« 2001年12月号 開講!枝曾丸のおもしろ落語教室~in近鉄カルチャーセンター~ | Main | 2002年2月号 週末はむつろう節に酔いしれたい!~声の魔術師 小林睦郎さん »
2004年12月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
2002年1月号 大成功!アルゼンチン感動の1週間~出発編~
11月の初旬、僕とマンガ家のマエオカテツヤ君は、南米アルゼンチンに笑いを届けに行って参りました。そもそもこれは、以前から2人で作ってる和歌山弁落語を、「海外にお住まいの和歌山県人の方々に届けたい!」という願いで実現したものです。
実現が決まり、現地と幾多にわたり手紙をやり取りしているうちに、「和歌山県人以外の日本人の方々対象にもできないか」ということで、結果的に、1週間の滞在で6公演、それも全行程、3000キロにも及ぶヘビーな巡業になった。
とにもかくにも、日本から一歩も出たことのない僕としては、想像もできない長旅に、期待と不安が入り交じる。出発の日が迫ってきたある日のこと、親しい友が、大層に“壮行会”をしてくれた。酒を酌み交わしながら、「がんばって来てよっ」と何度も言ってもらってる我らは、時期も時期なので、召集礼状を貰った兵隊さんのよう。
いよいよ出発の朝、温かい友人や報道関係者の皆さんに見送られながら関空へ。WBS「恋のハーフムーン」出演者の方々が、関空まで送ってくれた。到着するや否や、マエオカさんの奥さんが、生後1ヶ月の“このみちゃん”を抱きかかえながら見送りに。無邪気に笑う赤ちゃんに、マエオカさんの目はウルウル。
アメリカへは成田からの出発なんで、とりあえず国内線で東京へと行かなければいけない。時刻がせまり、何度も何度も皆に手を振り搭乗口へと向かう2人。「いよいよやな~」「行くんやな~」と遥か遠い地へ思いを馳せていたその時、「なにしとんのや?」と、聞き慣れた広島なまりの関西弁。そう、誰もが知ってるB&Bの洋七師匠が、仕事帰りで偶然同じ便だったのである。事情を説明したら、「エエな~アルゼンチンか、わしも一緒にブラジル行きたいわ~」と、目をクリクリしながらいきなりボケる。
それから3人、同じ飛行機に乗り込む。当然ながら師匠とは別々の席なので、そっちへ行きかけると、「一緒に喋ろうや」と、なんか遠足みたいにはしゃいでる。それから離陸、東京まで贅沢に“洋七スペシャルトーク”を2人じめ。笑いっぱなしの機内に、出発前の我らの不安も、いつの間にか吹き飛んでいた。緊張している僕らに気を遣って和ましてくれた洋七師匠に、感謝の気持ちを覚えるのであった…。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、羽田で師匠とはお別れ。一路成田へと向かい、アトランタ行きへと乗り込む。直行のはずが、事件の影響だろう、ロスに着陸。ここでアメリカに入国手続きをしなければいけないという。初体験の僕とは対象的に、マエオカさんは落ち着いている。入国カードを書くにも、英検4級の自分はパニック状態であたりをキョロキョロ。誰がみても挙動不審。厳戒態勢のロスの空港で、調べられないはずがない。一枚岩みたいな軍隊に何度も止められては、何から何まで調べられるはめに…。
途中ババしたくなり、トイレが清掃中で入れないのに気づかずに駆け込んだところ、これまた不審がられ、何やら怒った口調の清掃員に外から棒で突つかれ、トランシーバーで誰かを呼んでいたよう。その他、預けた荷物はなくなるは、散々なアメリカ初上陸でした。
それから15時間後、やっとの思いでアルゼンチンの空港へ到着。出迎えの、宮井さんという湯浅出身の方の車に乗り込んだ途端、気を利かせてくれたのか、「和歌山ラブソング」が鳴っている。ピンと張り詰めた神経が一瞬のうちに緩み、目頭が熱くなった僕でした。
※本誌アルゼンチンスペシャルエッセイも、併せてお楽しみください。
Posted by sisomaru at 2004年12月01日 18:09