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2004年12月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
2002年3月号 枝曾丸CM出演決定!~ご葬儀のことなら大光社~
新年早々僕は、久々にCM収録の仕事をした。
CMはかつて仕事柄、どちらかといえば賑やか系は経験した事あったが、この度オファーが来たのがナ・ナントお葬式屋さん!
初めお話を頂いた時は、僕自身耳を疑う程びっくり。、、だって僕の仕事は落語家であり、人を笑わせるのが本分。その僕とは正反対のお葬式屋さんのCMに出演するなんて、何か不謹慎のような気がしたから。
が、しかし葬式といえば、昨年秋の独演会で発表したのが和歌山弁落語の「親族一同」という新作はお葬式が舞台の話。その事もあって、お葬式というものに変なんやけど、親しみも湧きお引き受けする事にしたのである。
緊張のCM収録当日、制作スタッフと共に国体道路沿いにある、とある式場へとむかう。途中、ロケバスの中も別に突然の別れ惜しみに行くわけでも無いのに、なぜかしらしめやか。
到着し、打ち合わせも済ませ、いよいよ本番!準備も整い、僕はシックなスーツ姿。祭壇をバックに真顔でカメラに向かい「もしもの時は、大光社にお電話ください」と言う。そう、和歌山の大光社さんのCMである。もちろん祭壇はホンマモン。
久しく、真顔でカメラにむかった事ない僕は少々照れ気味。「はいOK!」とデレクターの声にホッとする間もなく、祭壇の横にある和室へと案内される。ここからは、イメージ風景を撮るとの事。中には喪服姿の男女がすでに正座している。テーブルには大光社さんのパンフレット。僕は、葬儀屋さんという設定で葬儀の段取りをあれこれ説明しているという様子を撮るのだ。言うまでも無く、喪服姿のふたりは本物では無い。「声は使いませんので適当に喋っててください」とデレクターがいう。葬儀屋さんの経験ないのに適当って言われても~と戸惑っている間もなくスタートの声が。無我夢中でパンフを手になりきって説明を、、動揺しながらも3回程度のやり直しでOKが出た。
色んなシーンを撮ったが一番苦労したのが、病院からご遺体を寝台車に乗せるシーンの時。うまく寝台が車に入らないのである。最初はスタッフを寝かせてやってたんやけど、生身の人間の重さとレバーの使い方のコツが掴めず、どうもスムーズに車に収まらない。それやったらと、今度は寝台に人では無く、布団を入れて膨らみをつけ、軽くしやってみるとレバーを引いた途端、頭の方からズットン!と落ちてしまった。これには、さっきまでそれに寝ていたスタッフが「早速、大光社さんにお世話にならなあかんとこでしたわ」と怯える一幕も。
10回近く繰り返し、ようやくOKが出てすべて終了の筈なのだが、今度は別バージョンの撮影である。これは半ば僕のごり押しともいえる、和歌山弁落語のコスチュームであるおばちゃんの格好での撮影。なんのご縁か、お葬式のネタもやったことやし、、こういう機会に恵まれたので何とかやらしてもらえないかと当日、社長さんに落語のビデオを観てもらってお許しが出ての実現である。おばちゃんの格好も整い、さーやろか!とスタッフの元へと行くと、デレクターが僕を眺めて悩みだした。どうしたのかと聞くと、お葬式屋のCMは大抵、厳かな作りと相場は決まっている。にも係わらず、僕の格好はどう見ても笑うて下さいと言わんばかり。みる人がみたら不謹慎に受け取られるという。「そこを何とか!」という僕の願いに、台詞にも、配慮してもらいようやくスタート。
その一幕を紹介すると、祭壇をバックに「あで~難儀やよ、それやったら大光社さんに電話しな~」というのである。掟破りともいえる葬式屋さんのCMでの和歌山弁、それも僕のおばちゃん喋り。OKが出たと同時に、現場は笑いの渦。満足した僕は、恐々大光社の社長に目をやると、「ええわいしょ!」と僕に微笑みかけてくれるではないか!思わず僕は、「社長!」と言わんばかりに駆けて行き、二人は固い握手をした。その時僕がつぶやいた。「社長これは革命です!」
Posted by sisomaru at 2004年12月01日 18:14