和教組とともに

ようこそ!

和教組女性部地区代表者会議あいさつ(2002,3,)
  
ソフトな文科省と危険な道(2001,12,)
  
三上満さんとの対談(2002,1,)
  
PTA前会長さんとの対談(2001,8,)
  
県地評大会閉会のあいさつ(2001,8,25)
  
泉谷さん追悼(2001,8,21)
  
ある集会でのあいさつ(2001,8,18)
  
教科書問題中間報告
  
2001年第66回和教組定期大会
雑賀執行委員長挨拶   
2001年和高教組定期大会
雑賀和教組執行委員長来賓挨拶   
第65回和教組定期大会
執行委員長挨拶   
対談・
足もとを見つめながら、未来を探る
教育懇談会でのあいさつ(2000年9月)
雑賀委員長の地区・職場訪問記 2000年教育研究集会あいさつ 2000年全国部落問題研究集会
現地実行委員長あいさつ
21世紀最初の新年おめでとうございます
職員会議と学校   和教組70年代から80年代へ

         

和教組女性部地区代表者会議(2002,3,)


みなさんどうもごくろうさまです。  今日は、全教から大橋先生がおみえで、講演をいただくんだそうです。 大橋先生は私に、「和歌山の女性の先生って、たいへん明るくって、お元気ですね。特に お酒を飲んだら楽しいですね」とおっしゃいます。私は「そうですよ。和歌山の女性の先 生は、お酒を好きな人も飲まない人もいますが、みんな元気で、明るく、やさしい先生ば かりです」といいます。 ところで、元気で明るくやさしい和歌山の女性の先生方にとっても、職場の状況は大変 なようです。今年に入って現職死亡が13人、特に、年末からふえました。お二人が高校 や教育委員会の関係ですが、11人は小中障害児学校だとお聞きしました。  昨年の年末団交では、たいへんな賃金攻撃がかけられました。一年間の昇給ストップと いう攻撃、一般職員は1%カットにまで押し返すことができました。あのとき、職場から 上がってくる怒りの声は、単に「賃金カットは許せない」というものではありませんでし た。 「これだけ教育が大変で、私たちは休みもとれずに必死の思いで教育にとりくんでいる のに、教育委員会はなにもしない。30人学級も先送りだ。それなのに私たちの賃金をカ ットするとは何事か」これが、職場から寄せられた声でした。 「賃金カットするとは何事か」という怒りの声の前に、長い修飾語がつくわけです。こ れが実感だと思うのです。 ですから年末交渉では、賃金攻撃を押し返すこととあわせて、働きやすい労働条件の問 題を重視しました。 面白いのは、メモリアルデーという問題です。学校は忙しくて、なななか年休がとれま せん。みなさん、前年からのくり越しを含めて40日間の年休の権利がある。ところが、 授業のある日に年休をとってゆっくりするなど考えられないといいます。 それでも21年目、31年目のリフレッシュ休暇は、楽しみにして休むわけです。それ は、教頭先生が、「○○先生は今年リフレッシュ休暇です。いつ取りますか」と聞いてく れるから、胸を張ってやすめるわけでしょう。 お金が出ないけどその小型が、毎年ある、何日でもとれるというのが、メモリアルデー だとおもったらいいでしょう。4月の第3金曜日を「おとうちゃんと初デートの日」とし て登録しておいて、旅行してもいいでしょうし、家でゆっくりしてもいいわけです。 ちかく、勝ち取った権利を職場で生かす「討議資料」をまもなく出しますので、かちと った権利を生かして欲しいと思います。 さらに、ぜひとも実現したいのは「30人学級」です。和歌山県では、数年前に、イー デスハンソンさんだとか、元県教育長の井上光雄さんなどが「30人学級アピール」を出 して全国をビックリさせました。それで自治体決議もすすんだんだけれども、文部省は「3 0人学級」を先送りしました。 全国では、県や市町村独自に少人数学級にふみこむところが急増しています。ちかく、 「30人学級」第二アピールをだします。そのアピール支持する署名運動、大々的にと展 開したいおもっています。 国民に痛みを強いる小泉改革、アメリカの報復戦争に全面協力するために国民を強制す る有事立法までたくらまれている。医療改悪大改悪がすすめられています。 私は、和教時報新年号で、三上満先生と対談をいたしました。その対談で、三上先生は、 和歌山市の不登校だった青年やお母さんの話を聞いて感動したという話をしながら、 「不登校の子どもたちが自立する力を蓄えていったように、国民の中に怒りやたたかいの エネルギーがマグマのように蓄積されている」とのべられました。 田中真紀子更迭問題での支持率の急落、マグマが爆発するときがきたという予感がいた します。 子どもたちの明るい明日のために、しなやかにしたたかにがんばっていただけるように お願いし、ごあいさつとします。ありがとうございました。
         

ソフトな文科省と危険な道(2001,12,)


「和歌山の子どもと教育」がめでたく発刊された。関係者のみなさんのご努力にお礼申 し上げます。 最近、地域に「子育てネット」のようなものがたくさんできている。教育と子育てに関 心を持つお母さんや地域の方々の集まりである。私は、時間が許す限り出かけていき、隅 っこで話を聞いている。私たちが、まず第一に手をつながなくてはならない方々だと思う からだ。 「学校は閉鎖的だ。でも、文部省も最近は『開かれた学校』といっているのよ。」とい うような話がよく出る。 少し前に、和歌山大学の生涯学習センターで「フォーラム」が開かれた。そこで竹下さ んという文部省の生涯学習局青少年教育課長が講演された。 「2002年にむけて、学校と地域の関係がかわります。学習指導は、基礎・基本を中 心にし、子どもの体験などを重視する『総合的な学習』をすすめます。そのため、地域に 学校が応援を求めます。『荒れ』の問題も、地域の人が学校に入ることで解決をめざす。」  竹下さんは続けた。「これまでのやりかたは、上から学校を変えようとした。こんどは、 みなさんのネットワークの力で、学校を変えたい。」 会場には、私たちと一緒に「30人学級」の運動をすすめられたお母さん、「子育てネ ット」のお母さんがいらっしゃる。そういうお母さん方が、わが意をえたりというように うなづきながら、竹下さんの話を聞いていらっしゃる。その限りでは、うなずくのが当然 である。 その文科省が「教育基本法見直し」を中央教育審議会に諮問するという。自衛隊の海外 派兵の法案がきのう国会を通過した。ある文部科学大臣は「不登校は自由のはき違えだ」 と発言し、「奉仕活動」を教育に持ち込んできた。「日の丸」「君が代」の不条理な押し付 けをしている。「ゆとり」と「基礎・基本」といいながら、系統性を欠いた教科書を学校 現場にもちこみ、学力の低下が心配されている。 いま、私たちが父母と子どもと教育を語り、文科省がすすめる教育の問題を語らなくて は、ソフトタッチの文科省が子どもたちを危険な道につれていってしまう。                 雑賀光夫(和教組委員長・和歌山民研運営委員)                     (「和歌山の子どもと教育」二号、巻頭言)          

三上満さんとの対談(2002,1,)


雑賀 明けましておめでとうございます。 昨年は、国民に痛みをおしつける小泉内閣の登場、教育に「奉仕活動」を持ち込み、教 育困難を「指導力不足教員」の問題にすりかえる「教育改革3法案」の強行、年末確定で は、かつてない賃金攻撃がかけられました。「テロと報復戦争」で日本国憲法が踏みにじ られるという大変な事態になっています。こういう時だからこそ、未来への展望を語るこ とが大切だと思っています。 昨年は、海南市で開かれた県教研集会に三上先生においでいただきました。そのとき、 子どもたちの元気な南中ソーランや一〇〇人の大合唱とともに、お母さんの報告に感動し ました。給食を守る運動にとりくんだお母さんが「給食の三拠点方式は強行されたけれど、 わたしたちは大きな財産を残した。子どもたいに最良のものをという立場でがんばってい きたい」と報告されました。三上先生は、「お母さんは、私が一番言いたかったことをい ってくれた」と前置きして講演していただいたのでしたね。 三上 その後、和歌山市の教育相談センター十周年の集会にも呼んでいただき、小学校4 年生から潔癖症で不登校になった女性が十年かかって立ち直った体験談や登校拒否・ひき こもりから少しづつ居場所をみつけ自立しつつある息子を語るお母さんの話を聞きまし た。  いつの時代にもまして先が見えない、汚水に囲まれた中で、しかし、自立した人間にな りたいと生きていく若者達の姿………。 いまの世の中について同じことが言えるのではないでしょうか。不況とリストラ、小泉 「構造改革」……労働者・国民がひどい目にあわされています。でも、不登校の子どもた ちが自立する力を蓄えているように、国民の中にマグマのように怒りと世の中をよくする 力が培われているように思います。 教育は希望を育むこと、希望とは三つのもの(自分・人間・明日)への信頼から生まれ るものです。 雑賀 きびしい情勢の中でも職場の仲間ががんばってるから希望と信頼も生まれるんです ね。署名を集め、組合員をふやしながら賃金攻撃を一定押し返した年末闘争でもそう思い ました。  ところで2002年度を前にして「開かれた学校」、どんな学校を作るのかということ が問われると思いますが………。 三上 最近、私は「学校の原風景はシンプルな三原色だ」というのです。@ほめるAしか るB子どもの味方になる。 都知事選挙に出たとき、悪たれだった子どもたちが応援にきてくれて、語ってくれたこ とで教えられました。 「石川啄木を石川五右衛門とかいたら、石川の部分を残して半分点をくれてうれしかっ た」とか「今度やったら知らないぞときびしく言われたのが忘れられない」とか……。 そのためには、子どもの「あら探し」からの脱却が大事ですね。 雑賀 私は、青年教師のころは何度も教師をやめたいと悩んだことがあるし、体罰をして しまった苦い経験があります。若い先生へアドバイスがあればお聞かせください。 三上 私は子どもの成長には、四つの出会いがあると、よくお話します。 @自分の至らなさとの出会いA喜んでくれる人との出会いBこんな人になりたいという憧 れの人との出会いCまんざらじゃない自分との出会い。 先生だってそうでしょう。ベテランの先生だって、いまの子どもを前に途方にくれる。 「子どもは発展途上人だ」と言うんですが、若い先生だって「発展途上」だからこそ魅 力がある。  そして、子どものどんな小さな成長でも子どもや保護者とともに喜びながら、成長して いくわけでしょう。 それを励ます教職員集団があることが大事ですね。「指導力不足」だとプレッシャーを かけ、「研修」で追い立てても、若い先生は育つものではありません。 雑賀 いま、学校に自由に悩みや喜びを語れる雰囲気を作ることが組合の大事な仕事です ね。  本日はお忙しい中ありがとうございました。
         

PTA前会長さんとの対談(2001,8,)


共同のスタート台に 雑賀 去年の六月はじめてお目にかかりましたね。 高木 こちらに来ていただいていろいろなお話をさせてもらいました。 雑賀 子どもをめぐる状況が大変な中で教職員組合とPTAがもっと力を合わせていきた いということで、PTAの研修会にも参加させていただきましたし、懇談会も開かせても らいました。  いっしょに子どもの教育を考えるスタート台にやっと立てたと思いました。 「開かれた学校」とは 高木 いま文部省も「開かれた学校」と言っていますが、学校運営そのものに父母が参加 していくことも大切だと思います。例えば、職員会議がどういう過程を経て、どう決まる のか知りたいという人もいますし、………。 雑賀 数年前、いじめの問題でネットワークをよびかけました。その時、私たちが知らな い地域の子育てサークルがたくさんあることが分かりました。私たちが知らないお母さん 達が、教育のことにとりくんでおられるんです。 高木 先生と保護者の間は、近そうで遠い。教職員の仕事は大変。よく分かりますがもっ とそのことをアピールしてほしい。保護者は案外教職員の皆さんはけっこうな生活を送っ ていると思っています。しかし現実には三時間しか眠ってないとか、持ち帰り仕事に追わ れているとかおっしゃいます。 雑賀 子どもと教育の問題の大変さや教職員の悩みを率直に父母の皆さんに語った方が信 頼を得られるといわれますね。 ストレスためこむ子と 「心の教育」 高木 ところで、子どもたちのマナーのなさが問題になっていますが、その中で今ひとつ 感じることは「心の教育」ということです。 雑賀 国連の子どもの権利委員会が「日本の子供たちは、過度に競争的な教育制度のもと で心身の発達に障害がうまれている」と警告しているのです。子どもたちの心が病んでい る。ストレスをためている子どもたちが、大勢います。 高木 子どもだけでなく、親も社会も日本全体が病んでいる。物質的な欲求を満足させる ことを追い求め過ぎたのではないかと思います。幸福をつかむための学力、思い通りの人 生を歩むために親は塾へ行かせたり………。子どもたちはその中で欲求不満になっていま す。  子どもも親も「感謝する心」を忘れているように思います。「何で生んだのだ、頼みも していないのに」と親に向かって言う子ども。そうではなく生まれて来た命をまず感謝す ることが大切です。 学校五日制をむかえて 雑賀 来年度から学校五日制になりますね。 高木 個人的に思うことですが、子どもたちをとりまく地域社会を立て直すために教職員 の方々が一人の地域社会の人として、リーダーシップをとって一人一人の能力を生かして 地域の活動に参加してほしい。  先生方も肩ひじ張らないで、親の悩みに答えていってほしい。よく担任の先生のところ へどなりに行く親も出てきますが、それは先生を信頼しているからなのです。もっと親が 気軽に学校と意見や考えを交流できるようになってほしいと思っています。 雑賀 本日は、これからの共同のとりくみの上で貴重な意見を聞かせていただくことがで きました。どうもありがとうございました。 共同のスタート台に 雑賀 去年の六月はじめてお目にかかりましたね。 高木 こちらに来ていただいていろいろなお話をさせてもらいました。 雑賀 子どもをめぐる状況が大変な中で教職員組合とPTAがもっと力を合わせていきた いということで、PTAの研修会にも参加させていただきましたし、懇談会も開かせても らいました。  いっしょに子どもの教育を考えるスタート台にやっと立てたと思いました。 「開かれた学校」とは 高木 いま文部省も「開かれた学校」と言っていますが、学校運営そのものに父母が参加 していくことも大切だと思います。例えば、職員会議がどういう過程を経て、どう決まる のか知りたいという人もいますし、………。 雑賀 数年前、いじめの問題でネットワークをよびかけました。その時、私たちが知らな い地域の子育てサークルがたくさんあることが分かりました。私たちが知らないお母さん 達が、教育のことにとりくんでおられるんです。 高木 先生と保護者の間は、近そうで遠い。教職員の仕事は大変。よく分かりますがもっ とそのことをアピールしてほしい。保護者は案外教職員の皆さんはけっこうな生活を送っ ていると思っています。しかし現実には三時間しか眠ってないとか、持ち帰り仕事に追わ れているとかおっしゃいます。 雑賀 子どもと教育の問題の大変さや教職員の悩みを率直に父母の皆さんに語った方が信 頼を得られるといわれますね。 ストレスためこむ子と 「心の教育」 高木 ところで、子どもたちのマナーのなさが問題になっていますが、その中で今ひとつ 感じることは「心の教育」ということです。 雑賀 国連の子どもの権利委員会が「日本の子供たちは、過度に競争的な教育制度のもと で心身の発達に障害がうまれている」と警告しているのです。子どもたちの心が病んでい る。ストレスをためている子どもたちが、大勢います。 高木 子どもだけでなく、親も社会も日本全体が病んでいる。物質的な欲求を満足させる ことを追い求め過ぎたのではないかと思います。幸福をつかむための学力、思い通りの人 生を歩むために親は塾へ行かせたり………。子どもたちはその中で欲求不満になっていま す。  子どもも親も「感謝する心」を忘れているように思います。「何で生んだのだ、頼みも していないのに」と親に向かって言う子ども。そうではなく生まれて来た命をまず感謝す ることが大切です。 学校五日制をむかえて 雑賀 来年度から学校五日制になりますね。 高木 個人的に思うことですが、子どもたちをとりまく地域社会を立て直すために教職員 の方々が一人の地域社会の人として、リーダーシップをとって一人一人の能力を生かして 地域の活動に参加してほしい。  先生方も肩ひじ張らないで、親の悩みに答えていってほしい。よく担任の先生のところ へどなりに行く親も出てきますが、それは先生を信頼しているからなのです。もっと親が 気軽に学校と意見や考えを交流できるようになってほしいと思っています。 雑賀 本日は、これからの共同のとりくみの上で貴重な意見を聞かせていただくことがで きました。どうもありがとうございました。
         

県地評大会閉会のあいさつ(2001、8、25)


県地評大会閉会のあいさつ  みなさんの熱心な討論で一年間の方針を決定し、その先頭にたつ執行部を選出すること ができました。 まず、7年間の長きに渡って県地評事務局長としてご奮闘いただいた松江さん、ごくろ うさまでございました。 私は、県地評事務局長として松江さんの前任者でございますが、二年程前の大会で、私 がやっていたころとくらべて、県地評の運動が幅と厚みを増したと言う感想を討論の中で 述べたことがあります。本日の大会では、地区労の楽しい報告あり、労働相談員の方から の発言あり、その感を一層強くいたしました。 秋からの闘いは、国民に痛みを強いる小泉内閣の悪政への反撃です。攻撃がきびしい、 悪性がひどいからこそたたかいが広がる条件があります。そして、これまでにたたかいに 参加していなかった広い層がたちあがったとき、これまでのワクを超えてたたかいが広が ったとき、権力を揺さぶり要求前進の道を切り開くことができます。 国労の100万筆署名、教科書問題、有田の高校問題、県下各地の住民運動の前進、世 論に支えられた労働争議の解決や公務災害認定のたたかいなど、そのことを示していると 思います。 秋のたたかいでは、県地評の拡大強化と要求にもとづく共同を大きく広げようではあり ませんか。 以上で閉会のごあいさつといたします。どうもごくろうさまでございました。      (県地評副議長 雑賀光夫)
         

泉谷さんの追悼(2001、8、21)


泉谷さん。 貴方がこんなに早く逝ってしまわれるなど、夢にも思いませんでした。 和教組の書記局にいたら、貴方からお電話がありました。 「今日、『みんながおまつり』の実行委員会があるんだけど、都合があってでられない んです。どんなことでも協力しますからと、お伝えください」 貴方は、こんな伝言をわたしに託されたのでした。私は、貴方が入院していることもし らずにこの電話を受けたのでした。 「みんながおまつり」の実行委員会にでて、孫のような世代の若者に、憲法や平和の問 題を語りかけておられた泉谷さん。侵略戦争を美化する教科書の問題、小泉首相の靖国参 拝の問題などある中で、語りたいことがいっぱいあったでしょう。私たちも、もっともっ と語って欲しかったとき、泉谷さんが逝ってしまわれたことが残念でなりません。 でも、泉谷さん。和歌山県では、「九条の会」をふくめた和歌山県の良識は、「つくる 会」教科書の採択をゆるしませんでした。小泉首相の靖国参拝の問題をめぐっても、多く の若者が、平和の問題に関心をもってきているように思われます。 私は明日から全日本教職員組合の大会に参加、二五日は、滋賀県で開かれる日本母親大 会のお手伝いをしなくてはなりません。「生命を守る母親は生命を守り育てることを願い ます」という合言葉で開かれるこの大会に参加しながら、泉谷さんを偲ばせていただきま す。 泉谷さん。これからも私たちの運動を見守り、励ましてください。 二〇〇一年八月二一日                  和歌山県教職員組合執行委員長 雑賀光夫
         

ある集会でのあいさつ(2001、8、18)


ごくろうさまです。……… さて、参議院選挙は、小泉内閣の突風で、自民党の勝利になりました。あちこちでいっ ているのですが、選挙の後でテレビを見ていまして、一人の主婦のインタビューの発言が 印象に残りました。 「私は小泉さんの改革に期待して自民党に投票しました。もしも、今度裏切られたら、 一生、自民党には投票しないでしょう」 この一言につきると思いました。選挙が終わっ ても国民が政治をみつめていると思いました。 もう一つ、国民の政治的関心をたかめた問題は、教科書問題と小泉首相の靖国参拝の問 題です。  「つくる会」教科書は、アジア・太平洋戦争を大東亜戦争と描き出すひどいものです。 和歌山県では、県議会はじめ市町村議会で、「つくる会」勢力の請願が通され、とくに田 辺市でPTA会長という地位を利用し、「つくる会」の藤岡信勝教授を講演に招き講演会開 催していました。  それに対して、和歌山大学の先生方をはじめとする「教科書アピール」が出され、韓国 民団、朝鮮総連などの組織もふくめて賛同が広がりました。田辺・西牟婁地方で、「つく る会」教科書を採択させる策動がつよまっていることが明らかになると、「田辺・教育と 教科書の会」を中心にして、「つくる会」教科書をもちこませないためにお母さんたちを はじめ各界のかたがたが市町村教育委員会へのはたらきかけをおこないました。職場から は、教職員の思いを書き綴った寄書きを送るなど、大奮闘しました。こうした奮闘で、全 国的にも公立学校への採択は、一部私学と東京や愛媛の養護学校などにとどまったことは、 良識の勝利というべきものです。 普通は、教科書採択が1%以下になると、教科書会社は採算がとれずに撤退するもので すが、扶桑社は撤退せずに、次の採択では小学校にまで広げると言っています。これは、 政治的・経済的バックがあるからでしょう。  全国の教育委員会がこの教科書を退けるなかで、石原都知事のもとで東京都が養護学校 にこの教科書をもちこむという。教育への露骨な政治介入という図式が鮮明になっていま す。愛媛もそうです。先日、和教組にも障害児教育にとりくんでこられた大先輩から、怒 りをどこかにぶつけなくては気がすまないという電話が入りました。障害児を持つ保護者 の皆さんからいえば、障害児が政治的踏み台にされたことにやり場のない怒りがこみ上げ てくると言う状況をつくっています。 つづいて大きな問題になったのが、小泉首相の靖国参拝の問題です。この問題でテレビ を見ながら考えたのは、かつての中曽根首相の靖国参拝のときと比べての、国民的論議の スケールの違いです。あの時も私たちは反対した。しかし、これほどのスケールで国民的 関心を呼ぶことはなかったのではないか。戦争責任の問題が、これほど関心を呼んだこと がないのではないかという気もします。 つまり、反動的で危険な策動を通じて、国民の政治的関心がたかまっている、理解が深 まっているとまでまだいえないかもしれませんが、らせん状の発展を通して、あるいは、 ジグザグの道を通りながら国民の意識は深まっていく条件が生まれているように思いま す。 この間あったもう一つの大きな教育問題は、教育改革3法案の強行です。教育3法案強 行にともなって、県教育委員会は、指導力不足教員問題での研究会をはじめていますし、 高校学区を取っ払うという意向もみられます。秋からのとりくみが急がれます。 この「教育改革」について、後ほど講師の先生からお話いただきます。 二年ほど前に、和歌山に文部省の生涯学習課の青少年課長という方が見えて、シンポジ ウムが開かれたことがあります。和歌山大学の生涯学習センターが主催したものでした。 私も、そのシンポジウムを聞きに行きました。 私がそうしたシンポジウムに参加する目的は二つあります。一つは、文部省の役人がど んな話をするかを聞くことです。もう一つは、どういうお母さんたちが参加し、文部省の 話をどう受け止めるかということです。 会場に行ってみると、あちこちでお会いするお母さんたちがおいでです。那賀での県教 研を支えてくださった子育てサークルのお母さん、有田で「30人学級」の署名を集めた お母さん。 そのお母さんを前に、文部省の課長は、こう話したのです。「2002年から学校がか わります。開かれた学校にしなくてはいけない。でも、文部省はこれまで、上からの指導 で改革をしようとした。しかし、これからは、ここにおあつまりの皆さんのネットワーク の力で学校を変えるのです」その話を、お母さんたちは、うなづきながら、わが意を得た りという顔つきで聞いているのです。 この8月に、文部省の○○という切れ者が、●●市教委の招きでやってきて、先生方 に話をしたそうです。 「文部省もかつては子どもに知識をつめこめばいいと思っていた。しかし、1975年 ごろになって、その誤りに気づいた。知識の詰め込みで子どもを歪めてはいけない。これ からは個性重視の教育だ。」「先生方への批判もあるが、いまの先生を辞めさせたのでは、 教育水準はさがってしまう。先生方には、新しい教育をする力がある。そのためには、し っかりやる先生の賃金をあげたらいい。」 こういうボールが、文部省から投げられている。私たちは、どいう学校像をもって、保 護者の信頼を得るのかが問われています。 先日、和教組は、「中学校問題交流集会」というものを開き中学校教育での苦労を出し 合いました。子どもの変化の中で、どこでも悪戦苦闘であります。しかし、悪戦苦闘しな がら、多くの中学校では、教師の指導が全く通らないような「荒れ」を克服していること に、私は強い感動をおぼえました。それで、私はそれを評価する発言をしたのですが、後 から常任のみなさんの意見を聞いてみると、「委員長の評価は甘い」という意見がたくさ ん出ました。かつての「荒れ」とは違った教育困難が一杯ある。「荒れ」の時の方が子ど もと心を通じ合えたと言う意見もある。なるほどそうかなとも思いました。 それでも、中学校の「荒れ」というのは、学校として起こってくる問題の対応に追われま くり、子どもも教師もぼろぼろになる状態があったわけですから、それが治まったことも、 「管理」とだけ単純にみることもできない。「委員長の評価は甘い」という意見も、そう いう単純な意見でもありません。 学校現場で起こっている問題の見方も、多面的に見る必要があるなとあらためて考えた ところです。本日の総会で、いろいろなご意見を聞かせていただくのを楽しみにしていま す。 とりとめもないことをいろいろ申し上げましたが、以上でごあいさつとさせていただき ます。
         

歴史の真実をゆがめ、民主主義を敵視する「教科書」から
子どもたちの現在と未来を守るとりくみの中間報告

 歴史の真実に目を閉ざし、自由と民主主義をないがしろにしようとする「つくる会」教 科書が文部科学省の検定を通過し、教室に持ち込まれようとする事態が生まれました。私 たちはこの事態を憂慮し、子どもと教育、そしてこの国の民主主義を守るためにとりくん でまいりました。 現時点で、採択結果は全面的には公表されていませんが、「つくる会」教科書が採択の 策動が行われているといわれた田辺・西牟婁採択区でも良識ある判断によって、「つくる 会」教科書を退けました。全国的にも、一旦、「つくる会」教科書の採択を決めた栃木県 下都賀地区でも、再協議により不採択を決定するなど、「つくる会」の策動をうちやぶり、 押し込みつつあります。 私ども和教組は、和高教とともにみなさんに呼びかけ、「危険な教科書から子どもと教 育・平和と民主主義を守る集い」(5月30日、集会実行委員会主催)を開催しました。 それとあわせて、歴史学・宗教・教育関係者など8名の方々が「歴史の真実をゆがめ、民 主主義を敵視する『教科書』から子どもたちの現在と未来を守りましょう」と題した「教 科書アピール」を発表し、参加者でその賛同を確認したことは、大きな意味を持っていま した。「教科書アピール」は、多くの県民の賛同を得、その中には、在日韓国民団、在日 朝鮮総連も含まれました。 それをうけて、日高、東牟婁、西牟婁、海草、有田、那賀地方で、同趣旨の「集い」や 「学習会」が開かれました。独自に、同趣旨の「アピール」への賛同署名をあつめた地域 もありました。 また、教科書展示会に参加し、偏った教科書を学校現場にもちこませない要請ハガキを 採択協議会に送付するとりくみも行いました。 私たちとは別に、「和歌山県平和・人権センター」が、各地教委に「公開質問状」を送 ったと報じられましたし、「日本の侵略の歴史を知るわかやまの会」と「九条の会」が連 名で、「つくる会」教科書を採択しないことを各地教委に申し入れたとお聞きしています。 その後、田辺・西牟婁地方で、「つくる会」教科書を採択させる策動がつよまっている ことが明らかになりました。「つくる会」教科書をもちこもうとする人々は、教科書採択 に自分たちの主張がいれやすくするための請願を県・市町村議会におこないましたが、と くに田辺市でPTA会長という地位を利用し、「つくる会」の藤岡信勝教授を講演に招き講 演会開催していました。田辺市教育委員会はそれを後援しました。それに対して「田辺・ 教育と教科書の会」を中心にして、「つくる会」教科書をもちこませないためにお母さん たちをはじめ各界のかたがたが市町村教育委員会へのはたらきかけをおこないました。職 場からは、教職員の思いを書き綴った寄書きを送るなど、大奮闘しました。韓国民団から は、各地教委へのファックスによる申し入れとともに、田辺・西牟婁採択区への申し入れ をされたと報じられました。こうして和歌山県民の良識は、学校現場にこうした教科書を もちこもうとする策動をゆるしませんでした。おそらく、私どもの知らないところで多く の皆さんが力を合わせていただいたことでしょう。  執拗な攻撃をはねかえした良識の勝利。今後、教育を守るたたかいへ発展させなくては なりません。また、こうした教科書を学校現場に持ち込もうとする策動は、これからも続 くでしょう。「つくる会」教科書を持ち込もうとする人々は、「集団的自衛権」「靖国公式 参拝」をとなえ、憲法・教育基本法を変えようとする勢力に後押しされ、その尖兵をつと めているからです。 憲法・教育基本法をまもるたたかいとあわせて「子どもと教育・平和と民主主義を守る」 とりくみをすすめていきたいと思います。 近いうちに、「5・30集会実行委員会」によるとりくみの総括もされるでしょう。8 月9日には、田辺市で、「教科書採択総括報告集会・教科書問題が問いかけたもの」が開 かれることになっています。「教科書アピール」をだされたみなさんによる今後のとりく みの呼びかけもあるかもしれません。とりあえず、和教組代表者として、お世話になった 皆さんへのお礼として、お手紙をさしあげることにいたしました。  とりくみの経過を急ぎまとめた関係上、不正確な点、意をつくせていない点もあるとお もいます。そういうことがありましたら、お知らせいただきまして、「集会実行委員会」 で正式な総括が行われるような際に、生かしていきたいと存じます。 今後とも、みなさまとの協力・共同が発展することを願って、「中間報告」といたしま す。       2001年7月28日          和歌山県教職員組合                         執行委員長 雑賀光夫

         

2001年和高教組定期大会
雑賀和教組執行委員長来賓挨拶

和教組第 回定期大会が盛大に開かれておりますことに、心からお喜び申し上げます。 和教組執行委員長、県地評副議長の雑賀でございます。本日は、両組織を代表してご挨拶 申し上げます。 最初に、型通りになりますが、県地評議長として雨積委員長を送っていただいておりま すことにお礼申し上げたいと思います。型通りといいましたが、この雨積議長、ときどき わがままも申されますが、全体としてお世辞抜きで大変立派に指導性を発揮していただい ておられます。私が保障しますのでご安心下さい。 今年に入って、連合組合といっしょになって新春旗開きのようなことをやって、全国の なかまをビックリさせました。先日の県地評50周年は、「沈まぬ太陽」のモデル・小倉 寛太郎さんを招いての記念行事で、大きな反響をよびました。若者参加のメーデーもやり ました。これも雨積議長のイニシアティブによるところがたいへん大きかったわけであり ます。 さて、和教組も先週、定期大会を開催しました。大会の最中に、「大阪の池田小学校に 包丁を持った男が乱入し、幼い子どもたちが多数死傷したらしい」というニュースが飛び 込んでまいりました。昨年の定期大会の前には、17歳の少年事件が相次いでいましたが、 今度は、幼い子どもたちが大人によって殺されるという事件が相次いでいるわけです。社 会の病理現象もここまできたかという感を深くいたします。 「空気はわれらの周りに重い。古い西欧は毒された雰囲気の中で麻痺する。偉大さのな い物質主義が、諸政府と諸個人との行為を束縛する。世界がその分別臭くてさもしい利己 主義に浸って窒息して死にかかっている。もう一度窓を開けよう。広い大気を流れ込ませ よう。英雄たちの息吹を吸おうではないか」 これは、ロマンロランの「ベートーベンの生涯」の序文の書き出しであります。日本の 社会自身が、閉塞状態にある。その責任は、なによりも政府・財界の悪政や腐敗にありま す。しかし、窓を開けてすがすがしい大気を流れ込ませるのでなく、国民の痛みを顧みな い構造改革や集団的自衛権、憲法9条の改悪などどす黒い反動の風を引き込もうとしてい る小泉内閣、私たちの願いに背を向けるものです。また、競争の教育・奉仕活動の強制・ 教育への管理強化をすすめる教育3法案、絶対にゆるせません。侵略戦争美化の歴史教科 書、学校に持ち込ませてはなりません。 雨積委員長も和教組の大会で言われましたが、私ども日本全国で一番仲のよい県教組と 高教組であります。教育を守るためにも、平和とくらしを守るためにも力を合わせていき たいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。 以上をもちまして、ご挨拶とさせていただきます。 どうもありがとうございました。

         

第66回和教組定期大会
執行委員長挨拶

執行委員長あいさつ   二〇〇一年六月八日           和歌山県教職員組合第六六回定期大会 執行委員長の雑賀でございます。 まず、お忙しい中、私たちの大会に列席していただきました来賓の皆様方にお礼申し上 げます。また学校現場が大変な中、大会に参加いただいた代議員のみなさん、ご苦労様で す。 小泉内閣がスタートし、大変高い支持率だと報道されています。昨年の和教組定期大会 が開かれた当時、森前首相が「神の国」発言や教育勅語礼賛でヒンシュクを買っておりま した。その後、KSD汚職問題、官房・外交機密費の問題、宇和島水産高校実習船「えひ め丸」が原子力潜水艦に衝突された問題でとった無責任な態度など、森首相と自民党の人 気は、落ちに落ちました。 そこで、森首相を最後までささえてきた小泉氏が、「自民党を変える」「日本を変える」 をキャッチフレーズに登場しました。「自民党政治でめちゃくちゃにされた日本を変えた い」という国民の意識にとりいって、異常に高い支持率を獲得しています。 しかし、小泉内閣は、国民に何を約束しているのでしょうか。KSD汚職や機密費問題 にメスを入れるのでしょうか。小泉内閣の塩川財務大臣は、以前に官房機密費の使途につ いてテレビインタビューで証言していたわけですが、小泉内閣の閣僚になったとたんに「わ すれてしまった」とか「錯覚だった」とか言っています。これは、小泉内閣が自民党の汚 い政治をひきついでいる何よりの証拠であります。 では、経済政策や福祉政策ではどうか。不良債権の処理を早急にやるという。これは、 借金であえいでいる中小企業をを倒産させるということです。福祉については、健保本人 負担を3割にひきあげる、お年寄りからも掛け金を取るという、どの内閣もできなかった ような福祉切り捨ての道をすすもうとしています。「痛みをともなう」と公言してはばか りません。そして「日本を変える」として明確に打ち出しているのが、集団的自衛権、日 本がアメリカの同盟国として世界のどこででも戦争に参加する国にするということです。 憲法九条を変えようとするのは、当然のことでしょう。 いま、国会では、教育改革三法案の審議が重大局面にあります。第一に、競争の教育を いっそう進めること。第二に、奉仕活動の強制。第三に、教育と教職員への管理統制のい っそうの強化をその内容とするものです。どれ一つとっても許せないものですが、中でも 奉仕活動の強制は、かれらの教育観をよくあらわしていると思います。教育三法案を国会 に提出した当時の町村前文部科学大臣が、「不登校は自由のはきちがえだ」と発言をしま した。同時に「自衛隊に三ヶ月体験入隊すれば、人間がかわるというひともいる」とも発 言しました。この教育観は、奉仕活動の強制と軌を一にするものです。「ボランティアを 強制するのはおかしい」という批判があがったのにたいして、曽野綾子氏は、「奉仕活動 とボランティアはまったく違ったものだ。」勘違いしてもらっては困ると言い切っていま す。この教育観は、「飼いならし」「たたきなおし」を学校教育の基本にしようとするも のです。この教育観は、当然のことながら、「人格の完成をめざす」という教育基本法の 精神とは相容れません。「教育改革国民会議」が、教育基本法見直しを提唱するのは、あ る意味では当然のことでしょう。 今朝のニュースでは、「奉仕活動」に「自発的なボランティア」の装いをつけて一部野 党を抱き込む動きになっているように報じられておりましたが、基本的な教育観にはかわ りがありません。「指導力不足教員問題」をテコに教員の管理統制をつよめることもかわ りません。絶対にゆるしてはなりません。 今ひとつの教育問題は、侵略戦争賛美の教科書問題です。日本の侵略戦争の歴史に目を つぶり、それを美化する教科書を検定で通したことについて、国内外から批判がたかまっ ています。 私も市販されたこの教科書を読んでみました。与謝野晶子は登場し、「君死にたまふこ となかれ」の詩が紹介されています。ところが、「晶子は戦争そのものに反対したという より、弟が製菓業(お菓子やさん)をいとなむ自分の実家の跡取であったことから、その 身を案じていたのだった」として「家の存続を重く心に留めていた女性であった」と解説 するのです。私は、読んでみて唖然としました。  この教科書採択を推進する人たちは、特異な歴史観の持ち主ですが、集団的自衛権・靖 国神社公式参拝・憲法九条の見なおしなどを狙う、政府・反動勢力に後押しされているこ とを重視する必要があります。それだけに、攻撃は、執拗にくりかえされるでしょう。同 時に、「教科書アピール」も出されましたが、民主的・良識的なみなさんを結集するチャ ンスだとも考えています。  さて、保護者・県民のみなさんの教育への期待は、どういう点にあるのでしょうか。先 日、和教組役員と県PTA役員が、教育懇談会を開きました。本日の大会へもメッセージ をいただいています県PTA会長さんから、申し入れがあったのです。「二〇〇二年から 学校五日制もはじまる。学校がかわるというが、どうなるのか、意見交換をしたい」とい うことでした。 問題になっている学力低下のことも話題になりました。県PTA役員ですから、中央の 会議で文部科学省の役人の話などをよくきいてきております。「学力が低下するという心 配の声もあるが、文部省のえらいさんは、いまの中学三年までの内容を高校一年までかけ て九〇%は消化するから心配ないといっている」という話がでます。 そこで、参加していた一人の役員が話してくれました。「わしは中学校の理科の教師な ので、いま三年生を教えているんだが………」といって理科ではどのように時間が削減さ れるのか、理科の教科内容の削減が、系統性を犠牲にすること、教科書がどんどん薄くな ってつまらなくなることなど、具体的に話をしたのです。 すると、役員さんたちびっくりしまして、一人のお母さんからは「そんなことが文部省 ではわからないんですか。それとは違った教え方を先生方、やってもらえないのですか」 という質問が出ました。そこから、話に花が咲いたのですが、保護者・県民のみなさんは、 子どもたちがかしこく、健やかに育って欲しいと願っている、手を結ぶ条件がある、その ためには教育問題でつっこんで語り合う必要があることを強く感じました。各地でも、P TAとの共同が広がっていますが、PTAのみなさんと子どもと教育について語り合わな くてはなりません。 経済や生活の問題にもどりますが、ながく続く不況も、労働者の大幅賃上げで、消費を あたためてこそ克服できるものです。ところが、政府・財界は、リストラをすすめ、労働 者をよりいっそう競争させる、成績主義賃金を導入しています。そのことが、民間企業だ けでなく、公務員職場、学校職場にまで導入されようとしていることに、注目しなくては なりません。 昨年、一昨年は、教職員賃金への攻撃がかけられました。調整手当て改悪をぎりぎりの せめぎあいで阻止することができました。昨年五月に発表された財政運営プログラムは、 大型公共事業のむだづかいはそのままにして、乳幼児・お年より・障害児者の医療費補助 をけずり、私たちの賃金の大幅カットをふくむ内容でした。私たちは、県知事選挙をたた かい、その後、雑賀崎沖埋め立てを凍結させ、医療費補助改悪を阻止しましたが、その一 連のたたかいのなかで、職場からの怒りを結集し、賃金攻撃を大きく押し返すことができ ました。しかし、八級職員の賃金二%カットや枠外昇給の改悪など強行され悔しい思いを いたしました。職種によってそれぞれ違った形で実損が現れるという結果になったことか ら、団結しにくい結果が生まれています。  攻撃は、まだつづきます。また、小泉内閣が進める地方交付税削減を許すなら、いっそ うきびしい状況が生まれるでしょう。攻撃がもたらしたものを冷静にみすえながら、それ を押し返す方向で団結をつよめなくてはなりません。 私たちは、この大会に二つの大運動を提案することにしております。 第一は、教育三法案など反動的な教育改革に反対して、子ども・父母・教職員が願う教 育改革をすすめる大運動であります。 「教育改革国民会議」の報告、それを丸呑みにした文部省の「二十一世紀教育新生プラ ン」のねらいをしっかり学習し、子どもや父母の願いにこたえる開かれた学校づくりをす すめます。 なによりも子どもを「主人公にした学校づくり」を父母とともにつくりあげること、そ のためには、「学習指導要領de学校がかわる」のでなく、「子どもの目線で学校づくり をする」という立場で、保護者・校長・教職員・教育行政が力を合わせることを呼びかけ るものです。 数年前から学校現場の協力を得ておこなった一二〇〇〇人の子どもアンケート、それを もとにして「一二〇〇〇人の子ども調査から見えてくるもの…分析と提言…」を発行いた しました。この提言は、全国的に大きな反響を呼び、教育委員会関係の方からも、「共感 できる点がたくさんある」との感想をいただきました。このことは、子どもを真中に据え て、子どもを主人公にして教育を語り合うならば、教職員組合・保護者・教育行政の間で、 一致点をつくりだせることをしめしていると考えるものです。しかし、課題がなくなった 同和教育を学校現場に押し付けたり、文部科学省のいうなりに 「日の丸」「君が代」の 押し付けをおこなうなどには、きびしく批判していかなくてはなりません。 第二は、一人ひとりの要求を大切にし、職場活動・要求運動を前進させ、組織をつよく 大きくする大運動です。 「職場から地区・支部・本部まで、職場の声、要求・悩み・よろこびが、ビンビン響い てくる組合」というのは、私が口癖にしているところです。  PTAとの協力の条件がひろがっています。三〇〇〇万署名をおおきく広げ、「三〇人 学級」、施設設備の改善など是非実現したいものです。教職員が安心してくらせる賃金・ 労働条件は、重要な教育条件です。教職員が管理統制のもとにひしがれていて、自由な教 育活動ができるはずがありません。こうした運動をすすめるためにも、全教職員に和教組 への加入を呼びかけていきたいと思います。 この二つの大運動をベースにして、子どもも保護者も教職員も笑顔あふれる学校を作っ ていきたいとおもいます。 七月二九日投票で、参議院選挙がたたかわれます。 政治の流れを変えるならば、反動的な教育改革や憲法・教育基本法改悪のたくらみを打 ち破ることができます。大型開発や大企業・大銀行支援から福祉・教育重視に税金の使い 方を変えることで、三〇人学級を実現することができます。財政破綻のしわ寄せを公務員 賃金に押し付ける攻撃を跳ね返すことができます。国民の生活にも、教職員の生活と学校 にもゆとりと豊かさをとりもどすなら、父母も教職員も、いまあえいでいる子どもたちに もっとたっぷりとかかわり、社会的病理現象の克服にもいっしょに手を携えてとりくむ条 件も大きく拡大するでしょう。 ますます住みづらくなる子どもたちと私たちの状況を、希望をもてる方向に転換するチ ャンスであります。職場で、大いに政治問題をかたっていただきたいものです。  以上のこと申し上げまして、主催者としての挨拶とさせていただきます。 ありがとうございました。

         


二一世紀最初の新年おめでとうございます。

二一世紀最初の新年おめでとうございます。 二〇世紀は、二つの世界戦争をのりこえ 侵略と抑圧から平和と人権の方向に歴史がすすんだ一〇〇年。 逆流もあるけれど、民主主義はそれに打ち勝って前進してきた。 けれども私たちの身の回りではどうでしょう。 一二〇〇〇人の子どもアンケート。 「いまの社会が夢のある社会だと思えない」と八〇%以上の中学生が答えている。 「忙しくて息がつまりそう」という職場からの報告。 二一世紀は、平和と人権への歴史の流れを学校で家庭で実感できる年にしたい。 そのためのキーワードは、「ゆとり」。子どもにも教職員にもゆとりを。 そうすれば父母にもゆとりを持って接することもできる。 自由で笑顔あふれる学校をつくりたい。 そのためにも歴史の歯車を逆回しする「教育改革」をゆるしてはならない。 失敗をして反省しながら、子どもたちと笑いあってがんばっている仲間。 「研究心と遊び心を」もって明るい二一世紀をと語る仲間。 柿づくりの里に心をよせて、あたたかい心を二一世紀へと語る仲間。 こんな仲間と力をあわせれば、それはきっとできる。 ぼくの心にも希望と勇気がわいてくる。 二〇〇一年       和歌山県教職員組合     執行委員長 雑賀光夫          


全国部落問題研究集会現地実行委員長あいさつ

 全国各地からまた全県から第29部落問題全国研究集会参加のみなさん。ごくろうさま です。来賓のみなさま、お忙しい中、お運びいただきましてありがとうございます。現地 実行委員会を代表して、ひとことごあいさつを申し上げます。  21世紀に部落差別をもちこさないという決意ですすめられてきた部落問題の解消をめ ざす運動は20世紀最後の年、いよいよ最終段階にはいりました。 永年の部落解放運動と同和行政・同和教育によって同和地区内外の格差は、基本的に解 消するにいたりました。いまや、同和問題早期解決の最大の問題は、特別対策としての同 和行政を終結することにあります。同和行政が、同和地区内外に線引きをせざるをえない という矛盾を持つ臨時的行政であったことを考えれば、それは遅すぎた感さえあります。  和歌山県ではの多くの市町村で、同和行政・同和教育の終結が大きな流れになっていま す。また、和歌山県の同和教育は責善教育とよばれ、長い伝統をもっていますが、それを 推進してきた和歌山県同和教育研究協議会もその歴史的使命を終えたとして、自主的に解 散いたしました。 しかし、一部自治体が同和行政固執勢力の策動によって、いまなお、同和行政を継続し ようとしていることは、大きな問題です。和歌山県では、「同和行政・同和教育の終結を めざす県連絡会」に民主勢力が結集し、その策動をゆるさないとりくみをすすめています。  こうしたとき、人権問題を国民の「差別意識」の問題にすりかえるニセ「人権教育・啓 発法案」が、与党三党によって国会に提出されています。こうした動きについても、十分 な論議をお願いしたいと思います。 長引く不況や国・地方自治体での大企業本位・住民生活無視の政治のもとでは、旧同和 地区内外をとわず、生活と教育にかかわる問題は、山積しています。本当に人権と民主主 義を守るとはどういうことなのかを、十分に論議し、国民が大切にさ れる国・地域づくりの実現をめざして力を合わせようではありませんか。 和歌山は海あり山あり、風光明媚、自然に恵まれた土地でございます。また、熊野をひ かえ豊かな歴史遺産をもつ土地柄でもございます。加えて、当地白浜温泉のお湯は、全国 の温泉どこにもまけないと私たちが自慢にしているものであります。空いた時間はゆっく りとおくつろぎください。 この三日間、みなさんの自由な討論と交流で、本集会を意義あるものとして成功させて いただくことをおねがいして、ごあいさつとさせていただきます。

         


第29回和教協教研集会あいさつ

  20世紀最後の第29回和歌山県教育研究集会にご参加のみなさん、ご苦労さまです。
  和歌山県教職員組合、和歌山県高等学校教職員組合、和歌山大学教職員組合でつくって
いる和歌山県教職員組合協議会が主催して開かれます。第29回というのは、回数が少な
いことに気づかれた方もおられるかもしれません。

  実は、和歌山県で教育研究集会が最初に開かれたのは、1951年のことでした。朝鮮
戦争のきな臭い情勢の下、日教組が「教え子をふたたび戦場に送るな」の輝かしいスロー
ガンを掲げた年であります。それから3年後、和高教も参加して教育研究集会を開くよう
になります。そこで、この教研集会は、和教組第21次・和高教第18次合同教育研究集
会というふうに呼ばれたわけであります。1972年、和教組・和高教・和大教組が協議
会をつくって和教協主催の第一回教育研究集会が開かれまして、それから29回目が本日
の教研集会。最初の教研集会からちょうど50回目という記念すべき集会であります。

  この教研集会を成功させるために、現地実行委員会のみなさんは、大奮闘いただきまし
た。昨年の那賀支部の教研では、地域の教育サークルを紹介した冊子が好評でしたが、今
年は、「自然・地域再発見・見方ひろがるおたすけガイド」というのを作っていただきま
した。また、高校生をはじめとする若い皆さんが「雲の向うの国…知覧特攻基地」という
構成劇を披露してくださいます。本日の集会を支えていただいているみなさんに感謝申し
上げたいと思います。

  先日、教育要求県民集会が開かれました。その中で訴えをされた不登校の子どもたちを
もつお母さんたちのお話は、むねをつくものでした。
  管理と競争の教育の中で学校は、子どもにとって息苦しい状況においこまれていること、
そのなかでも教職員のみなさんは、子どもの心を受け止めようと取り組んでいることが、
お母さんの発言に示されました。
  和歌山県国民教育研究所と和歌山県高校教育研究所が合同で、パンフレット「子どもの
声に耳を傾けて」を発行いたしました。和歌山民研がとりくんだ12000人の「子ども
調査」、高校教育研究所の「高校生アンケート」をまとめたものです。小学校の早い時期
から「いらつき」や「ムカツキ」を感じる子どもたちがいる、中学校3年生では、それが
7割近くに達しています。こうした声をもとにして、いたるところで教育論議を進めたい
ものです。またその声に応えて、子どもが主人公の学校をどうつくるかが問われています。

  ところが、政府・文部省は、その声にまったく背を向けているといわなくてはなりませ
ん。首相の諮問機関である「教育改革国民会議」は、先日、「中間報告」を発表しました。
  その内容は、奉仕活動の義務化、道徳教育の強化、「習熟度別学習」の導入など能力主
義の徹底などです。さらに、教育基本法見直しの討論をよびかけています。
  また憲法・教育基本法みなおし論議と軌をいつにして、教科書攻撃がかけられている問
題も重大です。戦前の侵略戦争を美化し、現行の教科書を「自虐的で自国の歴史に誇りを
もてない」と攻撃する立場から請願が、県議会はじめいくつかの市町村議会に提出されま
した。県議会文教委員会では、自民党だけの賛成で強行されました。
  これらの動きは、歴史の大きな流れへの逆流にすぎません。
  私たちは、子どもの声に耳を傾けながら、保護者としっかりと手を握り、民主的な学校
づくり、開かれた学校づくりをすすめながら、反動教育を跳ね返そうではありませんか。
  そのため、2日間の教育研究集会を実りあるものにしていただけるようにお願いしまし
て、開会のことばといたします。






         


雑賀委員長の職場訪問記




伏見工業ラグビー部


 十一月二一日のテレビ番組・プロジェクトX。京都伏見工業ラグビー部の物語だった。
全日本代表だった山口が荒れきっていたこの学校の教師になる。仲間の教師と一緒に、ラ
グビーを通して、ツッパリたちと向かい合う。
  三〇年前、ノックが外野までとどかない若いひ弱い教師が、野球部を受け持った。ツッ
パリのあつまり。教頭が若い教師に言った。「○○君、この子らに一回戦でも勝つ喜びを
あじあわせてやろうやないか。そしたら子のこら変わるで」と。なれないノックで、手に
豆ができ、豆がつぶれて血が出ると保健室に走って包帯を巻いてノックした。日本代表の
山口とひ弱な教師を重ね合わせながらテレビを見た。
 翌々日、和歌山市の地区集会が開かれた学校は、スポーツの専門家の校長がおられる学
校だった。地区集会の後、校長室を訪問して、「年末交渉で部活の問題で協議の場を持つ
ことが確認されたので知恵を貸してください」とお願いし、そのあと、「伏見工業のテレ
ビを見ましたか」と切り出したら、「見たよ。あれが部活の原点ですね」と大いに盛り上
がった。


私の「感動ストーリ」は、この会にお招きいただいたこと        雑賀委員長の地区・職場訪問記


  ある地区集会に参加したあと「講師の先生を招いた会があるので寄っていってよ」とい
われたイタリア料理のしゃれた店につれていただいた。

  会場につくと食事会ははじまっていた。若い女性の先生が八人、支部の役員が数人。若
い人たちで話が弾むようにと配慮して、役員はとなりのテーブルにひかえて、若い人たち
で大きいテーブルを囲んでいる。そのテーブルに一人割り込んでいた支部長さんが、私が
つくと「委員長、特別席へ」と席を譲ってくださった。
  音楽の先生が多い。それに美術、家庭、英語などの先生がいらっしゃる。補充という方
もいるが、免外解消講師、専科講師の時間講師の方が多い。いま、学校現場はこうして講
師の先生に支えられているんだなと思った。
  「子どもたちにアンケートを取ると、若い先生が来てほしいという声がある。時間講師
なので週二日ですが、若い先生が来てくれた日は、雰囲気がちがう。僕らもうれしいが、
子どもらもよろこぶ」と支部長さんはおっしゃる。
  終わりごろになって、支部長さんは呼びかけた。「みなさん、一言、むかついた話でも
感動した話でもしてください」
  音楽の先生が言われた。「やりにくい子がいるんです。私だけがやりにくいのかと思っ
て職場の先生に聞いたら『実は、ぼくも去年苦労したんだよ』と言われたのでほっとしま
した。その子は、抱きしめてやると落ち着くんです。小さい子なので抱きしめて授業をす
ることがあります。すると抱かれて、私の教科書を目で追って勉強しています。」
  美術の先生が言われた。「学校に行って見ると『今日は時間割が変更になりました』と
いわれて、帰ってくることがあります。朝、お化粧がすんだ時間に『今日はこなくてもい
い』と電話がかかったりする。」
  美術、音楽の先生は、「子どもたちの成果を発表する会に出張させてもらえないのがつ
らい」といわれます。
  最後にひとこと求められて「私の感動したストーリーは、この会に呼んでいただいたこ
と。私たちは講師の先生のご苦労を頭ではわかっているつもりでしたが、こんな話を聞か
せていただくと、あらためて考えさせられます」と述べた。またこんな有能な意欲ある先
生方に、ぜひとも安心して教育に打ち込んでいただけるようにしなくてはいけないと思っ
た。


銀行まわりから職場訪問へ(那賀@)        雑賀委員長の地区・職場訪問記






  那賀の大運動縦断行動には多くの参加者があり、昼過ぎで行動が終わった。銀行などを
那賀支部の書記さんと一緒に訪問。「この銀行は高校署名に協力してくれました」などデ
ータをインプットしてくれる。そこで支店長さんにお会いして、「高校署名ではお世話に
なりました。おかげで、那賀高校で一学級増になりました。」とお礼を申し上げる。相手
の支店長さんもにっこりして話しに乗ってくださる。
  「教育も大変ですね。学校では、学級担任している方もそうでないかたも給料が同じな
んでしょう。苦労される方に給料でも報いてあげたらいいと思いますよ。がんばっている
先生の給料を上げてあげたらいい。」私たちが反対する「成績主義賃金」の論理だ。
  「学校というところは、共同して教育を進めるところですから、賃金に差をつけること
はなじまないのです」と申し上げる。
  支店長さんは、半分は「お客様」への対応をしているのだから、それ以上の突っ込みは
しない。しかし、成績主義賃金反対のたたかいは、まじめにこう考えておられる多くの保
護者の皆さんの共感を得る論陣を張らなければならないと、心を引き締める。
  ところで、その車の中で書記さんが「昼からは、支部のニュースなど配りにいくつか職
場をまわるの」とおっしゃったから、私はそれにくらいついた。「午後の予定がないから、
連れて行ってよ」と。
  労働組合・事業所まわりが終わって「ところで、今日回る学校はどこだった? 支部に
帰ったら、職員録みせてよ。校長さんがだれか、知ってる先生がいるか知りたいから」と
言ったら、書記さんは「あの話、本気だったんですか? ニュースを配るだけだから、委
員長の『職場訪問記』みたいな話になりませんよ」とあきれたような顔をした。
  さて、その結果は次回にまわす。



職場会は開かれていた(那賀A)        雑賀委員長の地区・職場訪問記




  書記さんにあきれられながら、私は職場まわりの助手席にのった。
  最初の職場は、玄関をはいると変な展示物がある。女性向の雑誌など。タイムカプセル
に十数年前に埋めたものを掘り出したのだそうだ。また埋め戻すのだろうが、一〇〇年後
に掘り出されたときは、どんな感動を与えるんだろうと思う。学校としては、子どもたち
にそのことを考えさせようと、十数年目の今年、中間的に掘り出して、展示しているのだ
ろう。
 知り合いの管理職組合員がおられる職場である。職員室にはいると、女性の教頭さんが
「あれ、校長さんがいたらよかったのに。今日は、同和研修の講師の会議なんですよ」と
おっしゃる。ベテラン事務職員の方は知り合いだから、控え室でコーヒを振舞ってくださ
る。はなしがはずむ。 
  次の学校。書記さんが分会書記長さんに支部ニュースなどわたす。分会書記長さんは、
その前に送っていた郡委員会(分会長会議)の議案をもってきて「ここの会議、運動会が
延びた関係で出られなかったんだけど、この『報告してください』というのは?」と質問
される。「もう終わっちゃったんだけど、秋年闘争について県委員会にもっていくのに意
見があったら知らせてくださいという意味だったんです」と書記さん。まだ四年目の書記
さんだけど、きちんと受け答えできるのには感心する。
  「あのときは、職場会も開いていたのよ。明日も職場会やるからね」と分会書記長さん。


玄関におばけかぼちゃ(那賀B)        雑賀委員長の地区・職場訪問記



 玄関をはいると、「おばけかぼちゃ」(スイカの何倍もあるような大きなかぼちゃ)を
かざっている。提供してくださった保護者の名前を書いている。
 職員会議がはじまる直前だったが、分会長の方にお会いする。校長さんが出てきて見送
ってくださる。「これは、わしの作品だ」と校長さんは、「おばけかぼちゃ」の中の小さ
いものを指差す。このかぼちゃ、粉砕して家畜のえさにするしかないんだそうだ。でも粉
砕する機械は学校にはない。保護者が心をこめて学校に届けてくださったものを、どう扱
おうかと、校長さんは心を痛めている。
  次の学校への車の中の書記さんとの対話もたのしい。「この前、本部で情宣の学習会あ
ったでしょう。楽しかった。各支部の書記長さんの話をきいて苦労しているんだなと思っ
た。」「それで、支部のニュースは少しかわったの」と私。「見出しのつけ方を考えるよう
になった。それに書記長は、よその支部のニュースをすごくよく読むようになったみたい。」
「支部のニュースは、字が多いから、もうちょっと『ささやき』らしく字を少なくしても
いいんじゃないかな。」と私。「説明不十分なところは、電話で問い合わせてくれたらい
いぐらいの割り切りをしてもいいのかな」と書記さん。

  


適正規模学校でも子どもの問題はいっぱい(那賀C)        雑賀委員長の地区・職場訪問記


  「この学校はどうですか」と職場の先生のに聞いてみる。「この学校はすごくいいよ。
学年2学級で、クラス25人ぐらいなんですよ」とおっしゃる。「丁度いい規模の学校な
んですね」と私。その先生は、昨年まで岩出町の一番大きい小学校におられただけに、そ
の違いがよくわかるんだそうだ。
  校長にもごあいさつと思って、校長室に顔を出す。もと教文部長をされた先生だ。「ご
無沙汰してます」とごあいさつして「この学校は適正規模でいいですね」と切だす。

 「でも、いろんな子どもがいます。毎日の新聞にいろんな事件が載るけれど、何が原因
なんでしょうかね。社会全体が病んでるんですね。うちの学校でも、一年生から目つきが
おかしくなった子がいました。母親の愛情不足という事情があったのです。」校長さんは、
いくつかの事例を話された。さすが元教文部長さんだ。
  適正規模の学校でも子どもの問題はいっぱいだ。でも二五人のクラスだと先生はこども
にじっくりとかかわり、校長さんもこんなに子どものことをリアルに話してくれることが
できるのだと思った。
  今日は、書記さんのお供しての「ニュース配り」だ。ゆっくり話し込むわけにもいかず
に次の学校に向かう。



お米をつくり、スイカを作る(那賀D)        雑賀委員長の地区・職場訪問記



  学校の玄関は花いっぱい。「ここの学校は地域の人がいろいろやってくれるんです」と
書記さんが教えてくれる。
  校長さんにお会いする。「先日、稲刈りが終わったんですよ。もち米が3俵とれました。」
とおっしゃる。町で1反あまりの田とそれ以外に畑も借りてくれているのだそうだ。「田
植えの前には、低学年の子どもが泥んこあそびをします。収穫したもち米で餅つきをする
んですが、60臼つきます。稲刈りのおわった後の田では、やさいも作るし、別の畑では
スイカもつくる。大きいのができますよ」
  「おすそ分けを支部にいただいたことがあります。おいしかった」と書記さん。
  校長さんはつづけます「できたスイカを運ぶとき、子どもが落として割るんですよ。2
つも3つも。『校長先生ゴメンゴメン』『おまえらわざとおとしたんとちがうか。しょう
ないから食え』と割れたスイカを手づかみで食べさせます。野菜などは、学級懇談のとき
にお母さんたちに安く売るんです。それを楽しみに白菜をたくさん買い込んでいくお母さ
んもいる。野菜つくりは野菜つくりの名人というひとが指導してくれますから、いいのが
できるんです。」
  20年前からのとりくみで、あたりまえのことになっているのだろうが、「こういうと
りくみが、教研集会でも報告されたらいいのに」と職場の先生に申し上げた。

         


第65回和教組定期大会執行委員長挨拶


執行委員長の雑賀でございます。 まず、お忙しい中、私たちの大会に列席していただきました来賓の皆様方にお礼申し上 げます。また学校現場が大変な中、大会に参加いただいた代議員のみなさん、ご苦労様で す。 教育をめぐって心が痛む事件がつづいています。17歳の少年による愛知の主婦刺殺事 件と西鉄の高速バスのっとり事件。その少し前には、愛知の中学生による5400万円の いじめ・恐喝事件が報道されました。その後も、少年少女が引きおこす事件、巻き込まれ る事件が、あとをたちません。  こうした問題は、単純に因果関係を云々することはできません。それにしても「日本の 極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達上の障害にさらされている」 と国連子どもの権利委員会が警告を発したのは、2年前の6月のことであります。17歳 という年齢は、私たちが白紙撤回をもとめてきた、現行の学習指導要領のもとで学校生活 を送った子どもであることも見逃せません。さらに、子どもたちが希望をもてない、政治 ・経済・文化の腐敗といった、社会の病理現象という問題も、私たちが指摘してきたとこ ろです。 私たちの和歌山県国民教育研究所が、県下100の小中学校の協力を得て、12000 人の子どもアンケート調査を実施しました。  「どういう大人になりたいか」という設問には、「人を助ける人」「家族を大切にする 人」と多くの子どもたちが回答しています。しかし、「今の社会についてどう思いますか」 という設問には、「夢のある社会」と答えている子どもが1割に満たないということは、 子どもの願いに大人社会が応えられていないといわざるをえません。 子どもたちは本来、成長したい、賢くなりたいという願いをもっているものです。それ が、受験競争におわれ、よい子競争でストレスをため、将来への夢を持てずに悲鳴をあげ ているのではないでしょうか。子どもたちに最良のものをという立場で子どもたちの願い に応えなくてはなりません。 ところが、森首相は、子どもたちを苦しめている教育の現状や大人社会の現状にメスを 入れるのではなくて、「教育勅語」をもち出しました。教育勅語というのは、「夫婦相和 し」夫婦は仲良くしなさいなどとも言っていますが、その結びは、「一旦緩急あれば義勇 公に報じ」つまり、「一旦戦争になったら天皇陛下のために死になさい」いうものです。 だから、新憲法下の国会で、廃止が決議されたのです。いま、子どもたちに命の大切さを 教えなくてはならないときに、教育勅語を持ち出し、さらに「日本は天皇を中心にした神 の国」だと言ったわけであります。なんということでしょう。皆さんとともに強く抗議す るものであります。 さて、大人社会の現状、深刻な不況がつづき、昨年は自殺の増加によって男性の平均寿 命が低下したという報道がされました。 大企業のリストラ競争、不況にもかかわらず長時間労働やサービス残業の横行がつづい ています。重大な問題は、政府がリストラや首切りを規制するのでなく、それを支援する という政策をすすめていることです。 年金・医療改悪、介護保険導入にあたって社会保障費を切り捨てるという国民生活破壊 がすすめられています。その一方で、不要・不急で自然破壊の大型開発やバブルで踊った 銀行救済に私たちの税金が湯水のようにつかわれているという異常な財政運営がおこわれ てきました。財政危機のしわ寄せが、私たちの賃金に押し付けられ、昨年は一時金の削減、 今年は、調整手当て大改悪や一時金再改悪、さらに県財政の危機を理由にして、教職員の 賃金カットが提案されていますが、絶対に許すことはできません。大型開発や在日米軍へ の思いやり予算、同和行政のむだ遣いをやめるべきであります。  教育行政の分野では、和歌山県では、2年前にイーデス・ハンソンさんや元県教育長・ 井上光雄さんなど10人の方々による「30人学級実現のアピール」が出され、その後県 下29市町村議会から「30人学級」「学級規模縮小」の意見書が出されていますが、文 部省は、それを先送りしようとしています。 他方、深刻な教育問題を放置するわけにはいかず、「特色ある学校づくり」「開かれた 学校づくり」を標榜しています。ところが、その文部省が他方ですすめているのは、「日 の丸」「君が代」のおしつけや職員会議の補助機関化などの教育への管理統制の強化です。 これは、子どもの願いに背をむけるものです。特色ある学校というのなら、卒業式で「日 の丸」「君が代」をあつかう学校も扱わない学校もあっていいのではないでしょうか。まっ たく矛盾していると言わざるをえません。 こうした状況をふまえ、いくつかの点を申し上げたいと思います。 第一、職場から地区・支部・本部まで、職場の声、要求・悩み・よろこびが、ビンビン 響いてくる組合にしたい、そして笑顔あふれる学校づくりをすすめたいということです。  学校現場では、困難な教育問題をかかえ、しかも教育に直接つながらない忙しさにおわ れて大変です。子どもとの間でうまくいかないという悩みをひとりで抱え込むのでなく、 仲間に相談できる職場、学校でつらかったことやうれしかったこと、支部の教育会館に組 合員が飛び込んできて「今日、学校でこんなうれしいことがあったのよ、きいて、きいて」 と話をする。つらかったこと、悲しかった話も語られる組合。そんなことを何よりも大事 にしたいと思います。 「和教時報」の最近号から、「雑賀委員長の職場・地区訪問記」という連載をはじめさ せていただきました。第一回だけは、だいぶスペースをとっていただきましたが、次回か らは小さい囲み記事になりますが、許されるならば連載をつづけたいと思っています。ま た、私にかぎらず、本部役員を職場に呼んでいただきたいと思っています。  学校職場では、子どもを主人公にした学校をどうつくっていくかということが大きな課 題です。ある支部の代議員会で女性の先生が発言されました。「去年はなにかギスギスし ていた。なぜかなと振り返ってみると、あれもこれもやらないかんと追われていたような 気がするの。今年は、肩の荷をおろそうと話し合って無理しないようにしたら、先生も楽 になったし、子どもたちも笑顔いっぱい」とにっこりしてお話になった先生の笑顔と子ど もの笑顔がダブって見えたような気がしました。  保護者や地域の人々に開かれた学校というのは、私たち教職員組合がめざすところであ ります。しかし、現実には、保護者のみなさんからは、学校は敷居が高い、先生方はもっ と胸を開いてほしいといわれていることも事実であります。私たちの手で、「開かれた学 校をつくる」とはどういうことなのか、大いに論議をお願いしたいところです。 第二は、要求実現の問題です。「30人学級」をめぐって文部省の「教職員配置のあり 方等に関する調査研究協力者会議」の報告が、5月19日に出されました。それを報道し た日の朝日新聞は(30人学級)「見送りは納得できない」という表題の社説を掲げまし た。その「社説」は、首相の私的諮問機関である教育改革国民会議の場でも、メンバーか ら少人数学級を求める声が強まっていることを指摘した上で、問題は財政問題だが、それ は「9兆円を超える公共事業費を例にとるまでもなく、予算をどの分野に重点配分するか の問題であろう」と指摘しました。そして「今からでも遅くはない。30人学級を目指す べきだ」と結ばれています。「30人学級実現」と教職員定数改善の運動をいっそう広げ なくてはなりません。 また、「だれもが高校までの教育をうけたい」という願いにこたえて、高校希望者全員 入学の方向で、「極度に競争的な教育制度」の改善を図らなくてはなりません。 子どもと教育を守るために心を一つにしなくてはならない学校現場に、管理と分断、疑 心暗鬼をもちこむ成績主義差別賃金の導入は、絶対に許せません。 また、昨年から強められている賃金攻撃、一時金・調整手当改悪・賃金カットの攻撃は、 絶対に許すことが出来ないことは先に述べたとおりであります。 第三は、組織の拡大強化であります。いまの状況、誰かにまかせておいて生活と権利、 教育が守れるという状況ではありません。だから、昨年の年末闘争、弱いものいじめの賃 金攻撃に立ち向かって、給食調理員、スクールバス介助員など、身分不安定なみなさんも、 自分の権利は自分もいっしょにたたかって守るのだと組合に加入してこられたのです。い まこそ、「他人任せでなく、あなたも組合に入って生活と教育を守ろう」とすべての教職 員に呼びかけるものです。 昨日、衆議院が解散され、25日には総選挙がおこなわれます。大型開発や大企業・銀 行支援から福祉・教育重視に税金の使い方を変えることで、30人学級を実現することが できます。財政破綻のしわ寄せを公務員賃金に押し付ける攻撃を跳ね返すことができます。 国民の生活にも、教職員の生活と学校にもゆとりと豊かさをとりもどすなら、いま、あえ いでいる子どもたちにもっとたっぷりとかかわり、社会的病理現象の克服にもいっしょに 手を携えてとりくむ条件も大きく拡大するでしょう。 ますます住みづらくなる子どもたちと私たちの状況を、希望をもてる方向に転換するチ ャンスであります。全力でがんばりたいと思います。 最後になりますが、私が大好きな本に、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」と いう中学生にむけて書かれた本があります。戦前の1935年にかかれています。193 5年といえば満州事変から真珠湾へ、日本が戦争への道を突き進んだ暗い時代です。その 時代に「こんな時代だから子どもたちに最良のものを」という思いで「路傍の石」などで 有名な作家・山本有三さんなどが編集したシリーズの一冊が「君たちはどう生きるか」で あります。その吉野源三郎さんが、子どもたちに贈った言葉があります。 たれもかれもが、力いっぱいに、 のびのびと生きていける世の中 たれもかれもが、 「生まれてきてよかった」と思えるような世の中 人を大切にすることが、 同時に自分を大切にすることになる世の中 そんな世の中を来させる仕事が、 君たちの行く手に待っている 大きな、大きな仕事、 生きがいのある仕事 あの言論の自由も抑圧された暗い時代とは違って、私たちは政治を変え、学校を変える 展望を持つことができます。「大きな、大きな仕事、生きがいのある仕事」のために希望 を語り励ましあってともにがんばろうではありませんか。  以上で挨拶といたします。ありがとうございました。

         


対談  足もとを見つめながら、未来を探る   ――碓井岑夫民研所長と       雑賀光夫和教組委員長が語る――

碓井 本日は、今年の四月から和教組委員長に就任された雑賀光夫先生に、ご自分の人柄 や教育実践、和歌山の教育などについて自由に話していただこうと思います。先生は、京 都大学をご卒業後、一九六七年から海南市立野上中学校(現東海南中学校)で英語教師と して教壇に立たれました。その頃の失敗談なども聞いておりますので、おいおいお聞きす るとしまして、最初に教職を目指されたきっかけ当たりからお話しください。 高校、大学時代の思い出 雑賀 大学は経済学部でした。高校時代は海南高校でどんぐり会という部落問題研究会に 出会いまして、そこから社会のこと教育のことに目を開きました。 碓井 高校時代から社会的な活動に関心を持っておられたとのことですが、和歌山県でい えばおそらく勤務評定反対闘争や全国的な安保反対運動などの動きを、中学生から高校生 の多感な時代に見聞されたのでしょう。当時の高校生は現在では想像もつきにくいほど社 会への関心が高く、世の中の不正や腐敗への怒りのようなものが多くあったように思いま す。ところで、「ドングリ会」の活動はどんな内容だったのでしょうか。 雑賀 和歌山地区高等学校責善教育連絡協議会(和責連)という高校生の責善教育をすす める組織がありました。海南高校でその役員になったので、部落問題にふれ、どんぐり会 をつくる一員になるのですが……。私が一年生のとき、県教委が「責善教育」を廃止して 「人間尊重教育」を押しつけてきました。高校生のなかでもおかしいんじゃないかと論議 しました。そのリーダーだったのが、当時星林高校三年生だった、現在すさみ町江住小学 校におられる加藤元昭先生でした。私などほんとに後ろからついていく影の薄い存在でし た。 碓井 その後、京都大学に進学されますね。そして、高校部落研活動を引き継いだ感じで 京大部落研に入って活動をされますね。 雑賀 大学に入学して、部落研で子ども会活動などするんですが、学問か子ども会活動か 悩みました。大学の近くに田中部落という京都市内でも有数の大きな部落があります。当 時は、部落解放運動が分裂をする以前の時代でした。後に部落解放同盟の委員長になった、 部落排外主義の代名詞のように使われる「朝田理論」という言葉の元になった朝田善之助 氏が住んでいた部落です。一時その影響を受けただけに、その誤りもよく分かります。  部落と子どもたちが置かれている現実から出発して、社会について学ぼうというのです が、子どもとかくれんぼしながら「こんなことに時間をつぶすより、『資本論』を読みた い」と思い「資本主義的生産様式が支配している社会の富は膨大な商品の蒐集として現れ、 ……」という『資本論』冒頭の文句を口ずさんでみた思い出があります。もともと、人や 子どもと交わるのが下手な人間でしたから。 碓井 子ども会活動で子どもと遊びながら、理論と実践の間で悩んだというお話はよくわ かります。当時の学生に共通する悩みで、とくにマルクス主義経済学を学んでいくなかで、 その悩みが一層深まったのでしょう。 教師への旅立ち 碓井 この時代に、学問を通じて社会の現実を社会科学的に見てゆこうとする気持ち、い わば「学究」的な志向と、子ども会活動を通じて接する現実の子どもの姿や困難な生活の 実態を改革する実践に関わりたいという気持ちの間で揺れ動くわけですね。また、子ども 会で経験された生の子どもの生活や行動、あるいは父母との関係など教師になられてから の大切な糧になったのではないかと思います。  そこで、今度は教師になってからのお話を聞くことにいたしましょう。「子どもと付き 合うのは下手」という思いを持ちながら、教師生活を始められと思いますが、教師一年生 はどんな出発だったのでしょうか。 雑賀 教員になったのは、一九六七年。海南市立野上中学校がかけだしです。英語の免許 が取りやすかったので英語の免許をとりましたが、受験英語しかやっていないから、英語 が話せない英語教師です。教員の採用試験は、京都・大阪・和歌山の高校全部落ちまして、 和歌山の中学校にだけすべりこみました。  部落子ども会などやってきていましたから、民主的な教師になりたいという気持ちはあ りました。でも教師の仕事は、理念だけでできないでしょう。未熟な教師でした。英語の 授業も、教えるのが下手だから教室が騒がしくなる。子どもともうまく行かない。自分は 教師に向いていないと思って、「教師をやめたい」と悩んだこともありました。 碓井 「民主的」な教師でありたいと願うにも関わらず、現実にはクラスが荒れて、今日 の「学級崩壊」に近いような状況に悩むのですね。教材や授業技術の問題だけでなく、教 師と生徒の関係のつくり方に灯りが見えない状態でしょうか。 雑賀 担任しているクラスに、しょうのないのがいましてね。授業妨害する、私は野球部 の顧問をしたのですが、そのグランドに石を放りこんでクラブ活動のじゃまをする……。  そのうち、まじめな女の子が日記に「先生は優しすぎるから男の子はまじめにしないん です」と書いてきたのですが、そのときは焦りました。そこで、今度騒いだら殴ろうと決 めて、自分の頭を殴って、手加減を確かめました。マカレンコというソ連の教育学者の実 践記録「教育詩」に子どもを殴る場面があることを知っていましたから、それを読み返し て、「なぐってもいいんだ」と自分に言い聞かせました。 明くる日、ニュー・プリンス・リーダーズの教科書でその子の頭をはったかしたのを今 でも覚えています。教室は、一瞬静かになりました。女の子は日記に「今日の先生はいつ になく厳しかった」とほめてくれました。でもそんなことでうまく行くはずがありません。 子どもたちの反抗はいっそうひどくなりました。 碓井 マカレンコの「教育詩」を読んで、体罰を決意するなんて雑賀さんらしいですね。 つまり、自らの教師としての行動をも理性や理論で整理しておかなかければ納得できない ところです。ただそのことが感情表出という人間の原点を薄めてしまう弱さもありますが。 それで、教科書で生徒の頭を殴ったあとの、教師と生徒の関係はどうだったでしょうか。 子どもの真実の姿に学ぶ 雑賀 一学期最後の個人面談のときです。僕は、親に言いつけるつもりで、その子どもの 悪いことをノートに書いて待ちかまえていました。お父さんが来たのは、面談の最後でし た。私の話を聞いたお父さんは「いろいろ迷惑かけてすみません」といったあと、家庭で の子どもの様子を話し始めたのです。  「家内が病気なので、あの子が食事の支度をしてくれます。わし、このあいだ『もっと うまいもの食わしてくれ』といったんです。そしたらあの子は『お父ちゃん、うまいもの つくろと思ったら、お金かかるんや。お母ちゃん病気でお金かかるんやろ。僕もしんぼし てるんやから、お父ちゃんもしんぼしてくれ』……」  私は、頭をがーんとやられたような気がしました。なんと自分はこの子の本当の姿を知 らなかったのかと。その話を、そのあとある研究集会で話したのですが、その私の話をす ごくほめてくれたのが、亡くなった岡本佳雄先生でした。 碓井 やんちゃな子だけれど、いい話ですね。子どもの生活を見る目のすばらしさに教師 が教えられています。生活の事実が子どもの感性を育て、家庭の人間関係を読みとってい るのですからすごいです。当時の中学生には、父母の生活現実や苦労する姿が生々しく見 える生活場面がいっぱいありましたし、そこから自分の生き方を考える契機がありました。 雑賀 今になれば整理してキレイに話せますが、その渦中では大変でした。十数年前、和 教組は「体罰はやめよう」という呼びかけをしました。当時その中心になった教文部長の 森畑さんから「雑賀書記長はこのことについて自分の意見を言わんやないか」と迫られた のを覚えています。そのとき、未熟だった頃の自分を思い出し、自分が現場の教師だった らどうだろうと考え込んでいたのです。 碓井 学校外の子どもの生活や家庭のありよう、子どもの「内面を丸ごとつかむ」という のは和歌山の教育実践が伝統的に培ってきた歴史の遺産です。雑賀先生が、生徒やその父 親と出会って考えたこと、あるいは、あちこちで頭をぶつけながらたどり着いたところが、 和歌山の教育実践の原則であるということもいい話ですね。  雑賀先生の英語の授業で、その生徒が騒いだり、授業を妨害したことは、今日的に解釈 すれば「先生、ぼくにもかまってよ、もっと目を向けてよ、分かりたいよ」というメッセ ージを送っていたことになります。今日ではそのメッセージの送り方が、子どもの内面が 多様になっているだけに、それだけ複雑になっていますから、教師の子どもをつかむ力量 が問われますし、子どもとの関係をつないでいるアンテナを高くしておかなければなりま せん。 教職員組合活動へ 碓井 ところで、教職員組合の役員をされたのは、何時からですか。和教組運動のことを 細かくお聞きする時間はありませんが、ポイントになる部分をお話しください。 雑賀 一九七四年に和教組海草支部の書記長になり、そのあと本部にきました。 ストライキ万能論を克服して、「ストライキをふくむ多様な戦術」といわれたころ「私 と職場の要求運動」という提起をしました。西牟婁支部の書記長さんから「一年生の子ど もの親から『土曜日のパンとミルクだけでいいから食べさせて帰らせてほしい』という要 求があって、校長先生と話し合って解決した」という報告です。朝早く、山の上の家を出 て、帰りはお腹をすかせてぐったりして帰ってくるというのです。その話を聞いてすごく うれしかったのです。こういう具体的な要求が職場でとりあげられているということ、さ らにそういう話が本部執行委員会で報告されるのは、職場の組合員がこうした職場での活 動を和教組本部が大事にしていると思っているからだと思いました。 碓井 「固有名詞のついた職場要求」という表現や発想というのは大切ですね。職場や地 域に根ざした要求運動は、教職員が相互に議論しあったり、地域に目を向け、父母や住民 と語り合わなければ「固有名詞」は出てきません。さきほどの話でいえば、母親の思いや 子どもの苦労を受け止め、職場全体で考えて取り組もうとしたのです。これは、これから の教育実践や教職員組合運動のあり方を考えると、一つの重要な原点になると考えました。 雑賀 一〇年間和教組書記長をした後、統一労組懇と県地評の事務局長などを五年ほどや らせてもらって、トラックの運転手、タクシー労働者、住金など大企業労働者とお付き合 いをして、世界が広がったように思いました。お話するには時間がありませんが……。 これからの教育運動・教育実践 碓井 教職員組合運動についてお聞きしましたので、ここでもう少し視野を広げて、二一 世紀の教育実践、和歌山の教育、学校、子どもの問題などについて、教職員組合としてど のように考えておられますか。 雑賀 私は、現場経験が少ないだけに、学校現場の話や父母の声を努めて聞くようにして います。数年前に「いじめから子どもを守るネットワーク」というのを、子ども劇場の方 と協力してつくったことがあります。『ニュース和歌山』に紹介してもらって、関心を持 つお母さんたちが来てくださいました。初対面の方々にお会いしたのが、すごく新鮮でし た。そのネットワークで「学校は楽しいですか」などのアンケートを子どもから集めまし た。三〇〇ほど集まったのですが、小学校三年生の女の子が「楽しくない」と答え、「ど うしたらいいですか」という問に「学校がなくなればいい」と書いていたのは、ショック でした。 碓井 最近の「ネットワーク」という組織論は比較的に新しいものですね。従来の学校や 教員の組織論は、どうしても学校・教師が中心であったのです。六〇年前後の勤評・安保 が地域を巻き込んだ国民的な運動といっても教職員が主導した反対運動であり、政治闘争 であったという傾向は否めないと思います。それが、七〇年代の半ば頃から地域や職場を 大事にするという転換を経つつ、九〇年前後から教育や子どもの問題を、父母・市民や教 育関係者と共同して考えていく必然性が生まれてきます。いじめや子どもの自殺、学校内 外のさまざまな暴力事件が、改めて地域と学校の連携を求めてきましたし、最近のネット ワークの動きは問題に対処するための組織論ではなく、むしろ、子育て・教育を学校と共 に創っていかなければならないという、ある意味で「学校を開く」うえでのモメントにな りうるものでしょうし、その意義はたいへん大きいと思います。 雑賀 先日、「教育実践・運動交流集会」を開いたんですが、子育てサークルをしている お母さんが報告してくれました。「県教研だとか母親大会だとか、『キャンペーン期間』 には先生方も参加してくださるんですが……。私などはつきあいが長いからそれでもいい と思っています。でも若いお母さんからは、厳しい意見もあります」というお話でした。 こうしたお母さんたちが、いま「開かれた学校」を求めています。「きのくに子どもサ ポートネット」などに出かけて、隅っこに座ってお母さんたちの話を聞くようにしている のですが、教育に関心を持つお母さんたちが、文部省の「開かれた学校」という言い方に 幻想をもっているようです。「日の丸」「君が代」の押しつけをしながら「開かれた学校」 などあったものじゃないんですがね。 碓井 たしかに、文部省も「開かれた学校」や家庭・地域と学校の連携を主張しており、 他方では日の丸・君が代問題に象徴されるような管理体制を強化しています。いわば、日 の丸・君が代をテコにして地域ぐるみを新自由主義的に再編する動きさえあります。さき ほどのお話に出ました、進んだお母さんたちが「開かれた学校」論だけに飛びついている というのはその通りですが、文部省の教育政策批判ばかりではなく、そのお母さんたちも 含めてどんな学校を創ることが必要なのかの議論、つまり市民的民主主義を軸にした「参 加」型の学校論が求められているのではないでしょうか。また、文部省は、競争的な原理 のなかで学校やカリキュラムなどの選択といった「選択の原理」を強調しています。しか し、選択の中身をつくることに子どもや父母の意見が反映される回路がありません。むし ろ、選択ではなく参加への道筋が重要ですし、そのときに、父母や地域の願いや知恵がど う生かされるかが大切だと思います。  もう一つは、子育てが非常に困難になっているという問題です。中央教育審議会や文部 省は、「心の教育」「家庭教育」の重要性を謳っていますが、その責任を個々の家庭に返 してしまっています。そうではなく、「子育て・教育の公共性」を新しくつくってゆく筋 道として、教育福祉的な発想でこれらのネットワークを公的な支援のなかで広げていくこ とはできないかと思います。あるいは、子育てがしんどいお母さんたちが「駆け込み寺」 的に寄れる場所などを、比喩的に言えば、教育の中心である学校の周辺にそういうものが 位置づくことの重要性をお話を伺いながら考えました。 地域と教育実践 碓井 和歌山には豊かな自然や歴史があるわけですが、これからの学校づくりを考えると きそれを生かさない手はないと思います。こうした地域の特性を生かしたり、そこで生活 してきた人々の良さを生かす学校づくりという点でお考えを聞かせてください。 雑賀 同じ研究集会での、大成高校美里分校の報告もおもしろかったですね。地域にねざ した学校になっているし、町長さんも分校を大事にしてくださっています。  数年前に、市町村長・教育長と対話してみようと五〇市町村中、一九市町村まで一年半 ほどかけて訪問したことがあるんです。「組合といえば要求書を持ってくることが多いん ですが、今日は教育問題についてご意見を聞きに来ました。教育を守るために立場の違い を越えて協力したいと思うからです。教職員組合へのご意見もお聞きしたい」と切り出し ましたら、ある町長さんなどは「わしら教育については素人だ。教育の専門家である先生 がなぜわしらの意見を聞きたいと言うのですか」とおっしゃる。そこで「教育のことは教 師や学校が一番よくわかっていると思ったら大間違いだと思っています。胸を開いて県民 のみなさんのご意見を聞かなくてはならないと思うんです」と申し上げました。すると、 堰を切ったように子どもと教育への思いを語り出されるのです。地域に行けば、子どもは 宝物です。保守も革新もありません。 いま、こうした立場で「開かれた学校」をつくらなくてはなりませんね。それは、民間 人を校長に登用したり、文部省流の「学校評議員」をおかなくてはできないことでもない。 「学校評議員」についていえば、PTAを軸にして幅広い地域の人々、さらに子どもの声 も学校運営に反映できるような「開かれた学校」づくりをすすめなくてはならないと思っ ています。 碓井 和歌山県国民教育研究所(民研)が発行しています『月報』の表紙に、すでに四七 回にわたって県下の木造校舎の写真が連載されています。紀の国は「木の国」ですから自 然を生かした学校づくりに木造校舎を中心にすえること、あるいは、二〇〇二年から本格 実施される「総合的な学習の時間」に地域の自然や歴史を生かした学校づくり、それらを 教材化するなかで地域の人々の参加・協力を得ながら、学校を開いてゆく可能性があると 思います。  そうした観点から考えまして、雑賀先生が今まで多くの教師に出会ってこられたと思い ますが、そのなかで印象深い先生方はどんな教師だったんでしょうか。 雑賀 同じ研究会で、伊都の先生の障害児教育の報告を聞かせていただきました。自閉症 の子なんです。卒業式のような時でも舞台にかけあがったりする。お母さんは「卒業式は 休ませようか」と悩まれる。でも、「舞台に駆け上がる」というのも「発達段階」なので すね。何もできなかった段階から、自分を抑制できないが表現できる段階へ、さらに自分 を抑制できる段階へ発達するステップだという捉え方をして、子どもの発達を、口頭詩な どでつかんでいく実践でした。 こんなすばらしい実践をきくと、私は、いつも同じ質問をするのです。「教師というの は、免許状をもって採用試験に合格したら一人前というわけではないと思います。先生は、 子どもを見る目や感性を、どこで養われたのですか」と。未熟だった、しかも子どもや人 と交わるのが上手でない自分と重ね合わせて質問するのです。この先生は、サークルが自 分を育てたとおっしゃいましたね。 碓井 学校や地域におけるサークルの重要性はおっしゃる通りですが、それを困難にさせ ている要因があります。一つは、先ほど言われた学校現場の忙しさです。大学ももはや例 外ではなくなってきていますが、問題や会議の軽重を自分で判断できないほどの忙しさで、 その忙しさが仕事をしていると錯覚させてしまう。  そして、学校における仲間の関係、同僚との緊密な関係をつくっていくゆとりがなくな っている問題があります。知らずに「内なる競争主義」にとらわれたり、子どもや教育以 外の要因を考えながら同僚との付き合いをつくらねばならないしんどさがあります。  さらに、教員採用者が少なくなっている現状では、四月に教壇に立ったとたんに一人前 として期待されるがゆえに、自分の失敗を外に出したり、困ったことを職場で相談するこ とを躊躇させてしまう傾向があると思います。そこでは、かつてあったような先輩の苦い 経験や失敗を聞くことがなくなっていることを卒業生などから聞きます。その点で、これ から職場の同僚性をどうつくってゆくかが課題になるでしょうね。 インターネットと趣味 碓井 ところで、インターネットで楽しくて深い内容のあるホームページを開いておられ ますし、最後に趣味などのお話もお願いします。 雑賀 私は、あまり遊びをしらない人間で、趣味は読書と囲碁ぐらいかな。囲碁の師匠は、 この民研の楠本先生。「囲碁には囲碁の独自の法則があるから、勉強しなくては強くなら ない」としかられています。 雑賀 それから、おっしゃるように最近は、インターネットに、はまっています。和歌山 大学と碓井先生のホームページもよく見に行きますが、私のホームページも見ていただけ ましたか。おはずかしい。自分が書いてどこかに載せた文、発表する当てのない文を全部 入れています。  そしたら、東京のある大学のフランス唯物論研究者がメールをくれましてね。「あなた のホームページはおもしろい。パスカルやディドロとくらべて、今の哲学はどうだろうと 思ってるんだが、あなたのホームページには時代に応える力がある」というような、過分 のことばをいただきました。もう一人、大企業の管理職を退職した方とも知り合いになっ て、三人で毎日のようにメールの交換をしています。 情報教育と学校 碓井 雑賀先生のホームページを拝見しますと、社会や自然のことに非常に幅広い関心を 持っておられることがわかります。インターネットの世界はこれからの学校教育のあり方 や実践の方向をある部分で示唆していますが、他方、従来の情報の送り手と受け手の関係、 情報の質を変えてしまうことも考えられます。以前は、情報の送り手と受け手はフェース ・トゥ・フェースで信頼関係に基づいてやっていたのですが、さっきのように「メル友」 という生涯一度も会うことがないような人とメールで情報をやり取りすることがありま す。そこでは、情報の質の吟味をする力が求められてくるでしょう。同時に、情報化社会 という言葉のなかで置き去りにされがちな、子ども相互の関係、親と子どもの関係、子ど もと教師の関係など直接的な、肌をふれあったり、喜怒哀楽の感情を含んだ関係性がより 重要になってきます。インターネットというのはなんと言ってもヴァーチャルな世界です から、こういう時代であるからこそ、子どもの表情を見て、彼らの目に、彼らの心に語り かけ響き合える言葉を育てることが、教育や子育てに大切だと思います。 碓井 和教組運動が新しい局面を開かねばならないことも出てくるでしょう。ぜひ原点を 大事にしながら、新しい和教組の時代をつくっていただきたいと思います。長時間ありが とうございました。 雑賀 ありがとうございました。学校現場が大変なとき、しかも政治も教育も大きな曲が り角に来た時期に大任を引き受けてしまいました。組合員や役員のみなさんに助けていた だいて乗り切って行きたいと思います。

         


教育懇談会でのあいさつ

 本日は、わたしたちが開いた教育懇談会におこしいただきましてありがとうございます。
テーマは、「19歳の少年犯罪を考える」となっていますが、この問題が今日、ひろく教
育についての心配の象徴的な問題ですので、テーマに選びました。
 ただ、私たちお互い、教育評論家ではございませんので、あの事件をどうみるかという
議論をしていただいてもいいのですが、むしろ、あの事件に象徴される教育の困難や子ど
もの発達のゆがみが、私たちの周りでどうなっているのか。そして、子どもたちが健やか
に成長できるような教育や学校をめざして、どんなことを考え、どんなとりくみがなされ
ているのか。そのとりくみで障害になっている問題、学校や教職員組合への要望など、率
直にきかせていただければありがたいと考えています。
  私は、和歌山県教職員組合の執行委員長をしていますが、時間があれば、お母さんたち
の集まりにでかけて、あまり意見は言わずに、じっくり聞かせていただくようにしていま
す。そういう場には、あまり現場の組合員と顔を合わせることがありません。そして、当
然ですが、そういうさまざまな、私も知らないような場所で語られているようなこと、と
りくまれていることが、私たちの組合の執行委員会で報告されることというのは少ないの
です。
  いま、教育を守るために、保護者・県民のみなさんと力を合わせなくてはならないとい
うのが、私たちの組合の方針には書いているのですが、いま、教育を憂えて、さまざまな
とりくみをしておられるみなさんの運動と私たちの組合の運動の接点が、あまりない。「開
かれた学校づくり」ということが課題になっているとき、これでいいのかと考えているわ
けです。
  半年ほど前、和歌山大学の生涯学習センターで「フォーラム」が開かれました。そこで
竹下さんという文部省の生涯学習局青少年教育課長が講演をしました。
  「いま、非行が第四のピークといわれ、いじめ、学級崩壊など大変です。2002年に
むけて、学校と地域の関係がかわります。学習指導は、基礎・基本を中心にし、子どもの
体験などを重視する「総合的な学習」をすすめます。そのため、地域に学校が応援を求め
ます。「荒れ」の問題も、地域の人が学校に入ることで解決をめざす。そのひとつが学校
評議員制度です。NHKに「ようこそ先輩」という番組があります。それほどでなくても、
地域には能力を持ったひとがいます。
  これまでのやりかたは、上からの指導で学校を変えようとした。こんどは、みなさんの
ネットワークの力で、学校を変えたい。」
  私は、話をききながら、会場におあつまりのお母さんたちの顔をみていました。有田で
私たちと一緒に「30人学級」の運動をすすめられたお母さんもいらっしゃる。そういう
お母さん方が、わが意をえたりというようにうなづきながら、竹下さんの話を聞いていら
っしゃる。
  今日お見えの片岡さんが発表をされました。私の印象にのこったのは、こんな部分です。
「PTA文化部で、トライやるウィークにとりくみ、58人の生徒が参加しました。この
企画に当たって、学校の先生方の意見と、PTA文化部の意見が合わないときもありまし
た。そうしたとき、私たちは「こんな案とこんな案とがあるんだけど、君たちはどんなに
したいかな?」と子どもに問いかけてきめさせました。」
  このお話を組合員の集会でよく紹介します。「学校の先生方の意見と、PTA文化部の
意見が合わないときも、子どもに問いかけてきめさせた。そのお母さんは、子どもがどち
らを選んだかを言わなかったけれど、子どもたちは学校の先生の案を選ばなかったのでは
ないか」
 お母さんたちの自覚的な運動に対して、学校が立ち遅れていはしないかと心配します。
「開かれた学校」にむけて、「最近、文部省もかわってきた。教育委員会も変わろうとし
ている。変わらないのは学校だ」ということになりかねない。
  最近、県PTAの会長・副会長・母親代表の方々とも懇談しました。その場でも、「PTA
役員が学校へ行くとすぐに校長室に通されるが、もっと先生方と話をしたい」という話も
出ました。今日は、もっと草の根でとりくんでおられる皆さんです。和教組から出席して
いるのは本部の役員ですので、現場の先生に言いにくい話も、受け止めさせていただきま
す。
  率直なご意見をお聞かせいただければと思います。よろしく、お願いします。