« 2002年12月号 | Main | 2003年2月号 ビンビンと伝わってきました!なまずの決意 »
2004年12月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
2003年1月号 最高のエールを送ってくれたB&B洋七師匠
新年あけましておめでとうございます。今年も人の出会いを求めて楽しくお仕事をさせてもらいたいと思いますんで街であっても石など投げないでね~
しかし人の出会いというのがいかに大事か、出会う人によっては人生天国にもなるし地獄にもなるって事をこの年になり身に沁みてわかるようになった昨今です。和歌山にUターンして早5年目。色々理由があって帰ってきたわけ何やけど、当初は本当に不安な事ばっかりでした。和歌山に住みながら芸能の世界でやっていけるんやろうか?それに芸名も「小茶久」から「枝曾丸」に襲名する時期っていうのも手伝ってねぇ~
そんな不安な想いを一気に吹き飛ばしてくれ又僕に勇気と自信をつけさせてくれたのが、あるビックな人物との出会いがきっかけなんです。その人物というのが吉本興業の先輩、B&Bの洋七さん。
出会いは今から4年前。場所は和歌山の繁華街アロチのショットバー‘el‘である。その夜は僕の枝曾丸襲名和歌山公演の前夜だった。
各地の襲名披露公演もいよいよ最終、気を引き締め直して早く寝なきゃいけないのに中々寝れなくて、それでいつもの悪い癖、「ちょっと一杯」という事でその店に行ったわけ。独りでチビチビと寝酒のつもりでやってると、マスターが「あの、、」と隣の席に目を配るとそこに洋七師匠がいたのだ。「なんで和歌山に?」と思いあいさつをしに行くと、和歌山で芸人に会うとは思っていなかったのか凄く感激してくれてそれから延々と朝の5時までワイワイ。お陰で次の日の襲名披露は二日酔いの為、メッチャしんどくてそっちばっかり気になって変に肩の力が抜け、結果的には大成功のうちに終わりました。
それがきっかけでチョイチョイ呑みに連れってくれる事になった。それもアロチで。なんで又和歌山で洋七師匠がと理由を聞くと銀座や新地で呑むが飽きたのだとか。それに知り合いも居てるのでという事だそう。
なにせ、仕事の合間を縫って和歌山に来てくれ色々と酒を呑みながら芸について教えてくれる。「どこに住んでいても芸はできる!」実際、洋七師匠は現在九州の佐賀県在住。もちろん東京にもマンションがあるのだが、コンスタントに佐賀に帰りそこから仕事に行ってるのだとか。
浮き沈みの多い芸能界で心の支えはいつも佐賀にいる昔からの友達とビートたけし師匠という。友達の話をしていると本当に幸せそうで横にいる僕もなんだか嬉しくなる。
僕自身、和歌山へ帰って来て改めて友達の大事さを実感しているから尚更親しみが沸く。
去年の初め、二人でまたまたアロチで楽しく師匠のウソかホンマかわからん爆笑トークでひと盛り上がりした後、急にマジな目になり師匠が「枝曾丸、お前和歌山で一番になれ!・・そうなったら何処に行ってもお前はうける」というてもらった時、メッチャ嬉しかった。今まで色んな先輩に励まされたり、教えてもらったりしたけど最高に嬉しかった。
今年の9月にあった地元での年に一度の独演会「わかやま芸品館」でも、終わってから電話で「お前、凄い大盛況やったらしいな~わし、今から和歌山行くわ」という。何処にいてるのかと聞くと東京から次の日仕事の広島へ行く途中だという。‘うそ!本間に来てくれんの!‘と思ったら4時間後アロチにその姿があった。忙しいのに、疲れているのに、わざわざ僕みたいな者の為に来てくれて涙がでそうだった。
ふたりで‘丸高ラーメン‘の硬いスジをあてに熱燗で乾杯をした。 疲れているのか直にウツラウツラとし、うわ言のように「よかった、、」と呟く。僕はその時、絶対売れよう!この街から全国に行こう!と誓ったのだった。
Posted by sisomaru at 2004年12月01日 18:30