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2004年12月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
2001年9月号 閉局から1年、てきゃFMのメンバーは今
僕は今、和歌山市中之島水道路にある“枝曾丸れんらく所”でこの原稿を書いてます。ここ1階部分はクーラーもなく路沿いちゅうこともあって、自然の排気ガスをあびながらの執筆活動っていうわけですわ~。
思い起こせば、ここは1年前まで“てきゃFM”のスタジオがあったトコである。てきゃFMとは、僕の仲間達で始めた水道路限定のミニFMで、後にぶらくり丁や有線でも聞けるようになったという、知る人ぞ知る和歌山一センスの飛んだ放送だった。
そんな“てきゃFM”が幕を下ろしてもうすぐ1年になる。最終回を終え、逢う事の少なくなった沢山のスタッフはどうしてるんやろう?と最近思う。結構アクの強い人ばっかりやったから、これがまた面白い現状である。
“うたのう”というコーナーをやってた即興ソングの大西君は、現在テレ和歌でやってる“仙台屋”の歌を唄ってたり、電気屋中村君はWa-Yah!!というバンドで、週末爽やかにマリーナシティでメジャー夢見て唄ってる。キラー甲斐君は、今話題の“なまず”のミニライブがあれば必ず顔を覗かせ、CD即売の時にはなぜかしら人員整理を買って出ては、事務所の社長さんから、「てきゃさんすいません!」とお礼を受けていることに満足している昨今。
“明るい障害者バリヤフリー”というコーナーの北山君は、現在“ハートtoワン”というサークルを作ってぶんだらに出たり、岩出のダンス大会に出たりし、セッセセッセと頑張っている。その他、“見積もり無料の心のリフォーム”という人生相談のコーナーをやっていた山際君は、泉南でリフォーム屋の社長として幅をきかしてるらしい。
一方女性陣はどうだろう? まだあどけない高1から来ていたメグちゃんは、ちょっと前みそのの屋台村で会った時の話によると、夜の世界でシェーカーを振って頑張ってるという。“くるみの部屋”というコーナーをやってた南くるみさん、開局当時からのご意見番のアガサスの白井さんは仕事に追われる毎日。そして私を含めて、一番の出世頭はHちゃんやろな~。
というにはそれなりの事情がある。
ある日の事、当コラムでイラスト書いてる“つっちい”が、Hちゃんとそっくりな娘がインディーズのアダルトビデオに出てると駆け込んでくる。早速、彼女を知ってる皆を呼び寄せ試写をしたところ、戸惑いながらもほぼ間違いないという結果。そうじゃない!という一分の望みを抱きながら、みんなが帰ってから僕は一人で何度も観たが、疑いを持つ分興奮するだけ。
それからしばらくし、思いがけない突然のHちゃんからの電話。女優になる夢を捨てきれず、アダルトの世界で頑張ってるという。「観てくださいね~」と明るい声の彼女に、観たおしてるとはとても言えなかった。電話の最後に、「私この世界に合ってたみたい!」と話す彼女。「そら、よかったいしょ」と答えたものの、自分に対する過去への後悔にかられる僕だった。
Posted by sisomaru at 2004年12月01日 17:52