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2004年12月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
2002年2月号 週末はむつろう節に酔いしれたい!~声の魔術師 小林睦郎さん
「この人はすごい!」そう思う人は誰しもいると思う…。僕自身も例外ではない。でも悲しいかな、結構見かけ倒しちゅう人も多い。
長い落語家人生の中、そんな奴というのは幾つかの特徴がある。
まず1つは、“聞いてもないのに自分は出来るとアピールする奴”。そして2つ目、“はたから見てたら大した事ないとバレバレやのに、自分のことが見えてない奴”。客観的に自分が判ってないちゅう奴やね~。そして最後3つ目、“体制に弱い!俗に云う風見鶏な奴”。肩書きや金の匂いのする所には、せっそうなくヘーコラするくせに、関係ない僕のような奴には虫けら扱い。そして執念深い。たまに見かけるこういうデラックスな変わり者が、今の世の中でのさばっている。何か書いてるだけで腹立ってくらっ!
でも世の中捨てたものではない。今回は、これとは正反対の僕の尊敬する人を紹介しよう!
僕と同年代から熟年層の方には、この人の声を知らないという人はないだろう。この人こそ、和歌山の浜村淳こと、パーソナリティの小林むつろうさんである。
僕が中学生でラジオ少年だった頃、小林さんのさわやかに語りかける声は、まさにニキビ面の僕の兄貴的存在だった。「一度会ってみたい」―そんな想いを抱きながら数年が過ぎた17才の時、ラジオを聞いていると、“谷村新司の青春キャンパス”という全国ネットの深夜番組で、各地のキャンパススタッフを募集するという。和歌山のリーダーは憧れの小林さん。数ヶ月に一度、一緒にレポートするコーナーを創るという目的でだ。
早速応募し、実際逢った小林さんは、ラジオから聞く僕のイメージとは全然違って、何処にでもいる普通の人。ところがどっこい、マイクがオンになった途端、全く別人。これぞ、ラジオ屋マイク職人を目の当たりにして、ますます憧れが募った少年時代であった。
それから時は流れ、僕は落語家になるべく大阪へ出て、桂文枝師匠のもとへ入門。小林さんはその後着実に出世をし、和歌山放送では欠かすことの出来ない人物へ。僕の修行期間が過ぎ、しばらく経った頃和歌山放送を尋ねた時には、制作部長になっていた。マイクに向かう以外にも色々と管理職らしくデスクワークも増え、大変そうだった。
そんなある日、僕の耳にびっくりしたニュースが入ってきた。あの看板アナウンサー小林さんが、和歌山放送を辞めたという。信じられない現実に、しばらく心にポカーッと穴が空いた様だった。
時期をおいてご本人に伺ったところ、「僕は現場人間だから…」と多くは語らなかった。何となく言葉のニュアンスで、言うに言えない何かをわかった様な気がして、改めて小林さんという人間を尊敬したのである。
我々凡人には、管理職の立場にもなり、そのままいてたら悠悠自適な生活が約束されているはずなのにもかかわらず、信念を通し実行している姿に、人間としての生きる道というヤツを、身を持って教えてくれているように思えた。
以降小林さんは“AM神戸”でその魅力を発揮し、数年前よりフリーの立場で古巣和歌山放送へ帰って来て、現在は土日の長時間、マイクに向かって職人技を発揮している。心地良く引き込まれる独特のおしゃべりは、ちょっとした媚薬?
皆さんも週末、ラジオの前で僕と一緒に、しびれる“むつろう節”に酔いしれてみては?
Posted by sisomaru at 2004年12月01日 18:11