中山豊議員の一般質問と答弁     (2月26日)

※答弁は要約して記載しています。

 

1.道路問題について

2.環境にかかわること

3.過疎対策について

4.第2回市町村対抗ジュニア駅伝(要望)

5.紀州漆器産業の現状と将来について

6.ミカン対策について

7.使用済み核燃料の貯蔵所について

 

1.道路問題について

 築地阪井線の工事完了、供用開始に伴って、周辺地域の急速な発展の様子は大変なものがあります。皆さんも通ってみてください。海南駅から野上向いて走る。龍部池まで行かないうちで道はちょっと狭くなっているけれども、三差路のところまでずっとよくなっている。頭脳立地の方へ行く道もつきました。あのあたりはすごくよくなった。道路がよくなると地域環境がこれほどまでに変わるものか。発展への兆しがふつふつとわいてくるような情景が目の当たりに浮かびます。こういうふうな活力を取り戻そうということの一つのきっかけをつくるとするならば、道をつかんで離さなかったという中山の政治姿勢は大いに評価されてもいいのではないかということだけではなくて、よく離さずに8年間言い続けてきたもんだなということの感慨が深いものがあります。こういうふうにして考えたときに、海南市は駅前のあたりの商店街を中心にして栄えておったけれども、一つの道が整備されることによって、今申したような地域への方向に商店街の中心部が移りつつあるくらいに変化してきた。こういうふうな変貌の仕方をしているんです。道はいいですよ、道は地域の発展と皆さんの活力をつけるために欠かすことのできない課題だとして、いま一つ申し上げておきたいと思います。

 それから、龍部池までの拡幅整備を言い続けてきましたけれども、土地区画整理事業とのかかわり合いで当局の皆さんは対応してくれました。重ねて申しますが、龍部池までの道路の整備について、改めてお考えをお聞かせください。

 三つ目、これからや。一番狭隘なところを通すのには大変だということで、平成2年に阪井バイパスという仮称バイパス路線の法線を引いた。地域の人たちは、元道とバイパスとの間の50bもはなれていないようなところにだれが道を引いたんだという批判が起こって、それから一向に進まないで今日に来ている。しかし、事態は変わってきた。お年寄りも出てきた。先行き考えたら、早いことつけてもらわなかったら、目の黒いうちに道がつかないというふうに差し迫ってきたと。こういうふうな人たちの声が反映されて、あの道を早いとこつけてくれ、つけてくれなかったら、おれの人生設計が立たんというふうに変化してきた。そういうふうな変化にこたえて、当局の皆さんはあのバイパスを早いことつけてください、こういうふうに申し上げたいところです。

 いろいろお聞きしてみると、国土交通省の皆さんも、一番混雑をきわめているようなところだけをして、あとはできるだけ支線を通し、つないで解消するというふうな意向もあるようだけれども、いずれにしても、ここのところを早いことやってもらうという要求を皆さんに投げかけて、それへの答弁をお願いいたしたいと思います。

 木津から東部の方、宗さんや尾崎さんなどが担当してくださっている選挙区にかかわるところの高野山向いての話も、許されるとするならば構想ぐらいは述べておいてほしいと思います。

 次は、県道海南金屋線。おりてきて、市民グラウンドから日方の高架までの間に、俗に言う神田という地域。これはまた狭い。今皆さんが大変な努力を重ねて、除去をしたり待避所をつくったりして、県は広めるんやで、整備するんやでという姿を地域住民の皆さんに熱心にお示しいただいていることはありがたい。これについての展望をお聞かせください。

◆大山耕二土木部長
 築地阪井線の供用により交通混雑が緩和し、安全で快適な交通環境が確保されることで、この地域の健全な市街地形成に寄与すると考えている。重根から竜部池の区間は土地区画整理事業の中で、平成15年度新規に事業着手する予定。阪井バイパスは以前に地元提示を行ったルートを基本に、地元の理解を得ながら早期の都市計画決定に向け努力する。木津バイパス以東は、美里町、野上町内の道路整備と整合性のとれたネットワークとして考えていく。
 県道海南金屋線神田地区は日方川沿いの狭隘区間を優先的に整備している。暫定的な供用形態として待避所を設置する。

 

2.環境にかかわること

 次、環境にかかわるお話を申し上げていきたいと思います。

 かねてより、環境問題について持続的、継続的にあれこれと視点を変えて申し上げてきました。総じて申せば、県当局は雑賀崎の埋立計画を断念されたこと、生石山のススキ原を復元させるためにススキを焼く話、タイワンザルの捕獲の方針をきめなさったこと、自然回復を試みる会、孟子ビオトープにNPOの認証を与えてくださったこと、和歌浦干潟の護岸工事を再検討しようと県の態度が改められたこと、これらを挙げてみたら県の環境行政には秀でたものがあると私は見ているわけです。立派だなと思っているんです。地域住民の自然環境を守ろうとする願いや要求を受け入れて行政を進めようとする柔軟な態度をおとりになっているということは、県民の是とするところだとして高く評価しているところであります。いずれの問題についても、当局の決断は住民の声が当局に反映されたものとして受けとめて、まず間違いないでしょう。

 和歌浦干潟を検討し直そうという過程でペントス学会、いわゆる干潟の底生動物を研究している学会の総会の中でも、あれは見直す方がいいよとして県の方へ総会の決議をなされた。それに引き続いて、ファイアバンキアサカグチイクロダという小さなマキガイを発見した先生が海南にいらっしゃるわけです。元県の教育長をしていた井上さんが青年時代にそれを発見なさって、その学名をつけるときに、自分の名前を使わないで自分が師事していた坂口先生の名前を使って学名をつけたという、それがファイアバンキアサカグチイクロダという名前のようです。これはちょっと聞きなれない名前で舌がもつれるんだけれども、サカグチイクロダというのは、坂口総一郎という先生の名前のようです。クロダというのは、このマキガイの国際的な権威者が京都大学にいらした。その先生たちの名前でつけられたということです。井上先生自身が発見しているのだから、イノウエイクロダとつけて当然だとおもわれるけれども、そこに井上先生のすばらしい人柄がうかがえるのではないでしょうか。人がしたことでもおれがしんたんだというような世の常の中にあって、自分の功績を人に譲ってまでも学会名をつけさせるという、こういうふうな先生におれたちが導かれて、薫化を受けて今日まで来ていることを、この場をかりて申し上げながら、その裏打ちをもって県の方たちが、それほどに値打ちのある干潟だとしたらこの干潟を守らなくてはならない、当初計画した工事計画を再検討しよう、こういうぐうなご決断をなさったようであります。すばらしい干潟があそこにあるがために、和歌浦湾だけでなくて紀ノ川の川口からずっと南の方に至るまで、海浜に至る水生動物の豊かさが、あそこを根っこにして保証されているというふうなお話であります。

 だから、干潟をあのようにして、工事しようとして計画したけれども、あの計画はもう一遍見直すべきだという見地に立たれた県当局の見識の高さというんでしょうか、そこまで持ち上げることはないと言われるかもしれんけれども、見識の高さとすばらしい判断、こういうふうなものの裏打ちの中で環境行政がされているということは、自然環境にいささかなりとも気心のある自分にとってみたらうれしいで。何なのよ県、仕方のないようなことをしくさってというようなことを我に言わすべくもなく立派にやってくれているということに対して、喜びを与えていただく行政は、これは立派だよ。今後も、生石山のススキ原を復元させたり、山を豊にするような仕事をしたり、こういうふうな形で行政が進められていくことを特にお願い申し上げたいと思います。

 これにつけて、せんだって亡くなられた後藤伸先生のお話に少し触れなくちゃならない、そういう気持ちになります。紀伊半島の南部に広がる照葉樹林の大切さを説かれた人です。大塔山系生物研究グループの研究の先頭に立たれた方であります。営林署や営林局に対しても、大きな面積で一斉に伐採などしないでくださいということを繰り返し訴えて、紀州木の国、熊野の山を守る先頭に立たれた人であります。当時は、そのような要求はなかなか営林署や営林局などに受け入れられなかった。こういうふうな暗い大変な時代も受け続けながら、それを主張し続けた人であります。彼は、いろいろな角度から照葉樹林の大切さを説き続け、今日に来たりながら、志半ばにしてなくなられたわけであります。南紀の森に昔の自然植生を取り戻そうということで、新聞にも載ったことでご記憶があろうかと思いますが、「いちいがしの会」をおつくりになって、大勢の人々と一緒に照葉樹の植栽を行ってきた功績を持たれている人です。また、いろいろな本をかかれています。「自然を捨てた日本人」「原生林紀行」「虫たちの熊野」といった多くの著書や「くまの文庫」など、和歌山県教育功労賞や田辺市文化賞などを受賞されている人でもあります。また南方熊楠記念館の活動及び熊楠研究にも深くかかわてくれていたようであります。自然環境にかかわる彼の功績を何らかの形で継承される取り組みを私は提起しておきたいわけであります。

 あわせて、特に里山を豊にする樹種の増殖に励まれるように求めておきたいわけであります。宗さんも申されました。山は海を豊かにすることは言うまでもないことである。つけ加えておきたいと思います。

 これからの環境行政について、さらなる発展を期待するところであるけれども、どのように発展させようとお考えいただけるのか、お考えをお述べいただければありがたいと思います。

 山をつくりたいという人たちが、私の周りにたくさん集まってくるようになりました。それは、知事が緑の雇用というような事業を起こされてからでしょう。美里の方で山を掃除するということで、森林組合からハローワークを通じて求人があった。4人グループで応募する。4人が固まっていきたいんやというお話であります。1人でも欠けたらあかんのやというお話や。どこから求人があったのかなと思っていろいろ調べてみた。林業振興課かいな、県庁のそういうふうなことにかかわる部署からの紹介かいなと思って聞いたけれども、なかなかない。よう考えてみたら、県が企画して、求人などの作業はハローワークに移すんだってな。ハローワークからあったんやと言う。ハローワークの署長に聞いてみたら、実はあったんや、4人来ていると言うわけや。5人の募集に対して4人や。1人も欠けたらあかんのや。グループで行きたいんや。4人とも行けるようにご配慮願いたいと申し上げたら、ハローワークの署長は4人を美里へ派遣してくれるようなご配慮をいただいて、この間うちから行っていますわ。

 その人たちが帰ってきて、僕のところへ話をしに来てくれているのや。山を汚すのを見て、汚している山を見て、汚されている物を見たら、だれが汚したかということがすぐわかる、こういうふうなことから始まって、山の水はきれいや、和歌山の山はきれいやと、こう言うわけ。その中に一人、丸坊主にしてお坊さんみたいな人がおったので、あなたはどこから来たんですか、生まれたのはどこですかと聞いてみたら、大阪で生まれて、大阪で育って、沖縄へ行ってきた。沖縄からはるか祖国を眺めたときに、和歌山の山が一番立派や、和歌山の山が一番きれいや、それに引かれて和歌山へ来たんや。海南の山に住みついて、そういう作業にグループと一緒に参加するという、こういうふうな人がそこにおった。その人いわく、私が住んでいる山の近くに大きな山桜がある、山桜に差し渡し10aばかりのフジのつるが巻きついて、今まさにその山桜が枯死寸前に追いやられていた、私はそれを見かねてフジのつるを切った、やがてこの山桜が枯れないでよみがえってきて春になったら花が咲くであろう、それが楽しみやという。こういう心を持って和歌山の山を守りたい、こうおっしゃる。

 木村知事、こういうふうな人たちが今和歌山に集まってきよるんよ。あなたが提起をしている緑の雇用事業というふうな事業に鼓舞され激励されて、必ずやその事業が達成される道行きには和歌山は立派になる。日本全国広しといえども、和歌山ぐらい立派な山はないと、この人たちは言うているのや。和歌山に住みついて、和歌山の山に見なれている我々は、さほど和歌山の山の立派さは知らないかもわからない。それほど、ふるさと和歌山の山はいいんや。立派なもんや。それを守ろう。それを根城にしてそこで生活し、和歌山県を発展させようという、この事業こそが21世紀の将来にわたって発展していく道であろう、私もそう思う。自然にかかわりを持って関心を示し出せば示しだすほど、そういうふうな情感が豊になる。こういうふうにしてやりたいね。緑の雇用をもっともっと発展させていきたいと思います。そういう意味合いでやっていきたいと思います。

◆秋月成夫環境生活部長
 県民、企業、地域と行政が協働するという姿勢に立ち、各々の活動の盛り上がりを支援していくこと、そして行政内部でも関係部局がよく議論をし、協力して取り組むことが大切だと考えている。先人から引き継いだ良好な環境は、後世に確実に渡していかねばならない。「和歌山環境立県」を目指し積極的に取り組んでいきたい。

 

3.過疎対策について

 次の過疎対策に移ります。

 2月11日の紀元節、何のことはない、日本の国が建設された日やということで紀元節があった。昔、建国の日や。歴史的には本当かうそか私は知らんで。知らんけれども、建国の日やと言われたら、その日に建国されたんやなということにちなんで、我が祖国、我がふるさとがどういうふうになっているかということを改めてもう一遍眺めてみようやないかという気心が起こるのは、普通だったら当たり前の話やろ。

 それで、黒沢山の近くや山頂に上がってみな。和泉山脈はもちろん、泉佐野の方までずっと見晴らせて見えるよ。和歌山はもちろんのこと、景色はいいわ。そやけれども、足元の田や畑は荒れてえらいことや。ミカンやカキ畑はもう侵食植物に荒らされて入りようがないくらいにやられている。そこのお年寄りに聞いてみたら、昔は40軒ほどあったけれども今は20軒もないわと、こう言うわけや。しかし、そこに住んでいる人たちはどんな人かといったら、もう年寄り2人や、えごえごしておって、あと10年もしたら人がおらんような村になるでとこういう話。地方の政治家として、政治の末席を汚している中山にとってみたら、おれは何をしたらいいのかいな、何が考えられるのかなということをひしひしと胸を打たれたよ。政治というものは、もっとこういうふうなところに光を当てて当然ではないか。それに置き比べて、日本の今の政治はどういうことなのよということを考えざるを得なかった。

 戦後、焦土と化した日本の国を復興させて、経済成長されてきて豊になり、物が便利にもなった。だけれども、今どうよ。それに置き比べて考えてみたら、思い出すことがあります。中国の唐代の大詩人に杜甫という人がありました。46歳の春、反乱軍の占領下に置かれた長安の都をはかなみながら、山や川の自然はまともなままちゃんと残っているのを見て、「国破れて山河在り 城春にし草木深し 時に感じては花にも涙をそそぎ」、こういうふうな歌を歌われているわけです。それに置き比べて、日本はどうよ。それとまるっきり逆や。「国栄えて山河なし」や、ぼろぼろや。こんな国にだれがしたんなということをみずからに問いたかったわけよ。今、そういうふうな国から立ち上がらなかったら日本の将来はあり得ない。こういうふうなところから和歌山県が立ち上がろうやないかということを知事が提起されたことにかかわってやられているという、こういうふうなことではないかと思われる。

 そのふもとの小学校は、もう閉塞状態。小さくなっている。そこの住民たちは言う。公営住宅なり県営住宅なり市営住宅なりが建ってくれたら、子どもがふえて、もっと適正な規模で学校運営がされて活気が出てくるのに、それに置き比べて亀川はどうよと、こうなるわけや。皆さんのご協力を得て、亀川に県営住宅を建ててもらった。今、海南市の小学校で適正規模で経営されている学校は亀川しかないで。それに置き比べて、黒沢山のふもとの小学校は閉塞状態。こういうふうなことを置き比べてみたときに、どうしても黒沢山のふもとに県営住宅を建てたり水道を布設して、若い人たちがよそへ出ていかないようにインフラをするという、こういう取り組みをどうしても政治の仕事としてしなくちゃならんのやないかと、こういうふうに思われる。

 近代文明が発達して、それにならされた青年たちが、洗濯機も使えないような家庭の生活の実態の中で、だれがおれると言える。お年寄りにしろ、親にしろ、家におって田を守れ、畑を守れというようなことは口が裂けても言えない。まさに寡黙になるというわけや。そういうふうなところに光を当てて、もっと生き生きしたというところまでは言わないにしても、普通に人間が住みつき、人間が生活の場にできるような地域にしてあげてほしいと思うわけです。戦争中どうやったんよ。町が焼かれるときに、荷物を提げて皆逃げ帰ってきたところやないの。戦争が終わったら、荷物を提げてまた都市部へ行った。一番えらいときに、一番厳しいときに、人間はああいうところへ身を隠して生き延びていったんじゃないの。そういうふうな生き延びていったところが、もう役に立たんから、今、大したことないからといって捨てんなんことはないでしょう。そういうふうなところにこそ今政治の光を当てて、もうちょっと人間らしい生活のできるような地域に変えていけるような和歌山県であってほしい。こういう地域は和歌山県に幾らもあるはずや。海南で探すことないよ。幾らもあるはずや。そういうところへこれから和歌山県政が力を尽くしていただけるよう特にお願いをして、ここの項は終わります。

◆木村良樹知事
 和歌山県の中山間地域が滅びることは県にとっても不幸であり、日本全国にとってもゆゆしき事態だという考え方のもと、こういうこと(ふるさとづくり、緑の雇用、過疎問題への対策)をすすめている。

 

4.第2回市町村対抗ジュニア駅伝(要望)

 次、市町村対抗ジュニア駅伝。

 去年の不始末を反省して、ことしは立派にやってくれた。実によかった。評価しておきたい。皆さんの努力に。だけれども、一つ、二つだけ物を申しておきたい。あれだけ立派にやっておきながら、次に県民の心を鼓舞し、県民をさらに前におし立ててやろうやないかというような気心をなぜ発揮できるような総括をしてあげんのよ。申し上げようか。

 北山村、生徒が足りない。だから、中学生が走るところを小学校で受け継いで走ってもいいか、こういう話になったときに、規格からいったらそれは当てはまらんからやめてくれと、こういうふうなことを言うたら、どの市町村からもチームをつくって参加することができない。それを皆さんが受け入れて、どの市町村からもチームをつくって走ることができたという。これは立派なことですよ。こういうふうなことを過大にせよ評価をして、裏にこういうふうな論議があって、こうれほどに皆さんのご協力と協調ができて成功したんやでということを参加した子どもたちやご父兄の皆さんにお話したとしたら、次もそうしなくちゃならない、次もそういうふうにしてでも参加させてもらいたいというふうにして盛り上がってくるはずなのよ。これが一つ。

 二つ目、一番最後に走ってきたチームはどこだと思う。北山村と違うんや。そういうふうな支援と援助があって、北山村は最後尾でなかった。47番目に入ってきた。この47番という順位は、北山村にとってはすばらしい成績だったと僕は思っている。なぜかと言ったら、皆さんの前段でのそのような協調と支え合う力の反映として見たときに、47番というのはすばらしいでしょう。こういう評価をしてほしかった。北山村も喜んだであろうし、北山村を参加させることによって、それほどの成績をおさめられたということの背景に、自分たち一人一人が役に立ったんだということの認識をみんなして共通に持ったとしたら、これほど立派なジュニア駅伝というものはないんやないの。これは、よそへ言ったって恥ずかしくないような仕事よ。こういう仕事を和歌山県がやっておきながら、なぜそういうふうなところへ発展的に持っていこうとする総括をしてあげないの。県の幹部は、そういう意味合いで才覚を発揮してやってほしいで、正直言ったら。もうちょっと、そういう点の勉強をしてほしい。

 その次、最後尾で走ってきたのは花園村や。あのコースを走るのに、二時間足らずもかかったんや。そぼふる雨の中、応援する県民は、まんじりともしないで最後に走ってくる花園村を待ってたじゃないの。入ってきた花園村に惜しみなく激励の拍手を送ったでしょうが。ああいう姿は和歌山県民の美徳よ。そういうふうなところを強く大きくすることによって、和歌山県はもっと立派になる。仕方のないような青少年が生まれるような土壌をなくしていくようなことができる。教育の大事なのは、そういうことなのよ。やれ指導要領やの、「君が代」やのどうやのと、そんなことだけで立派な子どもにはならん。具体的なそういうふうな事実と、具体的なそういうふうな成果を皆さんが評価し合うことによって子どもたちが立派に育っていくのと違うのか。新しい立派な県民性が培われていくというものよ。

 

5.紀州漆器産業の現状と将来について

 もう漆器はあえぎあえぎや。もう、今までみたいに一般的に言うたってあかんのや。漆器をよくしようと思ったら、漆器をよくしてくださいと言って、国の認定を受けた伝統工芸士というのがあるのよ。その人を大事にして、その人を柱にして物づくりを盛り上げていくというような、そういうふうなことに成功していないのよ。漆器組合の皆さんも、漆器をつくるあの町の人たちも、海南市も、県も。伝統工芸士を軸にしながら、物づくりにいそしんで、つくったものをみんなに買ってもらう、売ってもらう、こういうところに収れんをした取り組みをしたら、必ずや――だって、去年一年経験したんや。きょうもいらしているけれども、沈金の工芸士、その人の作品展をした。その工芸士の作品展の場所で、私は、沈金の工芸士だということを皆さんに見てもらった。たくさんの人が来て、その人がつくってくれる作品を皆いただいて帰るという、こういうふうなことが起こったじゃないの。それをみんなに広め、その仕事をもっとみんなで押し上げるということにしたら、黒江の漆器産業は他に引けをとることのないように発展していくであろうと、こういうふうに思う。去年の一年間の実績からして。それをぜひ県も応援してあげてほしいと思う。

◆石橋秀彦商工労働部長
 県では伝統工芸の後継者確保に努め、体験教室の実施など産地の積極的な取り組みを支援していきたい。

 

6.ミカン対策について

 ミカンは、やはりいいものをつくれ、前にこういうふうに言うたけれども、いいものをつくってもさほどでないんやな。外国からの貿易の自由化から始まって、何かにつけて人間の、国民の嗜好状況が変わってきているということも手伝っている。これは、一つの文化やで。よそから来た文化に支配されて、日本伝来の立派な文化が侵食されてきていることに気づかないで、あれやのこれやのというような形でうろうろしていたら日本人なくなるで、正直言うたら。ミカンを大事にし、ミカンを食するというような日本人になろうと思ったら、その心を大事にしようや。そういうところに立ち返ってミカンづくりを考え、ミカンの販売消費活動を考える。戦略的にはそうすべきだと思う。東京の市場や、そういうふうなところへ行くにも、だれ和歌山のミカンや、やれ何のミカンやというようなことだけではなくて、政府にも日本の食文化にかかわって、外国の支配に左右されて崩されていくことのないような、文化状況を創造するようなミカン政策を打ち立てることを訴えます。

◆辻健農林水産部長
 優良品種の育成やマルチ栽培の推進などの高品質生産対策、省力・低コスト対策など地元対策を推進する一方、より効果的な価格安定対策や消費拡大対策の充実について、「全国みかん生産府県知事会議」などを通じ国に強く要望し、関係者一体となってみかん農家の経営安定を図りたい。

 

7.使用済み核燃料の貯蔵所について

 核燃料、これは、県もそんなものを許すわけはないと、そういうふうな態度をとられている。関電も、そんなものを持ってこようというふうな意思ではないということも表明している。これらを合わせたら、新聞に書かれているあれやこれやする心配はないようだけれども、事態はどういうふうにして変わっていくかもわからない。そのときに、しゃんとした態度で対応してくれることを県にお願いを申し上げて、終わります。

◆木村知事
 このあいだの新聞に報道された問題については、中山議員のお話のあったとおりだ。