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2005年11月15日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
アロチに花咲く、流しのおっちゃん。
何気なく普段、目にする和歌山の町並みも最近は少し急いでるかの如くその景色を様変わりさせている。中心市街地は特にだ。築映が閉館したり、この前まで100均あったのに・・と思ってたら今度は、ドンキーホーテとか入れ替わりは激しい。人が求めるものは時代と共に移り変わって行くものだから、これも世の常と自分自身納得はしている。
私が身を置く芸能の世界も最近は爆発的に売れると言う事は大変難しい。
というのも、情報や楽しみ方が多様化されている為‘広域に老若男女誰でも知ってて面白い‘というものは中々出来ない。世代や地域、限定された趣味での人気者は居るが昔の漫才ブームのように、簡単にいうと社会現象的なブームが芸能界では起こりにくいという事。そんな事を考えると日本で最後のブームは携帯電話かなとも思う。
一言で時代に合ったものを商売にすると言っても本当に難しいのです。
先日、いつものように事務所で落語の練習を終え、せせらぎ公園近くにあるご存知斜めのまる豊さんでちょっと遅い晩酌を楽しんでいると、一人の粋なおじさんが入って来た。
オレンジ色のシャツに黒のパンツに身を包んだスラッとしたイデタチ。どっからみてもアパレル関係の人にみれた。中華そばを注文し作ってる間、お客さんと話するのがまる豊流。
横で焼酎水割りを呑んでた僕は、おじさんの正体を聞いてびっくりした。
・ ・その人の正体とは、今や和歌山にたった一人だという‘流し‘さんという。
若い人は知らないので解説すると‘流し‘とはカラオケのない昔、夜のネオン街のお店をギターを持ち、一軒づつ一曲ナンボかでリクエストに即興で応え歌を聞かす商売の事。
僕らが呑みに行きだした時代(平成元年くらい)にはすでにその姿を見る事はなかったが懐メロなどでその存在は知っていた。しかし、実際会った事がなかったでのすごく感激しお疲れにも関らず色々と質問をした。昔、カラオケも無かった時代には10人以上も流しがいたという和歌山。スーツ姿にギターを背中に回し、今も毎夜馴染みの店を訪ねて歩く。
「何も決めてないんやけどコースみたいなものがあってねぇ~」と気さくな笑顔が素敵だ。昔と今の違いは?と聞くと、昔はリクエストがあるとこっちが歌っていたが今は逆。
それにカラオケ慣れで皆歌詞を覚えてないんで、音消でかけてそれ見て歌うと言うのが多いとか。「歌本見せたらええんちゃいますの?」と尋ねると、お店の利益も考えてそうしてると気配りも忘れない。ジャンヌを問わず、レパートリーは5000曲以上というおじさんの頭の中はどうなってるのだろうか? 僕は、その昔ピアノで歌った事はあるが本当に気持ちがイイ!ちょっと音程やリズムを外しても、鍵盤を弾かせ笑顔で合わしてくれる。そんな大人な雰囲気は、背伸びしていた自分に心地よく贅沢を感じたものだった。
打ち込みの通信カラオケもリアルでいいけど、酒を呑みながら弾き語りで歌を聴いたり歌ったりっていうもの染みるもんです。
自分のスタイルを崩すことなく、和歌山のネオンに溶け込んで50年という流しのおっちゃん。今は一曲ではなく時間でギャラが決まるという。もちろん顔見知りになり呼んだら来てくれるらしいのでいつか特別な夜に来てもらいたいなあ~と思う。
ただし携帯は持ってないみたい。理由は自分ペースが乱れるとの事。あくまでもマイペースなカッコイイ流しのおっちゃんだ!皆さんもアロチで、もし見かけたらそれはとってもラッキー。だって和歌山にたった一人の貴重な人だから。
Posted by sisomaru at 2005年11月15日 19:35