雑賀の実験室

さいか県議の活動日誌 4月

雑賀県議の活動日誌3月
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4月1日 海南市開庁式など  4月2日 最高だったお花見 4月3日 今日もお花見
4月4日 9条を守る運動のひろがり 4月5日 あいさつまわり 4月6日 玉井のお通夜
4月7日 玉井の告別式 4月8日 下村さんとともに 4月9日 重根屋伊七とつつてん踊り
4月10日 岡議員、上田議員と 4月11日 神出さんの黒江の集会など 4月12日 松下さん、古田さんと別所にのぼる
4月13日 美里チュウリップ園など 4月14日 湯浅町のまちづくり 4月15日 下村さんと演説
4月16日 東部などでの行動 4月17日 神出市長無投票当選 4月18日「9条の会」で高野山へ
4月19日 商工会議所会頭など訪問 4月20日 団会議、9条の会事務局、東部後援会 4月21日 東部をまわる
4月22日 山下よしき前参議院議員をむかえて 4月23日 午前中、「9条の会」関係、午後、日中友好協会 4月24日 スイミングクラブ
4月25日 「9条の会」で 4月26日 生活相談など 4月27日 下津行政庁訪問、幡川さんのお母さんのお葬式
4月28日 「9条の会」準備会 4月29日 生石山やまびらきなど 4月30日 時田直也チャリティコンサートなど

4月1日 海南市開庁式など

 あさ8時からの海南市開庁式に出席。
 藤本前下津町長さん、職務代行ごくろうさま。テープカットさせていただく。
 午後は、私用のため、あすのお花見の準備にもいけなかった。明日の天気が心配。


         

4月2日 最高だったお花見

 共産党後援会主催のお花見でした。天気は下り坂というので心配しましたが、うす曇で
あたたかい。
 お酒も飲むから、東浜から自転車で健康道路を走りました。快適です。巽小中学校に上
る坂道だけは、フウフウいいながら自転車を押しました。
 亀池遊園の桜は、まだちらほら。でも集まったみなさんの太鼓や歌で、もりあがりました。
おどろいたのは、年配の方で歌の上手な方の多いこと。生演奏の伴奏で、気持ちよく歌って
おられます。
 おわってから周辺で宴をはっておられる小グループにお詫びにまわりました。「やかまし
くしてすみませんでした」。すると「いえいえ」という笑顔とともに、「私は奥さんの教え
子です」「ぼくのお世話になった先生も見かけましたが……」など。気持ちよい出会いの日
でした。

 これだけ広い亀池遊園に、トイレがひとつしかない。ぜひともつくってほしいというのが、
みなさんの声でした。


         

4月3日 今日もお花見

 今日もお花見です。沖野々の親戚のひとから誘われていました。夜はすこし雨も降ったよう
で心配です。電話してみるとどこもるす。出かけているようです。やっとかかった一軒で、
「きょうはお花見があると放送がありました」と言われるので、妻の車にのせてもらって、出
かけました。昨日とはちがう、亀池の堤防でお弁当を開いています。
 天気はよくなってきて、薄日がさしてきました。区長さんの精進がいいのでしょうか。


         

4月4日 9条を守る運動のひろがり

 午前中は、「9条の会」の賛同について、和歌山市の建築士の方を訪問。つづいて、お世話に
なっている随筆家の女性を訪問。このときは、自治体研究所の佐古田さんと一緒でした。紀の国
のうたを作詞し、それに森川先生が作曲されています。120曲できたが、200曲を目指した
いと言われます。文化人である佐古田さんと随筆家の間で大いに話が弾みました。
 「9条」についての話を切り出すと「私も戦火の中を逃げ回った。平和だから紀の国の詩を書
いてられるのです。戦争で何人もの文学の才能がつぶされました」というお話をなさいました。
 近いうちに高野山にのばって、宗教家のみなさんと、「9条」「平和」の対話をしたいと思って
います。


         

4月5日 あいさつまわり

 朝、神出事務所にご挨拶。
 そのあと、商工会議所で坂口前農林水産部長にお会いする。6月から、ここの専務に就任される。
 「田淵会頭の石油タンクで魚の養殖をするという構想はどうですか」と話を持ちかけたところ
から、話が弾んだ。坂口さんは、積極的である。農林水産部長時代の、研究所のスタッフにも相談
して、研究をはじめておられる。そこから話がはずむ。
 「研究所の人たちは、芸術品のようなもの、たとえばサザエなら、刺身にできるぐらい大きな
サザエをつくることに情熱をもやす。しかし、ほんとうに求められているものは何か。ちいさい
サザエでもいい場合がある」
 柿酢の話になると話はつきない。発想の最初は、坂口さんのお宅でつくっていたものだったそうだ。
それが、いま、撰果ミカンのしるとブレンドしたポン酢もふくめて、脚光を浴びている。和歌山大学
で本格的にその効用を研究しているという。
 すばらしいアイデアマンである坂口さんは、海南市の活性化に大きな力になっていただけるに違い
ない。
 東浜に帰って、気になっていた「津波の避難場所」がどうなっているのか、つかんでみようと思う。
海南市は、立派なパンフをつくって県からも評価されているが、私の足元はどうなのかと。
 となりのおばちゃんに「津浪がきたらどこににげることになってるの」と聞くと、「私らようにげ
やんから、とりあえず笠松病院に逃げ込む」とおっしゃる。さらに「いつもこれを見てどこに逃げるか
考えるのよ」というのは、10年ほど前に海南市がくばった避難場所=各学校が避難場所になってい
る=というやつだ。市民は、そんな古いものを大事に保管している。
 そこで、自治会町さんを訪問する。「この辺の人はどこににげるか決めなくてはなりませんね」と
申し上げた。
 次に、東浜北の自治会町さんにお会いすると、「ここらは、集会所に逃げるんです」と海南市のマッ
プと一致した返事がかえってきた。「でも、あそこまでいけないお年よりもいる。訓練しようにも「こ
こで死んだらいい」といって出てきてくれない人もいる」と悩みを語られる。「これまでの避難訓練は
役員だけがあつまって、消火器具のつかう練習をする程度だったそうですが、こんどは本格的にやら
なくてはなりませんね」など話し合った。
 次には、東浜南の自治会長さんにお会いする。ここは、海が近いだけに危機感をもってとりくんで
おられる。
 いろいろお話をきいて、東浜での緊急避難はどんなに大変かが、よくわかった。
 川端通りのみなさんは、文句なしに船尾山ににげるだろう。東浜や国道から南に住んでいるみなさん
に対して、どういう誘導をするのか、しっかり考える必要がありそうだ。
 そんな話をしているところに玉井の奥さんが倒れたという電話がはいった。



         


4月6日 玉井のお通夜

 昨日、夕刻から、玉井につめる。私的なことだから詳しくは書かない。
 玉井は、父・紀光の実家である。玉井、打垣内、雑賀、山本(苑屋)、そして大阪に嫁に行った蛭川
という5人兄弟である。玉井は早くなくなり、苑屋も蛭川も早かった。雑賀紀光のあと、打垣内正(和
歌山大学音楽教授)もなくなり、そのあとに残った従兄弟の奥さんがなくなったのである。
 商工会議所の田淵会長はじめ副会長、さらに玉井一郎が出た和歌山商業同窓会長をしておられる小川
武県議会議長をはじめ、多くのみなさんにおまいりいただいた。ありがとうございました。


         

4月7日 玉井の告別式

 玉井の奥さんのお葬式でした。老舗の玉井事務機倒産、社長も体調がよくないなかで、ご苦労されながら
の最後でした。「ゆっくりとお休みください」としかいいようがありません。


         

4月8日 下村さんとともに

 国政選挙をめざす下村さんが海南で行動する日です。臨時市議会なので、お付き合いするのは私一人。
 藤白で一回演説してもらい、各所を訪問しました。
 藤白神社にお伺いすると、いま注目されている阿弥陀像の社に人がいっぱい。あじさいの会でも力になって
いただいている大前さんが、今日も語り部の活動。宮司さんにご挨拶して、「阿弥陀像を県指定文化財に」と
県議会でとりくんだことも報告。社には、鈴木さんと有馬皇子の紀光が描いた絵もならべて下さっている。
「熊野古道は南のほうばかりじゃない」という説明のパンフレット(大阪編、和歌山編)をいただく。
 いろいろ回った後に、野上八幡に伺う。宮司さんを呼び出すまでの間、若い方に重要文化財の案内をいただ
いた。宮司さんとは「大成高校に108人もきてくれてよかったですね。これからが大変」など。
 夕刻は、「9条の会」のことで、老画家を訪問する。


         

4月9日 重根屋伊七とつつてん踊り

 黒江のごぼうさんの境内の重根屋伊七の墓の前で「つつてん踊り」が披露されるというので、中山さんと一緒
にでかけた。
 伊七というのは、……。享和3年(1803年)の紀州の飢饉の時、黒江では飢え死にするひとが相次いだ。
伊七らは、「椀をつくるための糊の原料」という名目で米の融通を藩主に直訴した。当時の直訴は、死罪である。
獄死したとも死罪になったともいわれる。黒江の人たちは、伊七の死後、100の膳(漆器の)をつくると、二
つ余分につくって、その売り上げを伊七の供養にあたったという。
 この伊七を供養する踊りが「つつてん踊り」なのです。
 10時にはじまるというので、9時半にいってみると、語り部の伊織正治さんと武田正一さんが二人で準備を
されている。民謡の北村照美さんが、三味線を担いでバイクでやってくる。貴嶋先生、漆器組合の中野さんなど
も集まってくる。法要のあと、きれいどころのおどりが奉納された。満開の桜とよく似あった。
 昨年は、黒江小学校にも教えに行ったし、来週は恵宥病院でも披露されるそうである。

 新海南市の発足後、最初の「海南民報」ができました。
 一面は、さいかからの報告が中心です。津浪・大成高校・海南湯浅道路名下げ・実情に合わない都市計画の見直
し提案に、木村知事が賛意など。
 二面は、市会議員団の報告。6人の市会議員団のたのもしい顔がならびます。ここにも津浪問題などとりあげら
れています。
 我が家周辺・東浜に450枚ほどをくばりました。あたたかくていい汗がでます。気に入ったニュースをお届け
するのは、うれしいものです。


         

4月10日 岡議員、上田議員と

 午前中は、岡議員と漆器関係者を訪問。大変意欲的な人だ。
 午後、上田議員と海南市且来の県営住宅へ。車上あらしと下着泥棒などが多くてみなさん不安だそうです。
せっかくの防犯灯の電気代が高いので、半分消しているとか。
 夕方から玉井の初七日でした。


         

4月11日 神出さんの黒江の集会など


 朝からは、市役所前ビラまきのあと、井澤先生と後援会のおさそい。
 夕方、後援会の役員会。
 夜、神出市長候補の黒江集会があるので参加。
 すずらん灯の問題では、市長は「なんとかしたい」と決意表明した。
 昨日の、県営住宅の防犯灯の問題でも考えたのだが、海南市が自治会でつけている蛍光灯への電気代補助
を広げたらいいのではないか。県がかかわる部分をどうするかの宿題もだされた。
 すずらん灯は、基準に合わないのでいったん撤去というふうな神出さんの話だったが、そんな硬直したこ
とを言わなくてもいいのではないか。道路問題で私が提言しているように、二重投資にならない方法を考えた
らどうかとも思う。


         

4月12日 松下さん、古田さんと別所にのぼる

 今日は寒い。松下さんと別所へ。古田のおっちゃんが、コンテナいっぱいの竹の子をもって帰れという。
松下さんと朝から掘ってきたものだそうだ。
 一緒に別所でお世話になっているところをまわって、「9条の会」賛同署名など。寒いからほどほどで切り上げ
ようと思っていたが、お二人の熱意で、帰りは夕刻になっていた。


         

4月13日 美里チュウリップ園など

 朝は団会議。その前に、「さいかニュース」の締め切りが迫られているので忙しかった。
 午後、美濃議員と一緒に美里チューリップ園へ。受付では、小壷先生ががんばっておられる。
みごとなチューリップを満喫。焼きそばをたべる。今日の昼はかるくしておいてよかった。
 私は美里でお会いしたい方がいた。前の日に保険医協会のホームページをみて、美里の女医さんが
長く僻地医療にたずさわって来られたのを知った。「7,18水害」のあとの道路も復旧していない
ころにこられて、「山の上への往診をしたら、おばあさんが私の手を握って息を引き取った」という
体験を書いておられる。「そんなお医者さんが美里におられるのか。お会いしたい」と美濃議員に言
うと、なんと小馬場前町長の奥さんだというではないか。お伺いしてお話を伺った。前町長もでて来
られて、町政への思いを語られた。大変な感動をいただいた美里まわりだった。


         

4月14日 湯浅町のまちづくり

 自治体研究所が湯浅のまちづくりを聞き取りするというのででかけた。
 お話を聞いたあと、湯浅の町を見に行った。驚いた。醤油づくりの町並みが、博物館になっているの
だ。「黒江の町並み保存」でやりたくてできていないことが、ここではできているのだ。


         

4月15日 下村さんと演説

 衆議院選挙でがんばってくれる下村雅洋さんが着てくれる日。市会議員は市議会にはりつけ。
美濃議員に宣伝カーの運転をお願いするつもりだった。ところが、バッテリーが上がっている
というのだ。
 そこでハンドマイクを持って宣伝にでた。ハンドマイクもけっこういけるものだ。商店街で
は、知り合いがけっこう励ましてくれて、握手して、自分の選挙みたいな気分になった。
 燦々公園におられた方が「お世話になりました」といってくださる。なんと、内海の大掛か
りな溝掃除をしたときの、ガードマンだったという。あの時見に行って「ご苦労さん」と挨拶
したというつながりなのだ。これはうれしい。
 昼ごはんは、三人で「おかちゃん」へいく。おかちゃんは美濃さんがくると喜んでサービス
してくれる。「500円」ときいて、下村さんが安いのにびっくりする。
 午後は、下村さんと二人で、東部から野上に向かった。阪井のローソンにはいる溝の鉄板が
がたがたなのを見に行く。さらに、野上町までいって宣伝。
 帰ってきて、黒江のおばあちゃんが関電の電線埋設工事で不満を持っている問題で、立会い。


         

4月16日 東部などでの行動

 朝から東部での行動に参加。
 午後は、岡市議と行動。
 そのあと内海公民館囲碁クラブへ。田村医師に三子おかせてもらって、一敗・一勝。
 事務所に戻ってみると、読者からファックスが入っている。
 「二本の吹流しが
  私を歓迎してくれるように
    春の風に気持ちよく泳いでいました。
  軒先に、タイガーズマークが輝き、入り口の横には喫茶席がおかれ
   思っていたよりも素晴らしい家出した。
  迷いに迷ったあげく、やっと見つけたときの達成感というか
  いま、ヤッタという充実感で、満ちています。
  ご婦人が畑仕事をされていて、
   まわりの畑も、きれいにされていました。」


         

4月17日 神出市長無投票当選

 朝から、神出市長候補の出発式に参加。
 商工会議所会頭と対話。和歌山石油のタンクに水をいれて魚の養殖をする話は、
和歌山石油が、油の貯蔵に使うようになって、難しくなってきたとか。


         

4月18日「9条の会」で高野山へ

        
「9条の会」のことで、高野山にいってきました。
元高野山大学の学長である仏教学者は、「なくなった法王と握手した手のぬくもりを
今も覚えている」と言われました。仏教、キリスト教、イスラム教は、お互いに理解しあ
えるという立場です。
 日本共産党第23回党大会で「異なる価値観を持った諸文明の対話と共同」
といっているのと同じ立場です。
 別の密教学者の方は、先日までダライラマがチベットから来ていたことについて語られ
ました。チベットに密教が残されているというので、20数年前から、チベットに調査に
もいかれていた方です。
 こういう人たちとの対話をするうえで、梅原猛先生のものが、大変参考になりました。



 

4月19日 商工会議所会頭など訪問

 山下よしき前参議院議員が、22日に海南にくるので、その段取りに河野議員と一緒に
商工会議所を訪問。専務に会って「膳参議院議員がくるので、会頭にお会いしたい」とい
って、会頭と連絡をとっていただいた。
 会頭は、冷水にある会社の事務所におられて、「どうぞおいでください」といわれるので
出かけた。3Fの社長室には、はじめてはいった。
 趣旨を申し上げると「お会いしますよ。商工会議所に出向きましょうか。いまどき、共産党
だからどうのというのは、時代に合わない」とおっしゃる。この方のスケールの大きさを、あ
らたねて感じました。
 夜は「さいか光夫を励ます連絡会」役員会、


         

4月20日 団会議、9条の会事務局、東部後援会

 朝は「団会議」守衛の方が「今日は共産党は全員集合ですか」といわれる。議会がないときに
議員が全員出てきて勉強する会派は、ほかにないからだろう。この日は、住宅政策課などに、お
いでいただいて、新年度予算の詳細をきく。
 5時から「9条の会」打ち合わせ。そのあと、東部後援会に。久しぶりに集まっていただいた
後援会には、幅広いみなさんが参加してくださった。


         

4月21日 東部をまわる

 河野議員と東部をまわる。
 夜は、自治研の「海南海草総合調査」のあとをうけて、どう発展させるかの会合。


         

山下よしき前参議院議員をむかえて

 前参議院議員の山下さんや衆議院予定候補の下村さん、市会議員と一緒に、各団体を訪問しました。
最初に訪問した「下津商工会」で、会長ほか役員さんがそろって対応していただいたのに恐縮。時間
を延長して対話がはずんだ。とくに、船舶を保有して貸し出している業者名方が船舶を作り直す費用
への融資問題をお聞かせいただいて、これは勉強しなくてはならないと。
次に下津農民組合。ここでは、ミカン農家の問題とタヌキなど鳥獣被害問題など。
 海南市で漆器組合では、ちょうど生産者部会が新製品を展示しているところに行き合わせ、花光会
長と懇談のあと、製品をみながらお話を聞く。木をくりぬいて木目を生かしたお皿など、あたらしい
製品に目を見張った。
 商工会議所では、田淵会頭との懇談。そのあと家庭用品業界のお話を聞いた。
 どこにいっても、「海南市をよくするためには党派の違いなど言っているときではない」(田淵商
工会議所会頭)の言葉が、みなさんの共通の思いになっていることを感じました。


         

4月23日 「9条の会」、日中友好協会

午前中、「9条の会」関係、午後、日中友好協会の会議でつまる。夕方、妻の「日曜版」
配達をてつだう。
 夜、「とびある記パンフNo、11」と「二月議会パンフ」ほぼ仕上がり。


         

4月24日 スイミングクラブ

 朝からスイミングクラブの記録会へ。
 神出市長は、今朝、当選証書をもらって、市長第一日だとか。
 いったん自宅に帰ると、ユネスコ関係の役についておられて方から、「9条の会」賛同
のファックスがとどいている。
 午後、下津へ。お会いしたかったお寺の方にお会いする。「9条の会」に賛同いただく。
そのあと河野市議と高校時代の同級生と一緒に地域を回る。


         

4月25日 「9条の会」で

 朝は県議団。それほどの議題なし。
 「9条の会」が気になり、宮下長G先生にお電話すると「あいている」とおっしゃるので
ある神社を訪問しました。神社というのはむづかしいものです。宮司本人が20年も神社庁に
勤務していた、同じ神社に靖国神社にいたものもいる。「靖国神社もうちの神社も同じ神社です」
とおっしゃる。それでも自然保護はしなくてはならないとおっしゃる。
 帰りに被爆者の会の会長さんを訪問。「被爆者の会という組織ではいろいろな方がいる。個人
として9条は守らなくてはならないと思います」とおっしゃる。東京で被爆者の会の学習会から
帰られたばかり。東京の会では、教科書問題をふくめていろいろ論議されてきたという。
 


         

4月26日 すずらん灯など

 午前中に気になっていた「すずらん灯」問題で工事事務所へ。

                           2005年4月26日
県海南工事事務所
所長 南出 誠一 様
                           県会議員  雑賀 光夫

川端通り街路照明(すずらん灯)について

 海南市船尾・黒江の通称川端通りの街路照明は、従来、地元の有志によって維持されて
きておりました。すなわち、地元有志が、街路照明(すずらん灯)をたて、電気代(月2
500円)ときいています。を負担してきたのです。しかし、漆器産業が衰退するなかで、
その維持が困難となり、4月1日から、すずらん灯はけされ、街路は真っ暗になりました。
地元でおききしますと、すずらん灯を撤去する費用600万円ほどが残っているので、そ
のお金で撤去しこの事業を終結するしかないとの検討もおこなわれています。
地元からは、海南市に対してなんらかの街路照明をおこなうよう要望し、神出市長も前向
きの姿勢を示しています。しかし、この街路は、半分は市の管轄、半分は県の管轄である
ともお聞きしています。

そこで、この要望に応えるために、海南市とも協議して、対応をお願いしたいと思います。

@	県工事事務所では、「交差点などでは優先的に街路照明を設置する」としてこら
 れました。それに加えて、この道路は、黒江・船尾地域にとっては国道42号につぐ幹
 線道路であり、それ以上の措置をおねがいしたいと思います。
A	「すずらん灯」の耐用年数がどうなのかは、しらべてみないとわかりませんが、
「制度がかわったから」「規格に合わないから」と機械的に撤去するというのでなく、
県や市に移管し、最小の費用で街路照明を維持することも検討していいかともおもわれます。
撤去の必要がなく、県・市がうけとってくれるのなら、残された600万円は、電気代にま
わせるわけですから、一本年間電気代3万円として、のべ200本(40本点灯として5年
間)の点灯ができることになります。

地元からお聞きしたことから、思いついたことを申し上げただけですので、つめた話は、県・
市・地元自治会でやっていただきたいと思います。
 杓子定規な対応でなく、柔軟な対応をおねがいしたいという思いから、思いつきのようなこ
とまで申し上げておきました。ご検討をお願いします。

 夕方、保守の元市会議員の方を訪問した。
 その方はおっしゃる。「ワシとこは、祭日には日の丸をあげる。このへんでは、ワシとこ
だけや。そやけど、天皇誕生日には上げない。兄貴が戦死したからや。ビルマでインパール
作戦で死んだ。1919年のこと。22歳やった。商売に熱心な兄貴やったが、召集された
んや。」
 私は、この前の県議会で若い議員が戦争美化の教科書採択を迫った話をし、戦争を知らな
い世代が自分の言葉に酔うような戦争美化をするのは怖いですねと申し上げた。

 


         

4月27日 下津行政庁訪問、幡川さんのお母さんのお通夜

 朝、河野議員から電話。幡川さんのお母さんがなくなったとのこと。弔問。91歳という。
 昼前に、下津行政庁へのあいさつ回り。午後、医労連の佐藤さんにおいでいただいて、病院問
題の学習。
 夕方、藤白の高架側道の一方通行の問題で、地域のみなさんの意見を聞いて回る。一方通行で
大変不便だという意見がある。この一方通行は、地元の意見を受けたものだが、やってみると、
かえって不都合だということなら、地元の意見がまとまれば変えることはたやすいと思う。しかし
ある自治会長さんはそれには反対だといわれる。地元の意見が分かれては、手のだしようがない。
 夜は、幡川さんの通夜。門礼に立つ。
 


         

4月28日 「9条の会」準備会

 幡川家のお葬式にでたあと、「9条の会」の準備会。
 その間に、岡本弁護士から電話いただき、「賛同」と「ミニ講演」の承諾をいただいて、ほっと
する。和歌山大学の古井さんと連絡を取りたいと教え子である古井くんに電話したら、もうニュー
ヨークに出発していた。
 「9条の会・準備会」には、15人ほど集まってくれた。川崎先生が、下津の遺族会の文集「黒い
涙」を持ってこられた。すごいものだ。退職された女性教員の方が「高校時代に憲法前文を書き写せ
と宿題にだされたお話をされながら、憲法前文のすごさを語られたのが、すごく心に残った。
 疲れて、家に帰って寝てしまった。
 


         

4月29日 生石山やまびらきなど<

 中山先生、下村さんと生石山にのぼる。今日は「やまびらき」なのだ。松坂さんも、地元の県議の
みなさんもおいでだ。ここにくると、中山さんの方が現職の私より顔が利く。さすが「生石の山焼き」
の中山である。
 午後は、下津にむかう。
 


         

4月30日 時田直也チャリティコンサートなど<

 午前中、美濃議員と美里町をまわった。
 天文台の予算がけずられているのを、県教委が人件費を負担するなど手を差し伸べているなど
聞いていたので、天文台を訪問する。午前中はあいていないので、天文台職員を訪問した。一度、
正規のルートで話を聞く場をつくろうと思う。小関教育長もこの問題では敏速に対応してくれて
いるらしい。ほめるべきところはほめてやろう。
 午後は、盲目のテノール歌手のチャリティコンサート。美里のルーテル教会が中心になっている。落語の
桂米輔さん、神戸から見えられた有木牧師……みんなこれまでもつながりを持っていた方だそう
だ。
 午前中の行動のあと、美濃さんが「迎えに行く人がいるので」というので、いったん別れたの
だが、感じのよい女性を案内して会場にはいってくる。声楽をやるかただという。美里のうたを
うたうところで、美濃さんも美里の合唱団と一緒に舞台に上がった。その女性は遠慮して席にの
こられたので、私とは、美濃さんが立った席ひとつをはさんで、すわるという関係になった。
 その女性は、舞台の合唱団と一緒に、自分の席で歌われた。その声の素晴らしかったこと。
ぼくのために歌ってくれているようで、ぼくは、舞台の声にではなく、隣の女性の声に聞きほれ
た。あとから美濃さんに紹介もいただいてうれしかった。
 夕方、上田議員とまわる。