になって他の県や市町村に移ってもよいとの ことでした。他にこれからのこととして、手入れの行き届かない荒れた森林を守るために 森林作業員の雇用を、公務員なみの賃金で働いてもらう制度を考えていると話されていま した。 私の感想としては、一見したところ裕福な町の気配はありませんでしたが、本山町の革 新町政の施策は、その自治体の大小の問題でなく、いかに住民本位を中心に周知を徹底し てすすめるか、そのことの大切さの証をみた思いです。 この町や村に生まれてよかった、この土地で暮らしたい、その思いがもてるからこそ、 アメリカ軍の無法な低空飛行訓練にも、あきらめず抗議し、永年にわたる記録が積み重ね られて平和運動にも反映されているのではないでしょうか。

事務室メモ <本山町・沢田助役との懇談から>

自主財源4億円の小さな町です。最近、東京の農民連、足立の区議団がきてくれました (1)平和行政について 米軍の超低空飛行訓練について、総務課長がカレンダーに記入し始めた。そのことが、 義務的でなく受け継がれていった。当時、自衛隊へ聞いたら「知らない」という。米軍機 だとわかった。それから早明浦ダムでの墜落事故が起きたのです。嶺北5カ町村で国に働 きかけしています。 沖縄での少女暴行事件で、沢田町長は太田知事への連帯の手紙を送りました。 (2)民主町政ができて12年になります。 現町長は、もともと青年団のリーダーで、28才で町会議員になりました。1期半のと き、早明浦ダム建設対策で請われて町職員になったのです。早明浦ダムは、昭和48年(1973 年)に完成しました。 現職のワンマン町政への批判から立候補することになり。出陣式300人、1000人 集会があるような選挙でしたが圧勝した。その後、無投票になっています。 (3)住民と職員が参加の町政  住民参加の行政ということで、団体・地域から選ばれた150人の委員に政策提言して もらっています。  24の行政区があります。懇談会を開いて住民の声を聞くのに90人の職員のうち、3 0〜40人が参加します。こうした活動はボランティア活動にしています。2〜3年途絶 えていましたが、またはじめています。  予算編成のために、「企画調整会」(班長以上30〜40人)を開きます。財源を示し て、やりたいことを出してもらう。それをめぐって、担当のワクを越えて意見を言い合う のです。教育、福祉、建設など担当外のことでも意見を言い合います。 職員は、施策の必要性がわかる。住民要求でもできないこともある。そのことを住民に 担当者が話すとき、普通は「要求したが上で蹴られた」というが、うちでは、そうでない。 町長からの政策提言はないのですが、普段の対話の中で、職員からでてくる。  焼き肉センターは、名目は「食材供給センター」といって、赤牛、有機栽培の試食をしてもらう ところになっています。1000万円の赤字です。食材費がたかいからです。これもこう した討論を経て作られたものです。  農協の販売活動が弱く金融保険に傾いていました。町行政は「作ることの指導」だけに なってはいけないので、産業経済課の職員が、朝早く「出荷」の仕事をしました。今は農 協がやってくれている。この活動は「住民と自治」に特集していただきました。  15年前、町長が総務課長だったころに始めた「行政実務研修」で職員が力をつけたと 思います。月2回、土曜日の午後返上で実務者が自分の仕事について講師になって報告し ます。そのために勉強する。「押しつけの仕事か、住民のための仕事か」を勉強や質問の なかで考えるのです。研修委員会(職員2、町2で構成)がやり、義務づけしないが、8 0%の職員が参加する。命令しないからボランティアだ。「いかんと損だ」というものに している。一回りするのに1年以上かかる。 一昨年から再開し、週休2日になって土曜日が使えないので、平日の夜やっています。 町からは、おにぎり2つ出すだけです。 (4)職員が「ものの見方」を勉強町職・教組など中心になって、労農大学(ものの見方、 賃金論など4〜5講座)を25年間やっています。高知短大の公開講座も20年あまりつ づいています。勤労者通信大学を重視し、90%の職員が出ています。勤通大には一年で 卒業すれば組合持ち、2年かかれば半額本人負担など。勤通大をでないと自治体学校に行 かしてもらえないのです。 (5)林業と「川下行政」としての大工養成 大工の学校を、県からも出資し、8億円の基本財産の金利で運営していますが、いまは 金利が低くて大変です。 「空とぶ大工」プレカット工場(製品を買ってくれたら、大工がついていく)という方 式をとっています。また、大工・左官に弟子入りしたら、昔は奉公だったが今はそうはい きません。そこで親方が5万、町が5万出します。親方は本山町民であること、弟子はど こから来ていてもいい、どこへ行ってもいい。 山林作業員の会社を5カ町村で設立。公務員並の賃金を出すようにしています。森林は、 手を加えなかったら大変。70〜80%が手を加えていないのが現状です。森林は、日が 射すくらいなら、下草が生えて保水力があるのです。 森林交付税決起集会にもいきますが、交付税より「山の生産でまかなえるようにするこ と」が基本ではないかと思っています。 (6)福祉行政 在宅介護手当・月5万を支給していますが、高齢化で介護者が少なく、受けているのは 10人ほどです。実は町長は縫製工場へ働きに行くぐらいの10万出したらどうかと言っ たのです。(他の施策とのバランスで実現しませんでしたが。)なぜかというと国保で入 院すると1日1万円、月30万円かかります。町の持ち出しです。在宅介護手当を出して も町財政には負担にはならないのです。  出産祝い金・10万円、ミルク代月3000円も出しています。

感動の高知革新ツアーより
B高知地域革新懇準備会との懇談から

<高知革新懇準備会との懇談から>

                       那賀郡民の会 田村善雄 当日出席した参加者のみなさんを見て、びっくりした。わずか五一〇〇人の有権者数の 一つの地域に、前共産党県委員長で県革新懇代表世話人の林田さん、元日教組中執の岩佐 さん、元日教組青年部長の山本さん、現公民館長(元中学校長)の岡崎さん、共産党高知 地区委員長の岩崎さん、民商役員の坂之上さん、衆議院委員の春名さんの奥さん。そのほ か、高退協・退教協など多くのみなさんが活動されているとのこと。 政治地図が細かく、読者・後援会員、革新懇などそれぞれ色分けされて整理されていま したが、地域に均等に記されていました。地域の半数以上になんらかの印がされていまし た。 女性の方が初めてハンドマイクで革新統一をすすめるシンポジウム開催の宣伝に立ち上 がり、地域住民のみなさんから大きな声援を受けて感激した報告があり、宣伝効果と生き 生きした態度から、勢いを感じた。 準備会の活動から各町内での動きが要求活動に転じ、町内会報の内容が変わったこと、 また公民館活動や広報内容も変わってきた。 三月二二日に準備会が開かれ、十一月八日に結成総会が開かれる予定だが、準備のため に八カ月も、かまえることはどうかと思った。 元社会党の活動家(栗原透氏、西岡るり子さんなど)が多く参加されるとのこと、和歌 山県には、まじめな社会党員は一人もなかったのか。 最後に和歌山でも、地域革新懇(市町村など行政区はもちろん)をちいさな部落でも、 条件さえあれば早急につくる必要を強く感じた。

<高知県港南地域革新懇準備会と懇談して>  

                 赤山 効  9月26日に長浜イノハナ集会所において、高知市港南地域革新懇準備会の方々8名と 和歌山県の代表4名(宮本、植西、田村、赤山)が懇談しました。懇談会では、県革新懇 の代表世話人も兼ねるの林田芳徳氏(元日共産党高知県委員長)と県革新懇の世話人も兼 ねる山本忠智氏(元小学校校長)から、和歌山県の代表の質問にも答えながら、港南革新 懇準備会に至世話人会での自由な意見交換の内容、なかでもなぜ革新懇が必要かという核 心の問題、政治革新をめざして多数派になるという熱い思いを聴くことができました。    以下はその要旨です。  県革新懇が結成されて17年間、地域革新懇もなにもなく開店休業状況にあった。こと し2月神戸市内で全国革新懇が開いた「地域革新懇・職場革新懇全国交流集会」の報告会 (3月22日)が契機となって、自分達で運動を起こすしかないという結論に達した。  準備会を重ねるなかで、「オール与党」化と翼賛国会への不満と怒りが共通してだされ 「暮らしや平和、民主主義を脅かす現状を変え、政治革新めざす革新懇運動をもっと草の 根から運動をおこし、悪政に苦しむ保守の人達や無党派の人達に知ってもらう必要がる」 と議論された。  6月28日には「革新統一を進めるシンポジユウム・講演と対話の夕べ」を実施。事前 に2500枚の新聞折り込みや全戸配布、女性の世話人の方々は「いろいろな人にたくさ ん来てほしいという思いから」女性だけのハンドマイク宣伝や女性カーを延べ100回出 した。これには大変な激励や反応があって確信になった。  折からの台風の襲来にもかかわらず、若い女性、主婦、年金生活のお年寄りなど120 人を越える人が参加した。「夕べ」では、栗原透氏「全国革新懇常任世話人、元社会党高 知県委員長」が「いまなぜ革新懇か?」について講演し、来年の参議院選挙に高知選挙区 から革新・民主の共同候補として出馬表明している西岡るり子元参議院議員も参加した。    シンポジユウムの成功を受け、すでに町内会長や会社社長、元労組幹部、漁協の役員な ど広い層の人達50人が港南革新懇への参加を表明している。(港南地域の有権者は51 00人)  準備会の活動を通して、革新懇であれば「共産党の後援会はチョット」というような保 守的な人達や無党派層の人達を、広く結集できることを実践的につかんだ。  宣伝・対話などの活動を通して、「革新懇とは何か」ということが住民のなかで明らか になりつつあり、市民権を得てきている。  衆議院選挙では、小選挙区制のもとでも勝利する。そのためには多数派になる必要があ るが、このことを可能にするのは革新懇運動しかない。前回の山原さんの勝利も、比較多 数であって絶対多数でない。   こんにちの悪政に怒りをもっている保守的な人々、無党派の人々との対話と懇談にとど まらず、運動体として地域住民と共同する日常活動にとりくみ、「自共対決にふさわしい 規模と内容のあるものに発展させたい」11月の結成総会は、そのような展望と思いをも って100人以上の会員の参加で成功させたい。  最後に、「革新懇に共産党がどうかかわるかが決定的である」と共産党の果たす役割の 大きさを強調された。
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感動の沖縄革新ツアーより
C平和のとりくみから学ぶ

<米軍低空飛行訓練機墜落現場を見て>

              非核の政府を求める県民の会 引地 延子  前日の雨も上がり、どんより曇った一日でした。  高知に着き、高知革新懇の人々と交流後すぐに2班に分かれ、私たち5名は県労連の宣 伝カーに乗り込み米軍戦闘機の墜落現場へ向かいました。案内と運転は高知県原水協・平 和委員会・安保破棄実と平和問題を引っぱる和田事務局長です。高知革新懇事務局長も同 行していただきました。 @米軍機墜落現場へ  吉野川に沿い山に向かってどんどん走ります。道端、畑の中、山の中腹にと曼珠沙華の 緋がとてもきれいなのどかな町に米軍機は我がもの顔で訓練飛行をし住民に不安と危険を 与えているのかと腹立たしく思いました。  走ること30分くらいで大きな早明浦ダムがありました。これをさらに3、40分上流、 川は右に左にと曲がっていますが、「ここが一番急なカーブです」と言われた少し先が墜 落現場です。  米軍機は川沿いに超低空で訓練飛行をします。音速以上の急旋回をしたときに飛行士が 全身血が下がり失神をして2、300メーターよろめきながら川壁に激突した模様です。 この場所から300メーターほど先には大川村の役場や住宅、小学校、保育所があり、も う30秒もふらついて飛行していたら大惨事を招くところでした。バラバラに飛び散った 機体の一部は、今も湖底に沈んでいます。  この説明をして下さった和田事務局長は、何日も何日も座り込んで米軍機の飛来を監視 し続けてビデオを撮って抗議や訴えの資料もつくっています。また帰途寄った本山町役場 では、飛来の記録がきちんととってあり、90年から5年間(昨年末まで)で1072回、 今年は9月末までに56回の飛来で、今も続けて抗議行動を行っています。  和歌山はどうでしょうか。高知と同じオレンジルートですから、日高・西牟婁地域では、 低空飛行訓練が続いているはずです。私たちは実態の把握もせず、抗議行動も今は忘れて しまっているのではないかと反省しました。  ガイドラインの見直しが行われている今、怒りと抗議の声を上げ中止をさせないと、ま すます和歌山の空を日本の空を米軍機が我がもの顔で飛び交うのではないでしょうか。 A嶺北平和委員会との懇談(嶺北=大豊町、本山町、土佐町、大川村、本川村)  本山町役場との懇談のあと、4時に嶺北平和委員会の事務局長がデイサービスセンター の一日の仕事を終えて来て下さいました。子育てをしながら働き続けている30才台の女 性事務局長は「あまりできてないのですよ」と淡々と語る内容は感心することばかりです。  93年4月、米軍機低空飛行訓練が続く怒りの中で14名で平和委員会を結成。現在9 9名。ほとんどが本山町在住か勤務の方で、本山町は人口50人にひとりが会員です。  運動は一貫して、米軍低空飛行訓練への抗議ハガキ運動や「即時中止を求める要請」署 名の住民過半数達成など継続したとりくみは立派です。「基本として年1回総会、年2回 の学習会、ニュース月1回発行、会費の毎月徴収(月300円)です。毎年日本平和大会 と原水爆禁止世界大会にはカンパで代表を派遣しています」と話す事務局長。これは運動 の基本ですが、なかなかできるものではありません。  途中で「ちょっと会長を呼んできます」と言って呼びに行かれましたが、会長は役場の 税務課長です。  私たちが訪問した本山町は、民主町長のもと、平和と革新の砦のような町でした。学習 を大切にし、継続した草の根の運動を学んだツアーでした。

事務室メモ<平和委員会事務局長・松繁さん>

 松崎さんは38才のデイケアセンター職員です。平和委員会の活動を話してくれました。  平和委員会を作るまでは、高知県原水協との関係でちひろカレンダーを50から100、 売るだけでした。  93年に県平和委員会事務局長の和田さんから手紙をもらい、3人よったらできるとい うので、平和委員会を作りました。嶺北と名前をつけて、14人で発足しました。  そこに94年に墜落事故がおこったのです。沢田町長が「許し難い侵略行為である」と 声明を出しました。平和委員会では「抗議はがき」(100円)を出す運動などに取り組み ました。嶺北原水協も再建されました。  平和委員会は、いま99人。本山町では、50人に一人です。町職員、学校の先生が中 心です。小中学校の校長も5校中4人はいってくれていました。異動があって今は一人で す。 ニュースを月一回出すのが私の仕事。会費月300円をきちんと集めるのが大切です。 係りの人をおいています。集金は1000円を超さないようにします。年に一回の総会、 二回の学習会をします。

「かつらぎ町消費税をなくす会」のとりくみ

かつらぎ町消費税をなくす会代表 福岡久二子

 会員が一カ月で七三三人、     二カ月で一〇七三人に

 私たちの会は一九九六年、住専問題への怒りからはじまった。七月六日発足まで に二六〇人、その後、一ヵ月目には七三三人、二ヵ月目の九月七日には、一〇七三 人に達していた。人々の当初の素朴な期待が、短期間の会員数の爆発的な増加に表 れている。その後は何かの機会ごとに増え、今はポツリポツリという感じだ。現在 一三二七人。  会員増加の勢いは衰えたが、その反比例的に会への支持はだんだん安定し、より 広範囲な人々見え、受け入れられるようになってきていると感じる。市民権を少し ずつ得てきているということでしょう。

 委員会や議会の傍聴、議員訪問を      積み重ね「三%に戻せ」決議

 ことに、この二年間でおこなった四回の町議会請願のいきさつにそれが見えてい る。一回目(九六年九月、三項目)と二回目(九七年三月、五%阻止)は、日本共 産党の二人以外は当然のように全員反対。しかし、ねばり強く町民のみんなを誘っ て、委員会や議会を傍聴したり議員訪問活動をするうちに、五%阻止に反対した議 員が二人も「私はもともと五%にすることそのものに反対でした」との議会発言を するに至り、九七年一二月の「食料品非課税」そして、九八年六月の「三%に戻 せ」が相次いで採択されたのである。他の何に賛成することはあっても「消費税を 三%にしろ」というものには決して譲らないという、自民党擁護の保守の態度はか つらぎ町議会でも例外ではないでしょう。それだけに、私たちは改めて、この二つ を採択させたことの意義を自分たちで評価すべきと思う。

 みんなで楽しみながら、     消費税をなくすまで

 私たちは、消費税をなくすというただ一点の目的で活動している。会員の一番大 きな仕事は「消費税がなくなるその日まで、消費税がなくなってほしいという願い を持ち続ける」こと、すなわち諦めないことである。世話人の仕事は、会員がその 願いを持ち続けることを支援する。そして、そんな願いを持つことの正当性を広め ること。私たちは、この二年余り、とてもとても難しいその「会員の仕事」を励ま してきた。自身も大いに励まされながら。と、以上のようにまとめれば、使命感に しばられたように聞こえるが、日頃の活動や運営は、どこまでも楽しく元気のでる もの、「私」の願い、「私」の特技、「私」の都合・条件を大切に、やりたいこと、 やると面白いと思うことだけやるというスタイルである。  「なくす会」は「消費税がなくなるその日」まであり、「消費税がなくなった ら」なくなる会である。まことにシンプルだ。

住金と私

         
  私は、四八年間、和歌山市議会議員を務めさせて頂きました。一応、保守系無所
属議員と目されてきたと思います。保守であれ革新であれ、一番大事なことは、地
域住民の立場にたつことだという信念でやって参りました。
  私の地元には住友金属和歌山製鉄所があります。私たちは、戦争中、お国のため
にと住金の工場用地を供出させられたのです。戦後も住金は地域住民の犠牲で大き
くなったのに、「その住金に裏切られた」という思いが強いのです。松江地区の住
民は、住金の粉塵公害に悩まされて来ました。
  いま、私たち松江地区住民がとりくんでいるのは、住金が公害源を沖だしするた
めに公有水面を埋め立てたものを、LNG火力建設のために関西電力に売り渡すと
いうことは許せないと言う問題です。私たちは、住金が各種公害を沖だしする目的
で、公有水面埋立免許の取得(昭和五五年六月免許)することに賛成し、同意して
きました。ところが、住金は、埋め立て完了が迫ると、埋立免許条件(工場の沖だ
し移転)の変更を和歌山県知事に申請、同時に、埋立を完了した第二工区をLNG
火力発電所用地として関西電力に売却することを発表したのです。
  これによって公有水面埋立の目的は、180度変更されたことになります。公害
を沖だし・移転するどころか、新たな公害源となるLNG火力発電所を設置するこ
とになります。また、沖だし移転の跡地にグリーンベルトとして居住区との分離空
間を設ける計画も「幻」に終わらせました。
  公有水面は、われわれ地域住民の、かけがえのない財産です。ことに瀬戸内法は、
水質汚濁防止のために埋立を厳しく制限しています。もしLNG火力建設を当初の
目的として埋立を申請した場合、許可を得ることができるでしょうか。ましてや、
製鉄所の都合で産業廃棄物等を埋立資材として使用し、只(無料)同然でできあが
った土地を、なれあい価格(九〇〇億円といわれる)で売買したとなれば、全くの
土地ころがしではありませんか。公有水面が金になるという神話の誕生です。
  市民を公害から守る最後のとりでは、公害紛争処理調停申請制度です。私たちは、
平成九年七月七日、公害紛争調停申立てを行いました。私たちの申立は、「@沖だ
し移転の実行、A移転までの簡、ばいじん一平方キロメートル当たり四トン以下。
騒音、振動を規制値以下にする。B移転跡地の緑地化。C被害の補償」という内容
でした。
  ところが、和歌山県公害調停委員会では、相手方住友金属は誠意を見せないばか
りか、審査打切りの決定をおこなおうとしています。
  本年、九月二九日に県医務課による人口の動態統計によると、呼吸器系のガン死
亡率は、一〇年間全国第一位となっており、しかも増加傾向にあると発表していま
す。こうした疫学的考察だけでも、公害の存在が明らかな問題になっているのに、
委員会において、住友金属は住民の被害に目をつぶろうというのでしょうか。
  私たちは、私たちの子どもや孫のために、そして地球を生き物の生き続けていけ
る美しい星として残せるように、さらなる司法手段に訴えてでも、また市民運動と
して、市民連帯の中で問題解決のために全力をつくす決意です。

                      九鬼嘉蔵(元和歌山市議会議長)

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