エディターのページ・編集日記 4月29日付 の話の続きです。
ハイドンの交響曲第82番「くま」
その名のいわれとなった第4楽章の「ボワーン」は何度か出てきますが、それ以外でくまを思わせるような旋律もなく、
いわば、「ここ一発」で決まった名前。
となると、「びっくり」や「驚愕」という名で知られる94番が有名ですね。
そこで、愛称が曲全体のどれくらいを占めるかということについて考えてみました。
まずは「運命」から。
運命のどの部分が運命なのかは意見が分かれそうですが、
とりあえずは第1楽章は全部運命だとしましょう。
2楽章はどうでしょう?
3楽章は途中で「タタタターン」が出てくるので、運命を思わせます。
4楽章は勝利の楽章だとしたら、運命かどうか?勝つのが運命だったのか?
こうなると、運命の定義づけに関わってきますね。
あとは、きちんと研究している方にお任せします。
「田園」は、すべてが田園でよいでしょうね。
「合唱つき」は、合唱団が最初から舞台にいる場合が多いので、「合唱団つき」なら全楽章ですが、
歌っているという意味で合唱つきといえば、第4楽章の、まさに歌っている時間が合唱つき。
「ソリスト」もいますが、「独唱(あるいは重唱)および合唱つき」とは、けっして言いませんね。
モーツァルトのバイオリン協奏曲「トルコ風」、いつトルコになるのやら?
第3楽章でほんの一時、
どん、どん、どんどんどん、という、トルコ風になりました。
ハイドンはほとんど知りませんが、前述のノリのものが多いかもしれません。これからの研究課題です。
ベルリオーズの「幻想交響曲」、ファンタスティックなどというと、どんなすがすがしい音楽だろうと思いきや、
「幻想」というよりは「幻覚」交響曲ですね。
薬を飲んでしまって幻覚症状になっているのは、後半のほうです。
「ルスランとリュドミラ」、「ダフニスとクロエ」、などは、登場人物の名前だから、全編といえるでしょうか。
マーラーの「巨人」はどこからどこまでが巨人なのか?そういう問題ではないのかもしれませんが。「復活」は第5楽章で復活するのでしょう。「悲劇的」はわりと全般にわたって悲劇的。「千人の交響曲」は、もし本当に千人でやるのならいいですが、そうでなければ、千人風の交響曲と言わなければ。
まだまだ研究の余地があります。今後も続けます。