雑賀の実験室

さいか県議の活動日誌 5月


雑賀県議の活動日誌3月
雑賀県議の活動日誌4月
         
         
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5月1日 メーデー集会 5月2日 幡川・上田市議と市役所へ 5月3日 憲法記念日・9条の会署名行動
5月4日 「9条の会」・地域の要求 5月5日 こどもの日、今日だけ予定ナシ 5月6日 大雨の中、田辺応援、夜は民商との懇談
5月7日 今日も田辺市長選挙。16回の街頭演説 5月8日 きょうは、ちょっとゆっくり 5月9日 県庁でしごと、平和行進
5月10日 大成高校問題で野上を回る 5月11日下津の船主、美里町の平和行進など 5月12日
5月13日 文教委員会など 5月14日 東部で新聞購読のおすすめ、憲法学習会(渡辺治) 5月15日 市民総合体育大会と戦没者慰霊祭
5月16日 美里へ、東浜へ、そして後援会 5月17日 県へ、おくやみ、海南市議員団など 5月18日 駅と列車の段差で岩代駅を調査
5月19日 智弁学園を訪問 5月20日 下津で宣伝など 5月21日 「海南海草9条の会」発起会
5月22日 下津・なんでも相談会 5月23日 県庁へ、県工事事務所へ 5月24日 免許書き換えや黒江のNPO会議
5月25日 全県議員団会議 5月26日 久しぶりで「新聞あかはた」の前進 5月27日 内海へ、下津へ、ミスはあったが充実
5月28日 亀川の支部とお付き合い 5月29日 医療生協総会や教科書集会 5月30日 松江さんと下津へ・国道42号バイパス
5月31日 「9条の会」で高木さん、国労との懇談


5月1日 メーデー集会

 燦々公園でメーデー集会である。
 「9条の会」の署名用紙をもちこんで、みなさんで手分けして署名をあつめる。
 みごとなプラカードがならんでいる。とくに大野小学校の先生は絵が上手なのか
みごとな立体プラカードもある。
 天気は下り坂。すこし早足であるいたらいいのにと気がせくが、そんなことも言え
ない。燦々公園までもどってきて、拍手でデモの隊列を迎えた。参加者は結構多い。
プラカード審査、福引のころには雨が降り始めていた。
 夕方、和歌山大学の宿舎などを、河野市議と訪問。


         

5月2日 幡川・上田市議と市役所へ

 雑賀紀光の画集をだしたいという有志の方がおられるので、そのための集まりにでる。
「画集など作っても売れるののではないから迷惑をかけるといけない」とくりかえして
申し上げておいた。
 岡田と且来の間にある二つ池の護岸の問題で市役所へ。


         


5月3日 憲法記念日・9条の会署名行動

 憲法記念日です。
 朝から、「9条の会」のメンバーが教育会館に集まりました。最初に「9条の会パンフ」の井上ひさし
さんの分の輪読です。憲法制定当時の幣原首相(戦争放棄をマッカーサーに提案したといわれる)が、
「パリ不戦条約」のときの外務大臣だったということをはじめて知りました。井上さんは、この人物の
重なりをとうして、「憲法9条」の戦争放棄の思想が、突然でてきたものでなく、「パリ不戦条約」「国
際連合」とつずく、国際的な不再戦の流れの本流であったことを言われるのです。
 みなさんで、商店街を中心にまわってくれました。「9条の会」の賛同者をみてください。「メーデー」
「憲法記念日」で、大幅に賛同者が増えているのがわかります。
 明日も、午前10時に教育会館でお待ちしています。


         

5月4日 「9条の会」・地域の要求

 朝から9条の会の統一行動。教職員組合の江川さんと私は二日連続だが、あとは入れ替わりで8人の
参加だった。幡川議員と一緒に、自治会役員を訪問した。
 「学徒動員のとき、私は理科系だったのではずされたのだが、見送りの席にいた。学生時代が戦争中
です。一生懸命勉強したのですが、その勉強した英語が『敵性語』というので、入試科目からはずされ
たのです。大学にはいって奨学金をもらったのですが、すると毎月、憲兵が訪問してくるのです。『お
かしな思想にかぶれていないか』チェックにくる。本箱をみて『社会』という言葉がついた本があると
『この本は何だ』と聞かれる」
 私は、「日本近代史」(井上清)という本で「『昆虫社会』という本まで、社会主義の本かと思われて
取り締まられた」というのを読んで「ほんまかいな」と思ったことがあるが、生きた証人からそのことを
きかされた。
 もう一軒のお宅では「9条と戦争」の話をすると「戦争は絶対にやってはいけない。私は、『昭和と戦
争』のビデオ(日本通信教育連盟)をそろえてるんだ」といわれる。十数巻のなかの2巻をお借りした。
「いいことをやってくれてるんですねえ」とおっしゃって、すぐに賛同署名をいただいた。
 このほか、池の問題、道路の安全、川端通りのすずらん灯、公民館のエレベーター、津浪防災問題など
の問題で地域を回った。


         

5月5日 こどもの日、今日だけ予定ナシ

 今日だけ予定がない。新聞の集金ののこったところを訪問。あとはゆっくりというつもりだったが、
パソコントラブルでパニックに。昨日からのことだが、Eメールの送信ができるのに、受信できないので
す。困った。休日でナックスネットのサービスもお休み。大事なメールが来ていたらこまるといろいろや
るがうまくいかない。ジョーシン小早川にも相談にいく。パソコン博士の角下君にも電話。結局、ナック
スネットに「助けて」のファックスを送った。
 明日からは田辺市長選挙応援でいそがしい。
 「読者ニュース」は、一週間休み(赤旗日曜版休刊)ですこしゆっくり。次の号の準備をはじめた。

トップ記事は次のように書きました。

生活相談所にどうぞ、みごとなつつじがお迎えします
東浜の生活相談所には、中山ゆたか前県議が、みなさんをお待ちしています。でも、最初に入るのに
は勇気がいるようです。最近電話いただいた方は、近所の赤旗読者の方から「あそこへ相談にいった
らどう?」と勧めていただいたそうです。
読者の方なら、「相談所」と議員が身近ですから、気軽に勧めていただけます。
先日この相談所に、みごとなサツキの鉢植えがとどきました。生活相談所は、みなさんに支えられた
みなさんの相談所です。

 あれ、はじめに「つつじ」と書いて、あとから「さつき」になっている。「つつじ」と「さつき」は
どう違うんだろう? 調べてみると「さつきは、つつじの一種で。さつきつつじの略」とある。
中山さんの「さくら談義」の影響か。しかし、中山さんほどの造詣はなく、はずかしい。

この号には、中山さんの「さくら談義A」を載せる予定。

中山ゆたかのさくら談義A
 「韓国は釜山の西、鎮海、その沖合いに朝鮮半島最南端の巨済島がある。韓国のさくら前線は巨済島
からはじまる。さくら前線は20日間ほどかけて南北朝鮮を分断している。非武装地帯までたどりくくと
いう。」
 こんな書き出しで「青海を求めて鎮海の桜前線」と朝日新聞に船橋洋一がかいていた。
それによると鎮海のさくらはソメイヨシノであり王桜といわれる。原産地は済州島であると韓国の植物学
者はとなえた。それと同様の説が、日本の植物学者・小泉源一郎(京都大学教授)が学界に報告されてい
たともいわれる。鎮海市史にもそのような記述があるそうです。
 さくらといえば日本、日本固有の花との認識があったが、鎮海市史や植物学者が学会に報告しているこ
とを知るにつけ、勝手に思い込みをしていたことのおろかしさを自省するばかりです。
 中国、朝鮮と東北アジアは、植物分布でも文化でもつながりを持っており、お互いに知り合うことの必
要を痛感するしだいです。





         

5月6日 大雨の中、田辺応援、夜は民商との懇談

 河野市議と一緒に、田辺市議選の応援にでかけた。高田前県議が迎えてくれた。
 田辺の争点は、わかりやすい。
 財政難を口実にした合併で、市民への負担を許してはならない。ところが3月議会で、国保税の
引き上げが決められた。3年計画で、平均64000円から81000円への引き上げ。しかし、
国保会計では15億円の積み立てがある。市民の生活が大変なとき、それをとりくずせば、引き上
げはいらない。市民の負担を増やす一方、市会議員は市の幹部と市民の税金で飲み食いしている。
 大雨で原稿はぬれてしまうが、この明確な論理は、原稿ナシでもしゃべれる。でもあまりの雨で
少し早く切り上げた。
 早く帰れたので、メールが受信できなくなった問題で、NAXNETに電話。さすがだ。アドバイスで
トラブルは解決。
 夜は、日中友好協会の学習会と民商の懇談会をはしご。下村さんと一緒に。


         

5月7日 田辺市長選挙で、16回の街頭演説

 野上の林議員と一緒に、今日も田辺市長選挙の応援。昨日と違っていい天気なので、二人で16回
の街頭の街頭宣伝。
 疲れたので、西牟婁教育会館に立ち寄り休憩させていただいた。土曜日だったが、女性部の会議が
あるとかで、会館が開いていたのは幸いだった。民ねえさんや、わたしが「スーチーさん」とおよび
している女性の先生にもお会いできてうれしかった。
 夕方、退職された教職員の仲間を励ます会。
 家に帰ると、美濃産からの「読者ニュース」原稿。少し直して次のようにしようと思う。

美里町でのチャリティコンサート
 昨年、大きな地震の被害を受けた、新潟県の旧山古志村を支援するため、チャリティコンサートが開
かれました。
 山古志村も美里町も多くの課題をもったまま、市町村合併のためなくなります。県下トップクラスの
美里文化ホールは、合併後は放置される心配もあります。子どもたちを情操豊かに育てるため、時々は
この施設で生の文化にふれさせたい、そんな思いで聴いていました。
  美里のイメージソング「緑もえるまち」を、海南の井澤先生が指導する、美里「いきいきコーラス」
を私も一緒に合唱しました。
 主催のルーテル協会や関係されたみなさん、本当にご苦労様でした。                   
                          美濃よしかず(美里町議会議員)


「いきいきコーラス」のとき、私は隣の女性の声に聞きほれていました。
それもそのはず、私の隣に座られたのはプロの声楽の方だったのです。参加者を含めて文化水準の高い
つどいでした。(さいか)


5月8日 きょうは、ちょっとゆっくり

 二日続けて田辺応援でがんばったので、きょうはちょっとゆっくり。
 午後は、県委員会総会。保守のひとたちとの共同や、「しんぱいかけてすまなんだ」とあやまる
ことの大切さなどについて発言。
 笑いをとろうとしたわけでもないが、ぼくの発言に4回ほど爆笑がおこる。こんなに気持ちよく
笑ってもらって話をしたことはめずらしい。


         

5月9日 県庁でしごと、平和行進

 午前中は、県議団室で。
 大成高校をふくむ高校再編、私有地が勝手に県道に取り組まれた件、防犯問題、鳥獣被害対策、
「こだわり技術」のこと、レモンのこと、調べなくてはならない問題がいっぱい。
 午後、漆器組合によりお借りしていた梅原さんの本を返した。O医院にたちよる。先生が、医師
の「9条の会」に賛同しておられるので、海南「9条」にも賛同いただく。ついでに、小児科の医
療の問題をお聞きした。
 ウィスイミングのマッサージ。久しぶりにお姉さんにあたる。このお姉さんのマッサージは、強
い力を入れるわけでもないのに、体がほぐれるのが不思議だ。「魔法の手みたいですね」と申し上
げた。
 平和行進で挨拶。夜は会議。


         

5月10日 大成高校問題で野上を回る

 朝は会議だったが、午後は野上にむかう。
その前で、集金のついでに、辻外科の近くの喫茶店に立ち寄る。もと市会議員のご主人が
「ワシは尾崎と親戚だからお前の応援はできない」といわれるが、豊富な経験から、いろ
いろためになるお話を伺える。
 野上で、あちこち回る。町長は留守だったが、寺本助役にお会いする。教育長の部屋に
よると、ちょうど山路局長がおいでになっている。
 野上平和行進であいさつ。


         

5月11日 下津の船主、美里町の平和行進など

 午前中、幡川議員、松江さんと一緒に、下津の船をもっていらしゃる方を訪問した。
 船の大きさは199トン。というのは、200トンをこすと船員の数をふやさなくてはならない。しかし
こんど「船員法改定」で、この船でも人数を増やさなくてはならないという。規制緩和で参入は自由になった
うえに、こうした規制で大変だという。
 美里の平和行進。美里町の代表の方の挨拶では、美里町では平和宣言をしたあと、町民から募集して、庁舎
まえの平和モニュメントをつくったとのこと。また、平和ツアーとして毎年、広島に子どもたちを送っている
という。


         

5月12日 井上先生はお元気。「9条の会」、PTA

 午前中、河野議員と一緒に東部で生活相談に。
 そのあと、高津をまわる。桃というのはずいぶん手がかかるものだ。摘花・摘蕾をしたうえに、いま摘果の時期。
昨年は、穿孔病にいかれたうえに、季節外れの台風でさんざんだった。摘果作業している奥さんは、「去年よりはい
いのではないか」といわれた。
 井上光雄先生のお宅に伺う。最近は、勝手口から「先生、雑賀です」といって上がりこむ。「おうおう、雑賀君か」
と大きな声で返事がある。数ヶ月前は、寝ていらっしゃったことがあったのだが、最近は起きていらっしゃる。今日は
特に元気がよい。「憲法9条の会」のアピールや梅原猛先生が書いていらっしゃることをお話しすると、ご自分でそれ
をきっちりお読みになるからすごい。92歳とはとても思えない。「憲法9条は、まもらんといかん」とおっしゃる。
 夕方から、「海南海草9条の会準備会」。途中で抜けて、海南市PTA連合会総会」に出る。


         

5月13日 文教委員会など

 臨時の文教委員会が開かれた。
 大成高校問題など「高校再編案」についての報告である。県教委の統合案への県民の
批判で、大幅修正。大成高校でいえば、今年から募集停止という案だったものを、来年、
再来年も募集する。そのあと、106人をわったら統合を考えるというもの。
 なぜ、106人なのか。県教委の考える適正規模の高校の下限は4学級。3学級は、
まあ認めるが、2学級は認めないという考えが、根底にあってゆずらない。だから、4
学級=160人の3分の2を割ったら、統廃合というわけ。この考えを批判しておいた。


         

5月14日 東部で新聞購読のおすすめ、憲法学習会(渡辺治)

 東部では、かなり大きい統一行動。
 田伏先生と一緒に、新聞のお勧めにでる。そのあと中西彊子さんと。上々の結果でうれ
しい。
 午後は、渡辺治さんの憲法学習会。
  「憲法は理想論だから現実に合わせて自衛隊を認めてはどうかという議論がある。しかし、
男女平等にしても健康で文化的な最低限度の生活にしても、理想でしかない。しかし、その
理想が掲げられているのとそうでないのとでは、それを求めて国民が立ち上がったとき、決
定的に違う」という話など、説得的であった。


         

5月15日市民総合体育大会と戦没者慰霊祭

 朝は市民総合体育大会。新海南市になって第一回だから、南中ソーランなど多彩なもようし。
 午後は、戦没者慰霊祭が、温山荘公園であった。
 その合間に、「9条の会」の賛同者を地域ごとに整理するホームページづくり。


         

16日 美里へ、東浜へ、そして後援会

 朝は角谷先生と美里にのぼる。美濃議員と合流して美里を回る。驚いたのは長谷のお寺に
東条英機などの墓があるということ。昔、戦争で儲けた方が、戦争を起した人たちを祭った
もの。同時に、戦争で犠牲になった兵士の墓もある。また、この神社の方は、「9条の会」に
協力的だというから、複雑だ。宮司は、ここに祭られている戦争責任者とは違った姿勢をもって
おられる。
 午後、幡川さん、岡さんと一緒に東浜を回る。


         

県へ、おくやみ、海南市議員団など

 昼前まで、県議団控え室で。いろいろ突っ込んでみたい問題があるので、当局から説明を
聞く。
 午後、マッサージのあと、海南市議員団。
 夜は「さいかを励ます連絡会」


         

5月18日 駅と列車の段差で岩代駅を調査

 朝は県議団会議だが、たいした議題はない。
 松本寅二先生の告別式に走り、そのあと、幡川、上田議員と一緒にみなべに走る。
JR黒江駅の段差が問題になっているが、それを直した岩代駅を調査に行ったのです。プラット
ホームをカマボコ型にもりあげて、列車との段差を少なくしている。駅前の薬屋さんできくと
「よくなった」とよろこんでおられた。
 みなべ町の役場で、お話をおききする。これで、6月県会の質問がひとつできた。


         

5月19日 智弁学園を訪問

 朝は県議員控え室で仕事。駅の段差問題で、担当課から資料をいただく。
 生活相談所にもどると、幡川議員から連絡。こちらも連絡したいと思っていた矢先だった。
「智弁学園へいこう」
 桐本事務局長はおるすだったが、高校部、小学部の教頭さんが対応してくださる。学園と
しても、この段差や隙間問題で大変心配していらっしゃることがわかった。力を合わせること
になる。有益な訪問だった。
 智弁が小学部までつくることには、私としては批判的だが、できた以上、子どもの命を守る
ためには、力を合わせなくてはならない。
 久しぶりで、海南工事事務所に立ち寄る。南出所長と阪井バイパス問題など。海南野上線の
問題では、小畑課長がお留守でわからなかった。
 そのあと、「あじさい便り」の配布で、東浜を回る。夜、まちづくり研へ。


         

5月20日 下津で宣伝、土地改良区連合会のことなど

 中井市議と一緒に下津に宣伝に出た。22日の「なんでも相談会」(方集会所)の宣伝である。
午後は、県議会にむかう。農林部の方から、「私がお聞きしたい」といっていた、「土地改良事
業と土地改良区連合会について説明したい」と電話いただいていた。いろいろお聞きして分かれ
たが、そのときたまたま県議会においでだったので同席いたtだいた下角書記長から、「県担当
者が説明に間違いがありましたといってきたよ」と携帯に電話が入った。
 海南野上の土地改良事業から、「土改連にお金は回っていません」という説明が正しくなかっ
たという。
 午後、ウイのマッサージのあと、日曜版配達。明日の「9条の会」の準備に教組にいく。事務
局のお手伝いをお願いしている退職教員の女性が、「今日は準備があったかしら」とおいでいた
だいたので一緒に仕事。


         

5月21日 「海南海草9条の会」発起会

「海南海草9条の会」発起会。講演した岡本弁護士は、「運動家として走り回らなくてはならない
ときがくるとは思わなかったが、そのときが来た」と語る。「ビラ配布問題」など質問が出たのも
よかった。
 夕方から、田代、高木、美濃で野上町をまわる。


5月22日 下津・なんでも相談会

 午前中は、下津で「なんでも相談会」お客さんはなかった。
 元気市に寄った後、「やまびこ音楽祭」で挨拶。神出市長は得意のうたを披露。選挙で下津を
まわったときも、歌ってきたという。
 幡川さんから電話。北の丁で火事。夕方お見舞いに回ることにする。
 それまでの間、黒沢ハイランドへ。それにしても国道424はひどい。車といき合わせて、バ
ックして対向すること3回。黒沢ハイランドは、バラの季節。きれいに咲き始めている。上芝さん
も厨房におられて、しばらく手を止めて歓談。
 夕方、火事のお見舞いにまわった。「消防が遅い」という声あり。


         

県庁へ、県工事事務所へ

 午前中、県庁へ。私の質問では、なななか実現しないはずだった貴志川の岸の工事が
できた事情など問いただす。「あまり外部の力に左右されないほうがいいよ」と申し上げる。
 海南湯浅道路の二車線化についても聞いた。工事中の藤白トンネルは、南から工事中だが
北からの工事も発注した。3年以上かかる。次の下津トンネルは、17年度発注して3年。
長峰トンネルは4年半ぐらいかかるか。吉備まで通らないと使えないから、平成22年かな。
 午後、上田議員と一緒に工事事務所へ。くも池のそばの道路の見通しや、岡田の道路など
意見交換。岡田の道路は、いまの調子だと黒江駅まで広がるのに10年もかかる。こういう
道路にこそお金をかける必要がある。


         

5月24日 免許書き換えや黒江のNPO会議

 午前中、免許書き換え。無事故だからゴールドカード。30分の講習だから早く終わった。
昼ごろ、東京のまごもりに行く妻を海南駅に送る。しばらく自由の身だ。
 夕方、岡市議、橋爪さんと日限をまわった。小集会を開くのだが、ビラをもってまわるのでなく
「みなさんのご意見をお聞きする集会を開きたいんです。橋爪さんのお宅を借りようかと思うんで
すが……。」とお話しすると「集会所のほうがみなさん気兼ねしないよ」とアドバイスを下さる。
こんなふうに、みなさんのご意見を聞きながら小集会を開く方法もある。いい勉強になった。
 防災にかかわっている方は、「それとは別に防災関係の会議を開くから来てください」とおっし
ゃって下さる。
 夜は、黒江のNPO会議。1000人の署名をあつめながら、一人の市会議員だけで市と折衝し、市
長から全面拒否の回答をもらってきたと報告。「すずらん灯については、NPOで引き継ぐのはいいが、
10時半で消えるのは困る」という意見もある。富士理事長から、「自治会での防犯灯も増やして
いく」との発言もあり、「県で道路灯をつけさせることも引き続き求めてはどうか」という私の提案
も共感を得たと思う。





         

5月25日 全県議員団会議

 全県の議員団の学習会があって、勉強してきました。大変いい勉強になりました。
 町会議員の方から、「ホームページをつくっています。50歳を越した方には、
きついでしょうが」という発言がありました。
 私は60歳を越しています。若い人がやっているスマートなやりかたは知りません
が、原始的なやりかたのホームページ。訪問数が2万というのは、若い人たちに負け
ていません。これからものぞいてください。


         

5月26日 久しぶりで「新聞あかはた」の前進

 午前中、上田市議と郵便局をまわる。郵政民営化で小泉内閣が不条理なごり押しをしている
中、共産党の役割は光る。2部とっていただいた。
 午後、黒江支部の会議に出る。そのあとで日曜版の配達を少しはやいがはじめた。日曜版は
木曜日に事務所につくが、ぼくは金曜日にくばるようにしている。忙しくて土曜日になるとき
もある。いま、妻が孫の守に東京へいっているので、その分もくばらなくてはならない。自分
の分が25部、妻の分が15部ぐらい。市会議員のみなさんは、100部ぐらい配ってくれて
いるから、40部ぐらいでしんどいなど言えない。新聞を配りながら、少しばかりお世話した
家で購読をお願いしたら、「娘と姉と3部とってもいいですよ」といわれる。それはまたそれ
で、お願いに回ることにして、その家でだけさしあたり購読していただいた。
 夜は、お通夜にでたあと、野上の会議にはいる。


         

5月27日 内海へ、下津へ、ミスはあったが充実

 朝は、会いたい人があった。朝の10時までに行けば会えるという東浜の方である。「さいかだより」
配布をお願いした。快諾いただいた。それから、自分の分の日曜版、配布・集金。それだけの仕事をした
ので、内海の会議に少し遅れて入る。岡議員が「岡パンフ」をつくってがんばっているのに応えて、後援
会体制づくりを話し合った。
 午後は、姉(湯川)といっしょに下津に向かう。選挙に出る前から、姉から「下津に子どもの教育という
点で、すばらしいおじいさんと親と息子がいる]と聞いていた。子どもを高校にいかせるのに、地元高校に
いかせて、「それであさそんでしまうのなら子どもが悪い」という立場で子どもに言って聞かす。子どもは、
それに応えてがんばるという家庭だと聞いていた。その息子は、大学を卒業して地元に帰ってミカン農家を
ついでいる。
 お伺いすると、よろこんで迎えてくれた。なんと、高校時代から私を知っているといわれるではないか。
西岡くん、藤井君、岡本弁護士と同世代だ。なんと、生徒総会かなにかで、昭和天皇が和歌山に来たとき
の問題で私が論陣を張ったのを覚えていてくださった。
 当時、天皇が列車で海南を通過するのに、高校生が沿道で旗振りをするのを、学校として「公欠」を認め
たのだった。私はそれに反発して「公欠を認めるということは、教育的意義があるということだろう。天皇
に旗振りすることの教育的意義を説明しろ」と小島渡校長に迫ったのではないだろうか。全く忘れていたが
、この方の話で「教育的意義は何か」と問いただしたということを鮮明に思い出したのだった。
 民主主義は前進している。いま、天皇が通るからといって、列車に旗振りにいく高校生がいるだろうか。
それを奨励する高校があるだろうか。国士舘かないかなら別だが。「日の丸・君が代」の押し付けはすすみ
ながらも、国民の中の、若者の中の民主主義的意識は、前進しているのだと思う。
 そのほかにも数件を訪問して、赤旗日曜版もお願いできた。
 下津に向かう途中、石田君から携帯に電話。運転中なので姉に受けてもらった。「石田君なら国民救援会
のことだろう、出席すると言って」といって電話を切ってもらった。
 さて、夕方になってその時簡になると「もしかしたら、挨拶をお願いします、という電話だったのか」と
不安になる。開会の時間だろうと思っていた「6時」に間に合うように教育会館に駆けつける。ところが、
会場は、保健福祉センターだという。遅れたら悪いと車を市役所駐車場にいれて、会場に入ったのが、「6
時3分」。なんと石田君が会計報告をしている。レジメをみると、5時半開会で「雑賀県議あいさつ」とな
っているではないか。私は、挨拶の依頼は受けていないのだ。
 第二部であいさつさせてもらって、その事情を話して責任をごまかした後、次のような話をした。
 「最近、9条の会の発起会がありましたが、岡本弁護士の講演だったので、ビラ撒きへの弾圧問題につい
ての質問がありました。岡本弁護士は簡潔・的確に答えてくださったのですが、今日でた会議で『弁護士さ
んの話を聞いて、かえって不安になった』という声を聞きました。国民救援会で学習の場をもってほしい。
 国民救援会は、人を変えるものだといわれます。何年も前に、県本部総会に播磨信義先生が講演にこられ
たことがあります。播磨先生は京大部落研の一年先輩です。実は、播磨さん、その後、海水浴で水死されま
した。この播磨さんがおっしゃったのですが『冤罪事件というものは、突然ふりかかる。犠牲者は、政治的
に鍛えられた人とは限らない。むしろ、すねに傷を持つような人がねらわれ、警察で自白したら悪いように
しないといわれ、裁判で死刑の判決を受けてから、やっていないと訴える。そこから、国民救援会と出会い、
人間変革が始まる……。学生たちにその聞き取りをさせるのです』……」
 このたび、名張ぶどう酒事件の再審が認められました。釈放へ・無罪確定へのたたかいはこれから。播磨
さんは、天国でほほえんでるでしょう。


         

5月28日 亀川の支部とお付き合い

 あさ、亀川で会議。小野田の県職員の関係のお葬式、小野田の地域訪問。亀川デーというところ。
小野田では、「9条署名」を中心にした。
 「憲法9条を守る署名です」というと「むずかしいですね」という顔をする。そこで「日本は戦争を
しないと憲法で決めているでしょう」というと、相手はうなずく。「自衛隊がイラクにいっているが、
ドンパチできないのは、憲法9条があるからです。アメリカは多くの人を殺していますが、日本は人を
殺していません。それが、アメリカにはものたりないんです。」とはなすと「なるほど」とうなずかれ
る。
 「アメリカからは、日本は憲法を変えてアメリカと一緒に戦争できるようになれという圧力がある。
小泉さんは、アメリカのいうことは何でも聞くでしょう」と話すと「ほんとですね」と共感の大きな
うなずきが帰ってきて、署名してくれる。
 夜は、市民会館の「青年学級」をのぞいた。西川先生が指導に来てくれている。「海南市は、和歌山
市とちがって、会場費は無料にしてくれています」という。


         

5月29日 医療生協総会や教科書集会

 午前、医療生協総会であいさつ。午後は、教科書集会。


         

5月30日 松江さんと下津へ・国道42号バイパス

 午前中は、松江さんと下津をまわる。
 午後、国道42号の協議会。そのあと知事への陳情があったが、自民党のみなさんが会派会合で出られ
ないというので、松本議員と私も遠慮することにした。


         

5月31日 「9条の会」で高木さん、国労との懇談 

 南畑和歌山市議から電話。「元PTA会長の高木さんに会いたい。9条の会でおねがいしたい」ということで
一緒にお会いする。「憲法9条は守らなくてはならない」ことで一致。
 「憲法20条で、特定の宗教教育をしてはいけないとされているのはわかるが、宗教というものに教育が
無関心なのはどうか」と話される。松永有慶先生も、梅原猛先生も同様のご意見のように思われる。
 「信じるということは危険をともないます。あともどりできないからです。清沢満之というお坊さんが、
『信仰と道理が相反したときは道理をとれ』といっています」
 「宗教というものは、理性ではわりきれない。理性を超えるものがある。悟りというのは、自分を見つめ
欲やなにやから抜け切れない自分を見つめ、…(云々)」なかなか面白かった。
 夜は、国労との懇談。


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